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63・⑦必然ラヴァーズ

 葉璃の自宅へ到着する一時間前。  他人の家へ赴くには非常識過ぎる時間だったが、葉璃を抱き締めたくてたまらない聖南は廊下をウロウロと歩き回り、会いに行こうかどうしようかと悩んでいた。  葉璃と恭也の初舞台を最高のものにするために、こっそりsilentの振付を担当した者からレッスンを受けたのはほんの二週間前の事だ。  何かもっと強く背中を押せる事があるのではないかと考え、アキラとケイタ、ダンサー達にもETOILEのバックダンサーの件を伝えると皆喜び勇んで賛同してくれた。  聖南にとっても、CROWN以外のアーティストに曲を書いたのが初めての経験で、まさに未知の領域だった。  事務所の力の入れようが凄まじく、それを悟られると二人は怖じ気付くのではと心配していたけれど、その思いは実は聖南も同じであった。  自身の実力に不安はない。  だがデビュー曲を手掛けるというのは相当なプレッシャーがあって、ETOILEを羽ばたかせてやるだけの力量があるのか、デビューを後押し出来るほどの精錬さがあるのかは正直なところ未知数だった。  手探りのまま、ネガティブな事はなるだけ考えないように努めていたけれど、葉璃と恭也は聖南の予想を遥かに越えた成長を見せてくれた。  この世界は、一般より優れた才能と華が大いに必要となる。突出し、抜きん出た何かが無ければ生き残ってはいけない。  葉璃と恭也は、去年の顔合わせではとても原石と呼ぶにはなかなか難しい二人組だった。  葉璃は現在よりもっと人見知りが激しくて俯いたままで硬直していたし、恭也に至っては前髪で顔が見えず、猫背の野暮ったい男だという印象しか抱かなかった。  それが今や、三万人以上のCROWNのファンをも虜にしていたのだ。  垢抜けた、この言葉だけでは到底足りない。  聖南の名前で売り出してやれるならどんどん使えと林にも言い伝えていたけれど、それは要らぬ世話だったかもしれない。  あの二人はすでに、輝かしい自分達の階段を歩き始めている。  まさに、年々磨かれて光に深みが増す、ダイヤの原石として──。 「気分いいなー……今葉璃をギューッて出来れば最高なんだけどなぁ……」  何故か恭也にくっ付いて離れなかった葉璃は、アキラとケイタに強引に連れて行かれた聖南が急いでシャワーを浴びて戻ると、すでに帰宅していた後だった。  冷たくあしらわれはしたが、照れているか感動しているか、そのどちらかで聖南を見る事が出来なかったのではと思っている。  ステージの上で、たくさんのライトと歓声に包まれた中での葉璃の微笑みは、この世のものとは思えないほど美しかった。  天使そのものだった。  しっかりと聖南を向いて微笑んでくれたのでバッチリ脳裏に焼き付けてあるが、あの笑顔を見せてくれたのに抱き締めさせてくれないのは……「冷たい」。  打ち上げ終了と同時に私服のまま関係者入り口を出てもまだウロウロしていた聖南は、このままホテルに戻っても後悔するだろうからと決心して、一歩を踏み出した。 「誰が聞いているか分からない場所で彼の名前を出さないで頂けますか、セナさん」  すると背後から、佐々木に声を掛けられた。  ライブ終了後にmemoryと共に帰宅していったと思っていたので、「なんでまだいんの?」と何気なく問う。 「あの子達送って、戻って来たんですよ」 「は? なんで。葉璃ならもう居ないけど?」 「あぁ、葉璃にお疲れ様と言いたいところですが、用事があったわけではありません。セナさんにお話が」 「何?」 「アイツ等の件です」 「あぁ、どうなったよ。てか葉璃の家まで送ってくんない? 俺足が無ぇ」 「……あなたは本当に怖いものなしというか、……得な性格ですね」 「何が? 暑いから早く鍵開けろよ」  何の躊躇いもなく、話があるならついでに送れと言う聖南へ佐々木が苦笑を見せた。  ついこの間まで殺意のこもった瞳で見ていたはずの相手に、そんな事など無かったかのような素振りであっけらかんと言えるのがすごい。  聖南はこの、明け透けで真っ直ぐな性格のおかげでトップに上り詰めたと言っても過言ではなかった。  物怖じせず思った事を口にはするが、周りを見ながら良い悪いを即座に判断するところも密かに佐々木は買っている。 「まったく……。……どうぞ」 「サンキュ。さっきから思ってたんだけどさ、昔を引き摺り過ぎだよな、この車。懐かしいくらいヤン車じゃん」 「私の青春の名残りはそう簡単に落とせませんから」  聖南は助手席に乗り込むなりクーラーの風にあたる。  ライブで汗だくだった体はシャワーを浴びてさっぱりしたけれど、外に出た途端に体に纏わりついてきた湿気混じりの外気が気持ち悪かった。  車の外装と内装につい懐かしさを覚えてしまいながら、運転する佐々木の横顔を見て笑う。 「ふーん。樹は潔いと思うけどな。前に葉璃が俺から逃げた事あったじゃん? あん時も律儀に連れて来てたし」 「ありましたね、そんな事も」 「葉璃を説得してくれたんだろ? 考えたくねぇけど、樹にとっては据え膳だったわけじゃん」 「まぁ、……そうですが。まだ別れてはいないと聞けば、手は出せませんでした。仮に出したとしても、泣かれてしまえば無理です」 「見た目は強引にヤッちまいそうなのに」  佐々木の鉄仮面の通り名は眼鏡のように伊達ではなく、何を考えているのか分からない瞳は聖南を相当に焦らせていた。  葉璃を想っていた頃、この佐々木に邪魔をされた経緯から良い印象とはかけ離れていたが、知れば知るほど総長の威厳が垣間見える。  人は見掛けによらない、以前葉璃が言っていたが、本当にそう思う。 「昔はそうでしたけどね。葉璃の事は次元が違う。大事なんですよ、……本気でしたから」 「……そりゃ俺に腹立つよなぁ。なんかごめんな?」 「謝られると惨めになるのでやめて下さい」  強気な佐々木の流し目に肩を竦める。  聖南は初恋である葉璃と愛し合う事が出来たから良かったものの、失恋に泣いた佐々木の気持ちは分からない。  その点でも、佐々木を潔いと見直してしまった。  ただし、聖南が佐々木にどれだけ心を許し始めていたとしても、葉璃の事はきっぱり忘れてもらいたい。  万が一にも奪われたくないので、余裕の笑みを浮かべた聖南は腕を組んでシートに沈んだ。 「そういうもんか。俺、葉璃にプロポーズしたからもう永遠に俺のもん」 「プロポーズしたんですか。……早過ぎません? 葉璃はOKと言ったんですか」 「もちろん」 「それなのに人を殺めようとしたんですか、セナさん……」

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