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第四章◆血ノ奴隷~Ⅲ

      静かに閉まる扉。 一人きりになった(のち)、男は壁際の棚に置かれた投影機と連動する置石(スフィア)に触れた。 音声は低め。動揺する民衆の声に悲鳴が混じって聴こえる。 雑踏に押されでもしたか、映像の中に報道人の姿は無い。 「ちょっと! すみません! 押さないでもらえますか!?」 「皆様、ご覧ください。彼の魔導師ことクラウス特務士官」 「第一等帝国魔導師です! 軍、管轄(かんかつ)下、高等錬金術師団在任!」 「フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ ... ええ ... 現在は被告ということに ... 」 「下の家名は保護されていた修道院にて、神聖徒が共有する(せい)になります。  つまり同氏の出自は、あのウェルトリッヒ修道院であると」 「公判のため議会、(およ)び審問会より任命されました監視官が同行。立ち会っている模様ですが」 「現場の観衆が、やや混乱気味です」 「ちょ ...! だから、押... お、押すなって!!」 男は、振れる映面の(はし)に見た。 本来ならば不測の事態を収拾するため開示したであろう緋色の瞳を。 「精霊王の七つ目の一つ。 (まこと)(あば)く邪眼。  魔女が受け継いできた、その力。 私の(そば)()くしてさえいればいいものを。  クロイツ、お前には失望したぞ ... ... 」 塔に沿()い吹き下ろす風は、(たま)ノ精霊を追う薄葉を散らし。 金糸(きんし)のように(きら)めく髪を払う。 その時クロイツの脳裏を(よぎ)ぎったのは、生前の母との会話だった。 小柄なために、子ひとり(ひざ)の上に座らせて抱くだけでも精一杯の思いをしていたであろう人。 気弱で、使用人に声を掛けることすら戸惑う様子を見せる事が多かった母。 彼女は少女のように軽やかな声で、けれども静かに話した。 『クロイツ ... ... あなたの左眼はお婆様ゆずりね。なんて美しい(あかね)色だこと』 『お婆様も左眼を(わずら)っておられたのですか?』 『ええ。でも、本当はね? 違うの。 この瞳には秘密があって、あなたはそれを受け継いだの。  その瞳を()がせるために何人もの男性を相手に、何人もの子を産まされた女性もいたそうよ』 『 ... お母様は ... ?』 『私は ... 里を抜け出した御父様や、あなたの御父上が守って下さったから。  それに、本当なら ... あなたが、その瞳を継ぐはずはなかったのだけど ... ...  いいですか ? クロイツ。その左眼が、あなたの意志で光を取り込めるようになった時。  あなたは精霊や人の〈(まこと)ノ名〉を知るでしょう。名を(あば)かれた者は  あなたの思いのままに働くしかないの。ですが悪戯(いたずら)に名を変えてはいけません。  あなただって、左右の手の感覚を逆にされでもしたら困るでしょう?』 精霊と神々が交わす言葉。 真言により(つくろ)われし現象。 この眼で読み取り、手を伸ばせば()き乱す事だって出来る。 例えば、そう、そこにいる貴様(きさま)だって例外ではないのだ。 にも関わらず ... ... クロイツは言った。 「何故(なぜ)、寝返った!! ――― アレセル!!」 錬金術のように状態を変化させる事こそ不可能だが。 心や身体(からだ)の仕組みを阻害(そがい)するは可能。 体調を変化させ、その気になれば(やまい)にかけることも。 しかし、そんなクロイツの考えは粗方(あらかた)、想像が付いている名主。 アレセルは答えるかのように(ささや)いた。 「呪いの力を宿(やど)す瞳。僕もまさか、対峙(たいじ)して見る日が来るとは。  正直 ... 思ってもみませんでした。けれど、あなたがもし人々や僕の  〈(まこと)ノ名〉に手をかければ、フェレンス様と同様に(ばっ)せられるのです」 お分かりですか ... ... ? 「あなたは帰任する途中、判断を(あやま)った。フェレンス様なら一度は警告したはず。  なのに、あなたこそ何故(なぜ)、〈(みかど)ノ血〉を継ぐ少年を帝都に連れ帰ったりしたのですか」 教会と関連組織の中には異端ノ魔導師の首を付け狙う過激派も(ひそ)んでいる。 大貴族及び元老院(マグナート)の手先と()り下がった故国の末裔(まつえい)は、 彼等(かれら)にとって諸悪の根源とも言える存在だ。 陰謀を()ち、政界の泥沼(どろぬま)()めたところで、 宗教の(かわ)(かぶ)った社会主義的観念が財界を(むしば)むようになれば。 資財、労働の搾取(さくしゅ)安寧(あんねい)(かか)げる粛清(しゅくせい)。 つまりは、平等であるための強権者弾圧や、社会的弱者に対する強制就労など。 あらゆる理不尽が正義として(まか)り通り、(うた)われる時代が(おとず)れる。 『私がこれまで身を置いてきた立場は、それら、  あまりにも危険な一派を見張るためのもの。  フェレンス様から与えられた、私の使命だったのです。  あなたはそれを利用しようとしましたが ... 用心が(いた)らなかった。  そちらの部隊長が(つか)わした追っ手を(ほうむ)ったのはのは、誰だと思いますか?』 意気を宿す淡褐色の瞳(ヘーゼルアイ)。 薄紫の(ツヤ)を泳がせる片掛けの外套(マント)(ひるがえ)し、指揮刀を()(かか)げる。 自身の弟の眼差(まなざ)しを真っ向に受け、クロイツは思った。 『 ... 奴等(やつら)では... ないと言うのか ... 』 そして見る。 激情、()めゆく()に。 耳の高さに切り(そろ)えた素色(アイボリー)の髪を風に(なび)かせるアレセル。 突如(とつじょ)とし彼の陣列に押し入るは、複数の士官を連れた年配の一行。 審問官と似た様相だが、(あで)やかな刺繍を(ふち)にあしらった(くれない)の式服と司教冠は別格。 クロイツは息を()んだ。 まさか、あの方が ... ... ? 「バノマン枢機卿(すうききょう) ... 公会議は如何(いかが)されました?  審議の公正を期す役目を(にな)いながら、何故(なにゆえ)このような場に?」 指揮刀をクロイツに差し向けるアレセルは、身動(みじろ)ぎもせず視線だけ手向(たむ)(たず)ねる。 「我々の任命した監視官が〈血ノ奴隷〉売買に関与していたと聞いてな。  聞くところによると、軍警に告発したのは君だとそうじゃないか」 中音だが太く、それでいてはきとした声。 「(おっしゃ)る通りですが。何か ...?」 アレセルの発する低音が際立(きわだ)った。 「また唐突(とうとつ)に議職を()したかと思えば、  軍警の指揮を任され身内の検挙に乗り出すなど ... まさかと驚いてね」 「ご確認のため? わざわざお越しになったと?  折角ですが、ご高配(こうはい)頂くには(およ)びません。... 私は、責任を果たしたいだけなのです」 「そうかね ... ... しかし残念じゃないか」 老輩の名は、バノマン・ル・ディアス・リカルド。 神官の中で(もっと)も、次期、司教の座に近い男だ。 アレセルが以前より個人的に目付けしてきた人物でもある。 クロイツを見()える一方で。 フェレンスの展開する結界の(そば)まで詰め寄る一陣への警戒が強まる。 アレセルの(あわ)い目色が、底知れぬ闇を()びた。 男は整えられた口髭(くちひげ)の先を(いく)らか上げて言う。 「軍警の〈彼〉が君に、あの魔導師を(あず)けるとでも?」 喉元(のどもと)(やいば)を突き付けるかのような問い。 「枢機卿、貴方様(あなたさま)こそ。引き連れてお()での軍、幹部が、  〈帝ノ血〉のためだけに大人しく付き(したが)うとお思いですか?」 (はら)()え、あえて質問で返すが。 もはや地に足が付かぬ。   フェレンス様 ... ... 僕は ... ... 少しでも早い出世を望み、勉学に(いそ)しんできた幼少の頃から。 心より(した)い、()がれ続けた人のため。 何がどうあったも、(つらぬ)き通す。 かつてフェレンスと交わした()り取りと。 つい先日、持ち掛けられた取引内容がアレセルの脳裏を行き来した。 『士官学校に受かった ? アレセル ... 君は確か、まだ ... ... 』 『十四です ! 』 『 ... ... まさか ... ... 』 『嘘ではありません! 早く、早くフェレンス様の御傍(おそば)で働きたくて。僕、頑張ってるんです ! 』 『私の(そば)?』 『そう! ... こんな地下通路で コソコソ お会いするのではなく。陽の光の(もと)で。  そう、早く、〈フェレンス様の(となり)は、僕の居場所なんだ〉って、知らしめたいんです!』 『知らしめる ? いったい何のために?』 『何でもいいんです! とにかく、とにかく、早くしないと!』 『ま、待て ... 待ちなさい。落ち着くんだ ... ... アレセル ... ... ?』 思い(あま)って。気付けば愛しい人の(ふところ)()り寄り、顔を(うず)めていた。 『早くしないと ... 貴方様を他の誰かに取られてしまう ... そう思うと、僕 ... 』 怖くて ... ... 怖くて ... ... 『居ても立ってもいられないんです』 それでも僕は、貴方様と出会ってから、この日まで。 陽の(もと)で親しむ事すら出来ず、関係を(いつわ)らざる()なかった。 貴方様が、それを望んだから。 共に生きるためと言って。 だから僕は、貴方様の望み通りに生きていこうと心に決めた。 貴方様のため、どんな事でもするつもりだった。 教えだって守り抜いてきたし。 寄り添う事が叶わなくたって。 出来る限りを()くしていこうと。 けれどそれも、今日(かぎ)り。  フェレンス様 ... ... 貴族及び元老院(マグナート)総括(そうかつ)する人物は、バノマンの宿敵と言っていい。 あの男は僕に、こう言ったのです。 『どうだ ... あの魔導師を自由にしてやりたいとは思わないか。  我々としては、〈(みかど)ノ血〉が平等主義の過激派に渡ることだけは()けたいのだ。  そうなるくらいなら、いっその事、あの魔導師共々帝都から去ってもらった方が  都合が良いくらいでな。例えば、お前が連れ去るでもかまわない。  あの魔導師を ... 愛しているのだろう? だとすれば、決して悪くない話と思うが』 結界を取り巻く薄影が、退魔師の捕縛(ほばく)に抵抗して不気味に()える。 恐れと不信感を(あお)るその光景は、見る者を次々と遠ざけた。 本来ならば審問会立ち会いのもと、送検されるはずであった人物の手により(くつがえ)される情勢。 その時、クロイツは(さと)る。 「フェレンスの奴め。余計な真似(まね)を ... 」 奴等(やつら) ... 軍警が(とら)えに掛かったのは教徒の手先。 「つまり、クロイツ監視官 ... 今、狙われてるのはあんたなんだ ! 」 固唾(かたず)を呑んで見守るノシュウェルは、手に汗を(にぎ)りながら上官の気に狂いが生じないよう祈る。 ()ノ魔導師が、あえて人々の顰蹙(ひんしゅく)を買いに出るであろう事すら想定内であったろう。 アレセルは言った。 「フェレンス様なら分かって下さる ... ... そう、信じていました」 異端ノ魔導師と血ノ奴隷を(はべ)らせんとす。 大貴族及び元老院(マグナート)。そして、神教徒過激派(パルチザン)勢力。 双方、真の狙いは(いま)だ謎に(つつ)まれており。 第三勢力であったはずの軍部が、立場を明確にした動きを見せるのも実のところ不自然なのだが。 そんな中、狭間(はざま)に立ち居て潮流を受け流すは、某国の忘れ形見(がたみ)()ノ魔導師が(したが)える〈千ノ影〉と〈下僕(しもべ)〉の抵抗を目の当たりにした観衆は、 胸の内に元々存在していた負ノ思念が、(おの)ずと()が身を呪いに掛けているとも気付かぬまま。 真球を()す結界の(おもて)が、水面(みなも)に浮く(すみ)のように揺れるのを見ながら。 中で蒼き炎を(まと)う人の姿に言葉を失った。 すると、カーツェルの手元から滑り落ちたローブを拾い上げ、静々(しずしず)(そで)を通すフェレンス。 彼が顔を上げた時だった。 御前(みまえ)にて、(あお)()んだ瞳のただ一点を見ていたカーツェルの(たが)(はじ)け飛ぶ。 波及(はきゅう)する衝撃。 それは、(わず)かだが結界の外にまで(およ)んだ。 フェレンスは燃え盛る蒼火に囲まれてもなお、落ち着き払い。 フードの内側から取り出した杖を瞬時に昇華(しょうか)する。 同時、左目元に刻まれた呪印が青白い光を()びはじめ。 (あるじ)(そば)から引き下がるかのように消沈した()は、 カーツェルの両腕を縛る(かせ)となって、彼を(ひざまず)かせた。 (かじか)む手 。 しかし、蒼火を間近に表皮が黒ずみ罅割(ひびわれ)れようとも、 フェレンスが(ひる)むことはないのだ。 ――― 荒ぶる(たましい)の叫びに(まど)う ... (なげ)きの(しもべ)僕よ。     意のままに、解き放つがいい。     怒り、憎しみを()らう浄化の炎が、お前の身を()がすなら。     ()が血を(もっ)(あがな)おう ... ...  「(しず)まりなさい ... カーツェル ... 私の声を聴くんだ ... 」 ローブの保護が払う炎。 その(さかい)に手を伸ばし、触れようとする指先が呼び覚ます。 意識を取り戻したカーツェルは愕然(がくぜん)とし ... ... そして、涙を浮かべた。 「やはり、分かっていて ... 聴衆の憎悪に(さら)すような真似(まね)を ... ...?」 「枢機卿が軍部と手を組んだ。恐らくはお前を(えさ)にして。  過激派の配下を納得させるためだろう。  私とお前を引き離し、生かさず殺さず、飼い慣らすつもりらしい。  バノマン(みずか)ら、この場に(あらわ)れたのが何よりの証拠。  あらゆる呪い、そして契約の効力を制限する法 ...〈銀ノ(くい)〉。  その詠唱権限は、司教に許可された枢機卿にのみ与えられる」 アレセルは、力を制限されたフェレンスが過激派(パルチザン)の手に掛かることを恐れたのだ。 そんな彼が次にどう出るか、予測は付いていた ... フェレンスは、そう語る。 (しか)らば、吊し上げてでも ... ... なるほど。いっそ公衆の目を盾にしようというのか。 クロイツもまた(しか)り。 であるなら、片方がより多くを(こうむ)り、また片方がより多くの策を講じるが(やす)し。 クロイツに掛けられた疑いをも、一身に()う。 「愛しい人 ... ... 貴方様は、そう ... ... 」 どこまでも心優しい御方(おかた) ... ... 本人がそれを否定しても、アレセルは一途(いちず)に想った。 (ただ)し、()に落ちぬ不運を(うと)うあまり、(くちびる)()む。 前線に配した装甲歩兵が、身の(たけ)と並ぶ盾を構えて作る壁の合間に立ち。 フェレンスの周りで護りを固める千ノ影を次々と()いでいく捕縛(ほばく)に対し、 激しく抵抗する騎士霊を(にら)みながら。 彼こそは、フェレンスを取り巻く守衛の(かなめ)。 某国を襲った(わざわ)いにおいて、(おの)が命と引き換えに()ノ魔導師を守り抜いた竜騎士。 「 ... ... グウィン ... ... 」 雄々(おお)しく(たけ)る。 (あお)き鎧に身を固めし槍豪。 「僕には、今の貴方(あなた)の気持ちがよく分かる。  貴方と同調し、融合するなら僕しかいないはずと思っていたのに。  (いま)だ僕には理解できないのです。寄りにも寄って ...  あんな嫌味な男と貴方との(あいだ)に、どんな共通点があったと言うのですか」    魂を練り合わせ神化を()す過程。    覚醒後、魔人の姿へと変じたカーツェルが陶酔(とうすい)している()に。    彼は時折、夢を見る。 フェレンスがカーツェルに寄り添い、人々の目を引きつけているところ。 気配を忍ばせ足早に桟橋(さんばし)を引き返すノシュウェル。 半ば呆然(ぼうぜん)としながら苦笑いを浮かべるクロイツは、 どさくさに(まぎ)れ駆け寄ってきた彼に(わき)をど突かれた。 かと思いきや、屈み込んで肩を入れる(さい)、勢い余ってしまっただけ。 もう片方の腕は(すで)にクロイツの(ひざ)の裏。 嫌な予感がした次の瞬間には抱き上げられていた。 (ぞく)に言う、お姫様抱っこ。 「 なっ ...!?」 〈何をする〉と言いたかったが、ノシュウェルの声と(かぶ)った。 「とんだ()(ぎぬ)とは言え、あんたはもう犯罪者あつかいなんだよ!  放っておいたら俺達までトバッチリを(くう)う羽目になる!  いや。そんな生半可(なまはんか)なもんじゃないだろうなぁ。  潔白を証明する前に ... 暗殺者(アサシン)餌食(えじき)になっちまうのが落ちだ!」 フェレンスの眼差(まなざ)しが送り付けて来たイメージからすると。 追跡を指示していた二人が(すで)にやられている。 「一同! ――― 解散!! 命が()しくば国を出ろ!!」 「隊長!?」 「何事ですか!?」 「説明している(ヒマ)は無い! 無実の罪を着せられるぞ! 解散だ!! 解散(かいさ―――――ん)!!」 無実の罪と聞いて、一同は直感する。 異端ノ魔導師と、無事を見張っていた少年とを交互に見て。 青褪(あおざ)めた彼等(かれら)、隊員は次に、こぞって船首へと向かい走り出した。 なりふり構わず。乗務員も、降ろしかけの積荷(つみに)も押し退()け、飛び越え、駆け抜けて。 厄介事(やっかいごと)に巻き込まれ、姿を消したという同僚の(うわさ)が定期に耳に入る仕事柄。 ある程度の覚悟は決めていたのだ。 その時が来た。逃げなきゃ()られる。 ノシュウェルを筆頭に、彼等(かれら)は船を飛び出した。 客船の前には軍、所有の巡視船(じゅんしせん)が配備されている。 騒ぎのために船内、周辺は手薄。 そこを狙った。    白昼夢(はくちゅうむ)。    (おの)が何者か、自覚も無いまま。    白装束を(まと)った少年と共に、無機質な柱と壁ばかりの回廊を行く。    ある時、立ち止まった少年は、    (ツヤ)を放つ床石の合間に小さな草花を見つけ、身を(かが)めた。    葉に触れると、銀色の髪を揺らし振り向く。    彼は、こう(たず)ねてきた。    「これは、何?」    シャンテの有する叡智(えいち)の結集。    中枢の柱とも呼ばれた番人の一人。    あらゆる知識、情報を記憶することを役目とし、生み出された少年が。    何のことはない ... 人の子であれば日常的に見かけるような花の名を知らぬとは。    切なくも、愛おしい。    してやれる事なら何でもしてやりたい。そう感じた。    そして ... ... 〈貴方だけは、何としても守り抜く ... 〉 気付けば、その一心。 陶酔(とうすい)から目覚めたカーツェルは、結界を張るフェレンスと共に宙へと(おど)り出て吠声(はいせい)を上げた。 〈何人たりとも、この御方(おかた)仇成(あだな)しては()らぬ ... 民衆よ、(ひか)え!!〉 前線の装甲歩兵すら後ずさる ... 怒濤(どとう)の迫力。 人々は震え、何人かは腰を抜かし尻餅をつく。 クロイツを抱え(のが)れるノシュウェル一行を(とら)えに()け付けた 軍警の数名も肩を(すく)め、振り向き警戒する程。 「よーし! いいタイミングだよ! お陰で上手(うま)いこと逃げられそう!!」 隊員総出で機関士を叩き出す中。 巡視船の操縦なら出来ると言う一人が指を ポキポキ と鳴らし操縦桿(そうじゅうかん)を握る。 「放さんか! この! 無礼者め!!」 「無礼で結構! 今となっちゃ、俺とあんたは上官でもなけりゃ部下でもないんだ!!」 だが、先から()ぐ後ろで言い合っている二人のせいで集中できない。非常に迷惑。 「ちょ ――― っとぉぉ!!!! 気が散るから少し黙っててよ!!!!」 堪らず一喝(いっかつ)くれてやってから、計器類の起動から始める。 上官でもなけりゃ部下でもないね。ほんと、清々するわ。と、なおも ブツブツ 言いながら。 つい先まで大人しめだった一兵も、関係、無ければればキレ放題。 恐ろしい形相(ぎょうそう)で怒鳴りつけられ、二人共、素早く小刻みに(うなず)いて黙った。 「アレ、うちの隊で一番ヤバイ奴って、隊長 ... 知らなかったのかな」 「知るワケねーじゃん! いつもはあんなんじゃねーし。目上にゃ尚更(なおさら)だろーが!」 「... ァァ ... ダヨネー ... 」 乗っ取りに抵抗し殴り掛かってくる機関士を蹴散らしながら会話する。 隊員は案外と冷静だった。 だが、その一方。 クロイツは ハッ ! として丘に目を向ける。 「待て ...!! まずい、あの少年をどうする!!」 「行くな!! 考えてもみろ! あのチビが一番安全に過ごせる居場所は何処(どこ)か!  幸い、あのチビは自分でちゃんと分かってる!!  あんただって、本当は行かせてやりたかったはずだ! 違うか!?」 「違う!! 勘違いするな!! あの魔導師は ... !」 「あの男は、あんたを! 俺達を! 逃がすために! ああして罪を着てるんじゃないか!!  友人を奴等(やつら)に奪われたくないだけなら、二度と戻らないかもしれない俺達なんかに構わず  自分だけ逃げてりゃいいのにな!! なのにあんたって人は ... ... !!」 黙っていてくれと言ったのに、静まったのは一瞬だった。 だが、相手にしてもいられない。 舵取りは丘を見て、遅れ馳せ離陸の阻止を狙う煙幕を牽制(けんせい)しに掛かった。 地上すれすれを船底で払い、高度を上げる。 「貴様(きさま) ... 誰に向かって ... !!」 「あんただっつってんだろーが! ... って ... 」 「「 う ――― ...  わぁあぁぁ!!!! 」」 急速浮上。かつ、丘が船側(せんそく)、真下に見える程の船体傾斜(けいしゃ)。 目の前のクロイツが突然、降ってきたので(あわ)てて受け止めた。 (いく)つかある手摺(てす)りのうち一つを掴んで体勢を(たも)ちつつ。 旋回(せんかい)する合間(あいま)、ノシュウェルは見る。 船窓(せんそう)の向こう。同じ目の高さだった。 ()の魔導師は浮遊する結界から抜け出て杖を振るう。 凍てつく炎に身を包む下僕(しもべ)と向き合い、そして、船側が正面を向くと。 ほんの数秒、目が合い。思考が停止した。 急ぎ、()れ。 肩越しからこちらに向けられる視線が、そう言っている。 ノシュウェルに抱えられながら同じように見ていたクロイツは、 不甲斐(ふがい)なく奥歯を噛み締め、顔を()せた。 巡視船(じゅんしせん)を見送り、やがてフェレンスは向き(なお)る。 塔を(はしら)にする帝都の各地区から、乗っ取り(ジャック)の知らせを受けた追っ手が(あらわ)れるが。 国境に面する断崖(だんがい)を即座に(また)いだ一行は()いで、隣国・アイゼリアの追跡を受ける事となる。 領有(りょうゆう)を主張する船団は船檣(せんしょう)の軍旗を向け、帝国側の追跡を(はば)んだ。 一方、フェレンスの見下ろす発着場の片一方で。 バノマンと呼ばれた男が一言、(つぶや)く。 「さて ... 仮執行中とは言え、複合錬金の権限停止処分を無視したからには、  もう、我々(われわれ)が取り締まれる範疇(はんちゅう)ではないな」 フェレンスを見据(みす)える瞳に不適な穏やかさを(たた)え、細めると。 男はやがて、追従(ついじゅう)する士官と共にその場を去った。 その(さい)、すれ違う。 アレセルには ... 目もくれずに。 直後。 (かざ)した指揮刀を(なな)めに振り下ろし、アレセルは言い放った。 「公判を前に違反を確認した。尖兵(せんぺい)(ただ)ちに、特務士官を捕らえよ!!」      

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