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 二人ともの唇周辺が大変な事になっている。  楽屋だからあるだろうと踏んでいたメイク落としで、聖南は急いで葉璃と自身の口元を拭った。 「もう! 聖南さんいっつもこれ!」 「悪かったって。そんなかわいー格好してる葉璃がいけねぇんだろ。俺は少ししか悪くねぇ」 「俺も悪くないです! てかもうすぐ本番なんですよ! ヤバイよ〜唇どうしようっ」 「落ち着け、調達してきてやるから」  本番間近だというのは聖南も分かっていたが、我慢出来ないほどに葉璃が可愛過ぎた。  何かあるとすぐに拉致される葉璃が不満に思うのも仕方ないのかもしれないが、とにかく可愛い過ぎたのだからしょうがない。  それしか言い訳がないのだ。  壁時計を見ながら狼狽える葉璃を残し、さすがにここには施す物が無いのでメイク室へ行こうと聖南は飛び出す。  するとそこに、偶然アキラとケイタがスタジオに向かおうとしている所に出くわした。 「わっ! ビックリしたぁ。セナこんなところで何してんの? あと十五分でmemoryの出番だよ? 見に行こー」 「悪い、メイク室行って赤系の口紅何でもいいから持ってきて。ぷるぷるするやつ」 「えぇ? 何それ、セナが塗るの?」 「……もしかしてそこにハルがいるのか?」 「頼むから急いで!」  事態を呑み込めていないケイタはそのままそこに居たが、一方のアキラが「呆れた」と呟いてメイク室のある方へ走り出した事で、聖南はホッと胸を撫で下ろす。  長男気質の彼は非常に察しが良かった。 「ねぇ、どういう事?」  いつも自分は置いてけぼりだと不貞腐れたケイタは、若干イラついた目で聖南を見た。 「こういう事」  聖南は仕方無しに周囲を確認した後、楽屋の戸を開けた。  そこには壁際でしゃがんだ葉璃が、まだ「どうしよう、どうしよう」と唸っていた。 「あ! ハル君! ……ん、ハル君??」 「……今はハルカです……」  葉璃を見付けたケイタが首を傾げながらそこへ駆け寄ると、しゃがんだまま "どうしよう" の顔で訂正していて聖南は咄嗟に笑いをこらえた。  大人としてあまり良くない事ではあるが、もし万が一本番に遅れようとも何とかしてやる力はある。  そのため聖南はそれほど慌てていないけれど、いくつものプレッシャーを抱えた葉璃は先刻の聖南とのキスすら後悔していそうだった。  社交的なケイタはしゃがみ込んでその顔を覗こうと躍起になっているが、葉璃はあからさまにその視線から逃げている。  思えばケイタと葉璃はまだ、挨拶以上の接触がないからかどことなく壁があるのかもしれない。 「ハルカ君? あ、いや、影武者中だからハルカちゃんって呼んだ方がいいのかな」 「…………」  ケイタと葉璃は歳が近いので仲良くなれるだろうと思ったが、根本的な性格が違うのでまだまだ時間がかかりそうだと、堂々巡りな二人を眺めていた聖南は苦笑した。  何度も葉璃の顔を覗き込むケイタと、ぷいっ、ぷいっとそれから逃れる葉璃は見ていて微笑ましいとは思った。  聖南の相手が男である葉璃だと判明した際、ケイタは何の偏見も見せずに「セナはやっぱ最先端いってる」とすぐさま応援姿勢に入っていた。 「ケイタ、出番まであと何分?」 「えっとねー……、あと十一分」 「余裕だな。五分前に前室滑り込めばオッケー」 「ま、大丈夫だね」  聖南が赤のスパンコールならケイタは紫のスパンコールで、どちらも肩口にもふもふを装備し長いマントを携えた綺羅びやか過ぎる二人は、狼狽える葉璃とは違いのんびりしたものだ。  葉璃はしゃがむのをやめて床にペタンと座ると、体育座りで足の間に顔を埋めた。 「オッケーじゃないですよ、もう……」  そう言いながらも、リップグロスを持って走り込んできたアキラも交えての狭い楽屋内での一騒動は、葉璃の緊張をかなりなくしてくれたようだった。  「口紅はどうやって塗るんだ」とそこで初めて慌てる聖南と、「こうやるんだよ!」と根拠のない自信で奪うアキラ、さらにそれを奪ったケイタが、「舞台でいつもやってるから」と最終的に葉璃へ紅を施してやっていた。

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