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21♡3
「違ぇよ。俺が言いたかったのは……」
俺を壁に押し付けていた力が、抜けていく。
聖南はもう一度大きなため息を吐いて、俺のほっぺたを両手で包み込んだ。
「……なぁ葉璃、見違えたな」
「え……?」
優しい声だった。
それはまさしく、褒めてるんだぞと意味を含ませた笑みまで浮かべて、見詰めてきた。
俺自身が変わらなくちゃって思ってた事を、全部分かってるような口振りで……。
とても優しい声と微笑みに、泣きたくないのに目頭が熱くなった。
「葉璃が蝶になった」
「蝶……?」
「あぁ。あと、音痴じゃねぇじゃん」
「そ、それは……!」
以前言った事を蒸し返されて、顔から火が出そうだった。潤んだ目元から涙が引いていく。
しかも蝶って……何の事だか分からないし。
思い出さなくていい事まできっちり覚えている、一ヶ月ぶりの聖南の瞳にドキドキした。
「俺は、葉璃を待ってる。いくらでも待つ。それまでは手出さねぇから安心しろ」
「…………っ」
「これだけ、……伝えたかった」
俺がビクついてると勘違いしたのか、そう言って本当に解放してくれた聖南が俺に背中を向けて、眼鏡を外そうとしていた。
その後ろ姿を見た瞬間、俺の体は見事に、勝手に動いた。
── 俺のだ、俺の聖南だ!
驚いた聖南が振り向く気配がしたけど構わず、背後からギュッと力いっぱい抱きついた。
考えるより先に、俺の脳が、心が、聖南から離れたくないと一心に叫んでいたんだ。
「もう、待たなくていいです」
「…………何?」
「聖南さんの事、好きです。もう逃げません。だからもう、待たなくて……っ」
言い終える前に、完全にこちらを向いた聖南が俺を力強く抱き締めてくれた。
俺も、ありったけの力を込めて聖南の背中を掻き抱く。
カシャンッと聖南の眼鏡が落ちる音がしたけど、二人ともそんな事に構っていられなかった。
「……葉璃ーー……」
切なげに俺を呼ぶ声に、俺を抱き締めるために背中を丸めてる聖南に、みるみる愛しさが湧き上がってくる。
大好き。大好き。
大好き。大好き。
何もかも、どうでもいいと思った。
聖南は「いくらでも待つ」と言ってくれた。
俺のすべてを理解しようとしてくれる聖南から、離れたくないと思った。
こんなに大好きなのに、なんで俺は手を離そうとしたんだろう。
しかも、何度も。
聖南が想ってくれてることに胡座をかいて、のうのうと駆け引きのように聖南を惑わせた自分が心底許せない。
密着したところから伝わる聖南の心臓の音が、それ以上早く脈打ち続けたら死んじゃうよってくらい、ドキドキしていた。
それだけでもう、充分だった。
俺の心臓も壊れそうなくらい、速く動いている。
聖南を想うと胸が苦しい。毎日スマホを見詰めて、届く事のない「聖南♡」からのメッセージを待っていた。
意地を張るのも、悩むのも、考えるのも、俺には無理だった。
″必要としてくれている大事な人を大切に出来ない″ 俺は、これからも何も変わらない真っ暗でウジウジした世界に居続けなきゃいけない。
聖南の存在の眩しさや与えてくれる好意は、そんな俺の窮屈な世界を変えてくれるって、ずっとずっと前から分かってたのに……。
「いいのかよ、そんな事言って。俺は年単位で待つって言ったのに」
腕の力を緩めた聖南が、顔を覗き込んでくる。
それほど彼も真剣な気持ちで向き合っていたんだと思うと、俺の勝手な逃げは自分の事だけじゃなく聖南の事も傷付けていたんだと思い知った。
好きだと言う聖南の気持ちを疑い続けて、俺なんかっていつまでも卑屈になって。
……伝えなきゃ。
ちゃんと、聖南と居たいって、伝えなきゃ……。
「いいんです。ちゃんと考えました。あ、いや……考えたっていうか、もう体が勝手に動いちゃったんですけど……」
「……葉璃、明日レッスンは?」
「えっ? えーっと、明日はレッスンないですけど……」
「そ。じゃあ明日は学校欠席な」
「え!? なん、……」
「葉璃の事を思えば、今までと同じで学校優先って言ってやりたいんだけど。そんなかわいー事言われて俺が我慢できるはずないじゃん。もう何日、葉璃に触れてないと思ってんの。我慢できない」
試験はもう終わったんだろ? なんて不敵に笑う聖南に、俺は見惚れていた。
顔が熱い。だって、聖南が俺を求めてる。
触れたくてしょうがなかったって、抱き締めてくれた腕の強さが証明してる。
どうしよう。
ヤバイくらいドキドキしてきた。
目の前の聖南は、さっきまでの優しく包み込むような穏やかな瞳は一体どこへやったのかというほど、あの日と同じ雄の目をギラギラさせて俺を見下ろした。
「せ、聖南さん……?」
「帰るぞ」
「帰るってどこに……!」
「俺ん家に決まってんだろ。もう待たなくていいって葉璃が言ったんだからな」
「〜〜っ、そりゃ言いましたけど!」
ちょっと急ぎ過ぎじゃないかな……!?
俺が答えを出す日を待ち望んでいたかのような、聖南の「我慢できない」。
この約一ヶ月近くの間、本当にやり取りは一切無かったから、もうこれだけ俺との連絡を断ってるって事はてっきり聖南はまた綺麗な人達と遊んでるのかと思っていた。
さっきの聖南の他人行儀な態度もそう考えると納得できて、俺はこれからどうしたらいいかなと落ち込む寸前だった。
それはネガティブでも何でもなく、聖南と離れなきゃいけない、失恋を噛み締めてどん底に沈まなきゃと、そんな悲しい決意をしようとしていた。
おもむろに手を繋いできた聖南は、落として壊れてしまった眼鏡をダストボックスに放ると、怖いくらい美しい形相で、
「手出すからな、覚悟しとけ」
なんて、俺のドキドキをわざと増幅させるような事を言った。
聖南の掌は男らしくて、大きくて、温かくて、握ってきたそこからですら愛を伝えてくるようだった。
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