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第2話 香りと酸味

 学期末試験を迎えるにあたり、ほんの少しだけ教室内にはいつもとは違う緊張感が充満していた。四時間目の授業は自習ということになり、一時的に担任は教室を離れた。    静かな教室は一気にクラスメイトの話し声で溢れはじめる。  あれがわからない、これが難しいと相原結衣が教科書を手に頭の良い女子のところへ移動しながら騒いでいる。  甘木の方向を一瞬見たような気がするが、小太郎は気のせいにした。    小太郎の席の隣に甘木が来た。周囲と同じ理由で、眠そうな顔で質問をしに来たのだった。  甘木が遠慮なく、小太郎の消しゴムを使って丁寧にペンケースに戻してくる。  戻った消しゴムを今度は小太郎が自分で使うことになった。やけに暖かい消しゴムに、甘木の体温を知って、胸が高鳴ってしまう。    こんなの本当に、本当に友達としてはおかしい。  別に可能性を感じ取ったから、より拍車がかかったわけじゃない。態度だっていつもとは変えていない。  ただ。  もう自分の気持ちには嘘がつけないところまで来ている。     話していて楽しい。姿も大人っぽくてカッコいい。頭はそれほど良くはないみたいだけど、運動神経はいい。声もいい。字は汚いけど、不思議な感じで悪くない。  そのまま自習の時間が過ぎ、流れるように昼休みに入った。甘木は自分の席に戻り、パン屋の袋を揺らせて再び小太郎の席まで来た。   最近、ずっと連続してパン生活になっている。弁当作りが大変になったということなのだろうか。    「今日、実はやたら眠くてさ、これ食ったらさすがに冴えるかな」  小太郎の前に妙に赤いパンふたつが登場し、パンと一緒に購入したと思われるコーヒー牛乳が机の上に置かれた。   「やっぱりそうなんだ。言わなかったけどそんな気がした」 「言わなかった。ってのがいいよなあ」  甘木はそう言って笑った。   「……だって、眠いだろって言う前にさ。色々、質問してきたし」  妙なところで、褒められてしまったので思わず小太郎は口ごもる。  褒めないでくれれば、どうして眠いのか、寝不足になるような何をしていたのか聞けたのにと思う。  仕方なく小太郎は鞄から弁当とお茶を取り出した。   「今日も自分で作ってきたの。偉いよね」 「甘木は最近そればっかりだね」  小太郎はパンを指差す。そして弁当を開いた。箸を持つ。その間に甘木はパンに噛り付いた。 「ああ、いいからって断ったんだ。やっぱり辛いパンが食いたいから」 「そう。なあ、今日はチーズケーキ作ってきたんだけど……あんまり甘くないかも」  小太郎は試験前のお菓子作りは程々にするようにと母親に言われていた。  だから手間の少ない方法で作った。    甘木に合わせたものをたまに作った方がいいのだろうか、と毎度過ぎる。  けれどそれを行動に起こすことを想像するだけで、気恥ずかしさで死にそうになった。  甘木の為に。  甘木の為に…そういう気持ちを忍ばせたものを食べさせるとする。この上さらに、背徳感の甘みにまで浸かってしまうのは、少し怖い。  夢と繋がったお菓子を作る行為には、道徳的な姿勢でいるという自分への建前があった。 「マジ? あんまり甘くないなんて俺に気を使ったの? 俺的には辛いものから甘い物への味覚の移行が気に入ってるから気にしなくていいんだよ。」 「気なんて使ってないよ。え、逆にたまには辛いもの作って欲しいとか、思ってた?」  小太郎は本人に気持ちを聞いてみたくなった。  軽い素ぶりを見せておこうと早口で発する。   「思わない。今は好きなものを好きなように追求しているところが、小太郎のいい所で……ええと…」   珍しく甘木が言い淀んだ。甘木は自分の頬を自分で叩く。   「何してんのさ」 「俺、アホだから余計なこと言いそうだったからさ」 「余計なことって、一体何を言おうとしたの」  傷つけられるような流れでは無かった。小太郎はその先への甘い好奇心を捨てられなかった。 「……?」小太郎は考え込む甘木の言葉を待った。待つ最中、小太郎はどれだけでも永遠に待てると思った。それくらい好きだという気持ちが高まった。 「す……」  甘木はじっと小太郎の目を見る。「すごい、カッコイイ所だと思うからさ」   「あ、……そっか。それはありがとう」   そうぎこちなく発した後、小太郎は冷静さを気取って「試験勉強頑張ろうな」と締めくくった。   甘木にカッコイイと言われては、こっちも本当にいい男にならないといけないのである。 あらゆる物事へのモチベーションが上がる。   授業が始まってから思い出しては、眠い振りをして自分のにやけ顔を隠した。   そして馬鹿だなあと思った。

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