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第4話 ロールケーキ

 昼になった。いつもどおり甘木はパン屋の袋を揺らせて、小太郎の前の席に来て机を向かい合わせに回転させた。  いつもと同じで嬉しい反面、人の目を気にしてしまう。  昨日の太田と話してからずっとこれでいいのかと、憂鬱な気持ちだった。  その延長線上だ。  自分の捻くれた態度のせいで、甘木が悪目立ちして教師に注意されてしまった。さらなる痛手に小太郎は食欲がいまひとつ出ない。   「なんか浮かない顔してんなあ、なんか悩みでもあるの?」  「そんなことないけど……」  甘木の強い視線に、隠すという選択肢が薄れていく。甘木に聞かれたことはすべて応えたい自分がいるのであった。   「けど……? 弁当食ったら場所変えるか」 「うん」  優しい気遣いに、小太郎は小さく頷いた。  見かけだけでなく、こういうところも好きだと思った。けれど、これから話そうとするのは相原の気持ちが甘木にまだあるという内容になるのを避けられない。  そうなると相原との交際を勧める言い方に逃げてしまう気がする。  本当は嫌なのに。  そうするしかないのか。  小太郎は自分にとって大きな嘘をつく為に、決意した。  中身をやや残した弁当を鞄に収納すると、二人で教室を離れてひんやりとした廊下を歩いた。いつまでもこうしていたい気持ちが歩みを遅くさせる。すると甘木は言った。   「このあたりでいいか」  結局のところ使用の少ない保健室の前の階段まで来ていた。確かにひと気もなく辺りは静まり返っている。文句は言えなかった。  小太郎は、頷くと息を大きく吸う。   「俺さあ、もう作ったお菓子を持ってくるのやめる。あんまりよく思っていない人も居るみたいだからさ。それで、もう飯を一緒に食べるのもやめよう。なんかこう、甘木はもっと俺じゃなくて、想ってくれる人を振り返ったほうがいいかもしれないって思って」 「やだね。却下だわそんなの」 「ええ……?」  あまりの即答にまず驚いて一歩後ずさりしてしまった。その分、一歩甘木が寄ってきた。   「やだよ。なになに、まずよく思っていない人って誰? ひょっとして相原結衣になんかいわれたりしたの?」 「直接ではないんだけど、あんな餌付けされちゃあ敵わないって言ってるらしくて。つまり、そのせいで断られたと思ってるっぽくって……」  そう言いながら小太郎は、相原本人に直接、真意を問いただせばよかったと思った。相原には一体、どんなふうに自分が映っているのだろうか。  あくまでも友達としての諦めを持って甘木には接しているつもりなのだ。  甘木は困ったように笑って、それはね。と言い難そうに口を開いた。   「相原に、告白されてすぐ断ったって小太郎には話したけど、それは本当は少し付き合っててすぐに別れたんだ。短期間だったから、少し摘んで喋った」 「……少し摘んだって、ものは言いようだね。それ嘘をついてたってことでしょ」  それなら相原からの執着は少しは腑に落ちると思った。気持ちを一旦受け入れたのと、受け入れなかったのでは心持ちが違ってくるのは想像がつく。   「嘘って言えば嘘かもだけど、まだお前とはそんなに話してない頃にあったことだから省略したってことだよ」  摘んだとか省略したとか、言い訳も年相応ではないものを感じた。その分、少し背伸びして知ったふうな言い方を小太郎は選ぶ。   「それって、相原が可愛そう。なんか、もてあそんで捨てたら後は知らないって言っているのと同じだよ」 「もてあそんでないよ。指一本触れていない。断るのが可愛そうだなって慈悲の心が湧いたから、一旦受け入れただけで、後から違うなと思ったから別れた。ただそれだけ」  指一本触れていない――    それが返って怪しく感じてくる。甘木には経験がある。知っている側の言動だ。  小太郎は酷く甘木との落差を感じる。行き過ぎた気持ちと現実がめちゃくちゃになって、心許ない。どの位置から自分が甘木に嘆きや嫉妬を表そうとしているのかもよくわからなくなってきた。   「……思ったより、俺と甘木……お前は友達じゃないんだな」  甘木に向かって発したが、自分自身にも響いた。友達ではない。  ライバルの多いだらしのない男に、惹かれていた。    友達としてなんか見ていなかった!  せめて友達としての役目も果たせればいいものの、それすら果たせない!    そう自分で突きつけたものはナイフのように鋭かった。  小太郎は痛くて涙が出てくる。どうしようもなかった。横を向いて必死に腕で泣き顔を隠すのが精一杯だった。    その小太郎をあやすように、甘木は向いた方向に回って頭を下げた。 「ごめんなさい」  背の高い甘木の頭が、自分の目線の下になる。  なんだか冗談のような風景だった。けれど小太郎の方からは何も思いつかない。   「ちょっと、泣くなよ。ごめん、本当に。俺、本当に相原には悪いことしたよ。その気が全く無いのにさ、押しが強かったし学校も変わったことだしちょっとどうかなと思って付き合ってみたってことも最低だったと思う。ちょっと弁当作って貰ったりしただけだよ…………まさか、お前にこんなに近づけると思ってなかったんだ。半ば絶望的な目で見てた。だからさ、小太郎。いや小太郎様……機嫌直して」 「何言ってんの、もう。俺は嘘つかれてショックなんだよ」  最近はあのアイスブルーの弁当箱を見ていない。そういうわけだったのか。  それにしても――小太郎様なんてふざけている。そして文字通り機嫌を伺うようにこう言い出した。甘木の手が小太郎の肩にぽんと乗っかった。   「なぁ、この前言ってたドーナツ屋に行こう。もちろん俺のおごりで。……あと、あの、これはいい加減気づいてると思うけど――実は甘いものはそんなに、そんなに苦手じゃあないんだ。これも嘘って言われたら返す言葉もないけど、許してくれる……かな?」  甘木が首をかしげて覗き込み小太郎の様子を見ている。  ここに来て実は甘いものは苦手ではないことを持ってくるのは、もう正直に向き合うという意味なのかもしれないと小太郎は思った。それなら、と一旦小太郎は顔を上げた。   「やっぱり、そうなのか。薄々そう思ってたけどさ。太田も、あんなにうまそうに食うのに甘い物苦手なんておかしいって言っていたんだ」 「そうか。俺、嘘が下手かもだな。馬鹿みたいだろ。あっ、ちょうど良かった。飴あった」  苦笑いを浮かべて喋りながらも甘木は自らのポケットの中身を探り当てていた。  小太郎の手に無理やり飴を握らせる。  飴あげるから勘弁してください。そう甘木は言いたいに違いなかった。   「飴なんか……俺をバカにしてる? 言っておくけど、お前が思っているよりずっと傷ついているんだからな」  人に対して強い言葉で自分の気持ちを口にした。  小太郎にとってそれは生まれて初めてに近い。しかし甘木はそれに怯むことはない。返って今ので、目つきが変わった。   「じゃあ、言うけど俺だってお前が思うよりすっごい焦ってるよ」 「そんな風に見えない。さっきから俺のことバカにしてる」   「してないよ。俺がここまで、お前に近づくのにどんだけ苦労したか知らねえだろ。俺、自分で言うのもアレだけど目立つ方じゃん。なのに最初、お前俺に全然興味ないみたいだったしさ。だからって変に周りに小太郎のこと聞くわけに行かないし。普段おとなしくて特徴がないから話すネタもなかったもんな。接点を見つけたときは嬉しかったよ」 「接点?」 「お前がすごい甘い物好きで、自分でもお菓子を作るってことだよ」    お互いの味覚や好みの話は確かに良くしていたが、そんなことはありふれたことだった。誰でもする話だ。それにそんな話は今もしている。  甘木は続けた。    「それを知ってからはトントン拍子だった。俺は好みを正反対にすることで活路を見出したんだ。そうだろ? 好みが同じってのももちろん強いけど、正反対の方が俺的には都合よくことを持っていけると思ったんだ」 「食べ物の好みなんて、ありふれた雑談なのに……」  ずいぶん戦略的だったんだと、小太郎は思った。  その意味についてまで、思考はまだ至らなかったが、その戦略はたぶん成功している。  好みが違うのに、食べてくれるというのは不思議な印象を残していたし、捻くれた感想が貴重に思えていた。そして特別になった。   「雑談と言ってしまえば確かにそうだよ。だけど、俺は手応えを感じたんだ。一番最初は確か、アップルパイだった。お前はなかなかのこだわり屋で、本気でやっていると判った。この前も言ったかもだけどそこが良くて、俺はお前のことが本当に好きになって……」  そんなふうに甘木が締めくくるなんて残酷だなあと、小太郎は思う。けれどそこは責められない。こっちが勝手に感じていることだった。小太郎は静かに言った。   「……好きなんて。そこまで言わなくていいよ。でももうわかったよ。甘木」    それでいいや。  言うことは言えた。泣いたりしてしまったが、それも手伝ってかある程度の感情には収まりがついていた。あとで笑い話にでもなればいい――    その時、甘木によって左の肩が壁に押し付けられた。小太郎は、見上げた。  甘木の目が少し潤んで見える。    「あ?! お前、この好きを勘違いされちゃあ困るんだよな。俺のは、本気だよ。キモイとかそんなの知らねえ。だって仕方ねえだろ、好きなもんは好きなんだ。俺の今までの話、聞いてたよなあ? 小太郎」    呆然としていた。 「……え?」  聞き返す声も喉の奥からまともに出てこない。ただお互いの好きの種類を図るように黙って見つめ合う。  遠くから、こちらに向かって歩いてくるようなざわめきが聞こえる。急かされるように甘木は口を開いた。   「無理なら仕方ないけどさ」  そう諦めの良い大人のように目を逸らす。しかし言った後に甘木は首を振った。視線が小太郎に戻ってくる。   「いや、いや――そう簡単には引っ込みはつかないけど」  真剣さを目の当たりにして、小太郎は一気に体温が上がってくるのを自覚していた。顔が赤くなるのをからかっていた甘木が気づかないわけがなかった。    小太郎の気持ちを見抜いて、勝算の上で告げたのかもしれない。そう思うと、恥ずかしく  なんだかずるいなという複雑な気持ちに転じた。  やっと小太郎は声を出す。   「……そう、だよ。簡単に引っ込んでもらうとこっちも困る」    ずるいなという気持ちが、高ぶる想いを抑えてこんな言い方になった。  甘木は大きく息をつくと噛みしめるように「嬉しい」と言った。その後、叫びたいとも言い、小太郎は止める。そうして二人で笑い合った。  笑い合うと色んなことがどうでも良くなる。    時間的なものか、この場所も人通りが増えてきた。  やがてチャイムが鳴った。    小太郎と甘木は教室に戻ることにした。その時、少しだけ手を繋いだ。  暖かく新鮮な感触が嬉しかった。    階段の踊り場の窓から青空が見える。  冬の近い空はもう色が薄い。    次のスイーツは何を作ろう。その前に甘木とドーナツを食べに行こう。  約束通りおごって貰うんだ。         終わり

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