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第1話 あまから
少し遅れてきた甘木冬司(あまきとうじ)は弁当を前の席の机の上に置いた。
引き入れた椅子ごと机をぐるりと強引に回し辛島小太郎(からしまこたろう)の机に迫るように向かい合わせにした。
背が高く、腕も長い。腕力も充分らしく、そんな動作も容易いようだった。
甘木冬司が二学期のはじめに転校生としてやってきてから、しばらくたつ。
教師を含めてまだ見慣れないのか、甘木が動くところをよそ者を見る目で眺める者がまだ少しいる。
警戒が含まれたその視線を本人はあまり気に留めてはいないようだ。
その調子でこちらからの危うく意味を持ちそうな視線についても気づかないでいて欲しいと、小太郎は思う。
小太郎は思わず自分の弁当を食べる手を止めて、甘木冬司のこれから広げられる弁当包みを注視する。
二段重ねのアイスブルーの弁当箱は本人に似合わず可愛らしいものだ。そもそも学生服も似合っていない。
小太郎はその中身を見る。昨夜のおかずの残りと思わせる煮物と卵焼き、ウインナーとミニトマト、ブロッコリー。あとはぎっしりと米粒の潰れるほど詰められた白飯。
甘木の身体の大きさからいって小さい弁当箱だ。
一緒に暮らしている母親に米を多めに要求するとこうなったのだろう。勝手な推測だ。この弁当の足りなさは小太郎にとっても都合が良い。
「な、なにか?」
甘木は警戒したように、弁当箱の蓋を立てて隠した。
小太郎は自分の視線がバレたことを気まずく思った。
けれど気を取り直す。
趣味はお菓子作りだが、料理にだって関心は高い。その小太郎のことを甘木は既によく知っているはずだからだ。
「最近はあの激辛激震明太子ロールパンとかマスタード5倍増しオニオンチーズパンとかそういうのの登場が減ってきたね」
「今日はおやつに辛いの食うから。そういうのは明日にするの」
そう言って甘木はポケットから唐辛子で味付けされた禍々しいパッケージデザインの袋を取り出した。
お菓子というよりか酒のつまみでカテゴライズされたものだろうと、小太郎は思う。
「そんなの頻繁に食ってたら、味覚が死ぬんじゃないの?」
味覚への心配は半分冗談だが、残りは真剣に心配している。
「まさか。俺の辛さの追求なんてまだまだ。お前こそ、そのままだと太る。ほとんど毎日何かしらスイーツ作るか、食うかしてるじゃん」
「でも今日は無いよ」
甘木の言うことはもっともだった。けれど作るのを辞める気はない。
大げさかもしれないが将来がかかっている。そういう思いでクオリティーを高めていっているつもりだ。
そんなふうに甘木に言えば良かったが、そこまで告げるのは憚られた。
照れもある。これ以上甘木に領域侵害されるのも怖かった。
ほかは甘木のことで一杯だった。
辛いものを平気で食べることの出来る味覚以上に、自分や他のクラスメイトたちとは違う大人びた風貌を持っている甘木が気になって仕方ない。
新しくできた友達だから気になるのか。
気になりすぎて、視線を送りすぎてしまうことに自覚はあって、目が合うとドキリと胸が高鳴る。恥ずかしい。
もともとのくせ毛が都合の良い形にうねっている。だから余計に大人っぽく見えた。本当はなにか同年齢にはない経験が隠されているようにも思えた。
「もう俺に協力するの飽きたなら、いいよ」
小太郎は思った以上に冷たい声が出てしまったことをすぐに後悔した。しかし、それくらいでは甘木はめげないことを見積もって言ってしまった。
あまりよい感情ではないとと思いながら、甘木を見つめた。
「あっ、ごめん。そういう意味に取っちゃう? やだよ、俺にどんどん作ってよ。他のやつなんてあっという間にうまいうまいって食ってそれで終わりだよ。俺くらいねちっこく、プリンの甘さの感想言えるやついないんだから」
甘木の感想はそもそもが、スイーツ苦手というところから来ているのでやっと繰り出した言葉と表情が一致せぬまま奇妙な結論を導き出す。
小太郎はそれが面白くていつも笑ってしまうのであった。そしてまた食べさせたくなる。
「それはそうだけど、なんか悪いかなって思ったりするんだよね」
「悪くねえよ。そういうのいらねえよ、マジ」
そう言って甘木はどんどん弁当を平らげて言った。
その様子からは無理は感じなかった。これはともすれば、甘いものも充分に好きなのではと思ったりもする。美味しそうに食べる甘木の姿が過った。
この間のプリンは『辛さが地獄に例えられるとするならこの甘さは天国、地獄が心地よい辛党の俺様が天国の方にうっかり誘われてしまいそうだ』
もう既に誘われているよね?
そういう突っ込みはナシにして、それはまだ内心に留めておくことにした。
お互いに甘いだの辛いだのいってけなすのが会話として面白いことが多いからだ。
小太郎は駅前に進出してきたドーナツ屋の話をすることにした。
「サイトでメニューを見直したらたくさん種類があるんだよね。どれを最初に味見したらいいか迷っちゃうよ」
「お前、一昨日ドーナツ自分で作ったばっかりなのに、もう?」
おかしげに甘木は言った。
一昨日のドーナツの感想は『砂糖と小麦粉による攻撃で、唾液が奪われ俺様の舌が砂のように崩れ落ちそうになった』という、どこかファンタジックなものだった。つまり粉っぽいということなのだろう。
「言ってなかったけど、あえて自分のと比べるのに作ったんだ」
小太郎は弁当の最後に残してあったミニハンバーグを箸で刺して口に入れた。
「女子にも分けてたろ。俺、自分の席から見ててモテモテだなあと思った」
甘木が冷やかすように言った。
小太郎は思わず、食べ終わった弁当の閉じながら口を尖らせる。
「別に、ドーナツが人にあげやすいからそうなっただけでモテていたわけじゃないよ。多くできちゃったから余ってたし」
こんな弁解をするのはほとほと馬鹿らしい。女からモテてるのは甘木の方なのだ。
理由は多分、小太郎と同じで年相応ではない仕草や男臭さにある。そしてそんな男子…というより男が転校生として現れたのだから、余計に注目されがちなのだ。
教育実習生にも留年しているのかどうか問われていた。
「そうなの? 女子力高い男子ってモテるでしょう、普通に」
「何いってんの、脱力しちゃうね。俺はモテない……」
女子が近寄ってくるのは小太郎が甘いお菓子を作るからだ。アリみたいなものだ。
小太郎は身なりや持ち物にかける小遣いもお菓子作りに費やしていて流行を追えない。
顔も平凡で地味だから、目立ちもしない。成績も中の上というだけでは一目置かれるということもない。
「そっちこそ、前の学校とかでどうだったのさ」
小太郎は最も気になっていたことを聞いてみた。親しくなる前にクラスメイトに聞かれていたのを耳にしていた。
その時の甘木は特別はにかんで見せるわけでもなく「そんなことないよ」と無難に応えていた。その態度や無難さが余計に大人に見えた瞬間でもあった。
だから、友達にはなったが恋愛に関してまで深く小太郎からは訊くことは今までなかった。
「まぁ、それは色々…あんまり言うとお前に嫌われそうだなぁ」
「……その言い方からすると相当凄い?」
困ったように苦笑いしてする甘木に、小太郎は声を潜めた。思わず肩に力が入った。自分で聞いておきながら、耳を塞ぎたいような気持ちになる。
元々、小太郎は恋愛の話が苦手ということもあった。小太郎にとってこんな質問は自分らしくない。けれど、この男にはそれが身近であるという雰囲気だ。
考えてみたら、どうしてそんな違いがあるのに友達にまで接近できたのだろう。
「いや。相当っていうか、多分予想外だったりちょっと変わってるって思われるかも」
「そうなんだ」
聞きたくない。
相槌に形だけの好奇心を乗せることもできずにいる。
すると、甘木の方が「直近の話でいい?」と身をかがめて小さく言ってきた。
その時あまりに甘木の視線が近くて戸惑った。
「チョッキン?……」
「一番最近のことだよ」
どこか呆れたように甘木は笑った。小太郎はああ、と返答をした。
「小太郎ってやっぱり可愛いね」
「早く言えよ」
軽口を叩く甘木に冷たく催促する。甘木は本題に入った。
「相原ってわかる? その子に告られた」
「……ふうん。さっき色々言ってたけど全然、予想外でも何でもないじゃん」
相原結衣のことか。とても明るく声の大きい女子だ。見た目も可愛い方で、スクールカーストで言うなら上の方としか思えないタイプだった。学校は彼女たちが楽しむためにあるのかもしれないと錯覚してしまう。
あの純粋な明るさを信じるとしても、あまり敵に回したくはない。
甘木に目をつけるのは当然に思える。都会から来た大人びた同級生と釣り合うと思ったのだろう。
「だって、直近の話だから」甘木は姿勢を元に戻し、空になった弁当を包み直した。
「そっか。それで?」
甘木はチョッキンではない話を匂わせている。本当は甘木は喋りたいのかもしれないと小太郎は落ち着かない気持ちで考えている。
「……うーん、結果的には丁重にお断りしたんだ。だってなんか色々、おおっぴらにバーンとこられる感じがちょっとね。そりゃあ、決断と勇気は認めるけど……俺はもっとこうひっそりしてるほうが好ましいっていうか……」
小太郎はホッとする。甘木の言うことに大いに共感していたし、どこか励まされるものがあった。安心して聞く。
「今まではそうだったの?」
「うん、まあ。そうかな。俺は、そういうことって気持ちを秘めていて、誰にも気づかれまいとしていて、本人にすら隠そうと健気に振る舞っているようなのがいい。それだったら、男でも女でもいいのに」
「おとこ」
小太郎は驚いて、息を呑む。
途中までは普通のことを言っているようだったが、結末があまりにも想定外だった。
甘木の言っていた予想外とか変わっていると表現したのはこのことなのだろうか。
聞けないまま、仕方なく甘木を見つめることになった。
甘木は「そんな顔しないの」と言って小太郎に微笑みかけた。
なんだか無性に恥ずかしくなり、本当に自分がどんな顔をしていたのかがわからない。顔が熱いことはわかる。
昼休みが終わった。
甘木は再び、小太郎の顔を見て顔が赤いことを指摘してからかい、自分の席の方向へと戻っていった。
顔への指摘には、「そうかな」ととぼけることに精一杯だった。
動揺が止まずに甘木の姿や言動が繰り返し思い出される。
授業が始まっても全然頭に入ってこない。
これはかなり重症化してきたと、小太郎は思った。
甘木で心の中が一杯になっている。
限りなく恋に近い何かを抱いているのはわかる。
けれど、もう少し抵抗しようと思う。
気持ちを秘めている方がいいって言うのなら――
小太郎はそっと廊下側の、甘木の席の方向を見る。目が合った。
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