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── 一月某日 ── Ⅳ 打ち上げ①
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顔を上げて、「苦しいよ」と小言を言う愛らしい唇にちゅっと軽めなキスをすると、分かりやすく照れて可愛い。
今日会うのも一週間ぶりくらいなので、本音を言えば毎日会いたいと思っている聖南にとってはキスだけじゃとても足りない。
もっと葉璃を味わっていたいのに、これから打ち上げ会場に向かわねばならないのが億劫だ。
突然我を忘れて抱き付いてきた千鶴も居るし、ある大きな不安もよぎるし、…余計に。
『ここうるさくて良かった』
どうにか葉璃に釈明しなければと焦っていて、咄嗟にこの居酒屋に入ったがまぁ悪くない。
未成年である葉璃を連れて酒を出す店には入らないと誓っていたが、急を要する事態だったので仕方なく自身の制約を破った。
あのまま追い掛けるのを諦めてしまえば、三日間震えながらスマホを見詰める日々を送る羽目になっていた。
…考えただけでも恐ろしい。
「……喉渇いた……」
「なんか飲むか。 今から打ち上げ行くけど腹減ってんなら少し食べて行ってもいいよ」
「え、………打ち上げって俺も…?」
嬉しそうにメニューを手に取って見始めた葉璃の動きが止まる。
人見知りな葉璃はデビューしても未だ他人嫌いは治らず、大勢の人が集まるであろう打ち上げなど「嫌だ、行きたくない」と顔に書いてあって笑ってしまった。
「当たり前だろ。 ETOILEのハルは事務所の後輩だ。 後輩が先輩の千秋楽に応援に来て何が悪い?」
「…悪いってわけじゃ……」
「葉璃があぁいう場を嫌ってんのは知ってるよ。 けど場慣れするいいチャンスだ」
「えぇ………」
聖南から離れた葉璃は、メニューの二ページ目を開いたまま動かず、下唇を出して「むぅ…」と呻く。
打ち上げに連れて行かされるなら来なければ良かった、とまで思っていそうである。
表情だけで葉璃が考えている事を読めるようになってきた聖南は、『俺もこのまま帰って今すぐお前を抱きたいよ』と邪な思いは吐露する事なく、今は先輩風を吹かせておいた。
「問答無用! さーて、何食う? 走ったから腹減ったろ」
「……だって聖南さんが追い掛けてくるんだもん…」
「そりゃ追い掛けるだろ。 あんな、「別れてやるー!」って背中で絶叫されたら、急いで捕まえて謝んないと葉璃は逃げっぱなしになるじゃん」
「絶叫なんて…っ」
「しーてーたー。 俺の頭ん中にそのフレーズが飛び込んできて離れなかったんだからな」
「むー……」
聖南が恐れていた極論説もどうやら当たっていたらしい。
プロポーズにOKしてくれておきながら、こうしてすぐに聖南から離れるという結論を選択する。
こんなにも恵まれた外見をしているにも関わらず自分に自信がなくて、たっぷりと与え続ける聖南の愛を受け止めてくれていても、少しの不安要素が生まれるだけで「自分は聖南の隣には相応しくない」とあっという間に離れて行こうとする。
そんな葉璃がいじらしくもあるが、時折愛し過ぎて憎くてたまらなくなる。
葉璃しか見えていないのに。
この世界に葉璃だけ居れば何も要らないのに。
首輪でもして連れ回したいくらい四六時中一緒に居たいけれど、飼い殺しにしたいわけではない。
聖南は葉璃のふとした表情、笑顔も大好きだ。
笑っていてほしい。
ずっと。
だからこそ些細な誤解も不安も与えたくないと思っていたのに、めでたい千秋楽を迎えた今日に限って葉璃の極論を生んでしまった。
怒るのも、拗ねるのも、無理はない。
けれど聖南から逃げる事だけは許さない。
「こんなに食べたら打ち上げで何にも食べられないですよ」
「葉璃なら食えるって。 あ、一丁目の●●ホテルまで」
居酒屋を出る際にCROWNとETOILEの先輩後輩コンビの存在がバレて騒がれはしたが、大通りまで二人で散歩がてら歩いてタクシーを掴まえた。
お腹を擦る葉璃は、聖南が頼んだ五品の単品料理をほんの数分で食べ上げていたが、あの程度では腹の足しにもなっていないだろう。
ホテルに到着して打ち上げ会場へと入ると、待ってましたとばかりに恭しく中へ通された。
「セナさん到着されました〜!」
足取りの重い葉璃の背中をこっそり擦りながら、聖南は「お疲れーっす」と右手を上げる。
完全なる立食形式のようで、これならば少し顔を出して抜けるのも容易いとほくそ笑んだ。
「あ! ETOILEのハル君が居るー!」
「ほんとだー! そっか、お二人は事務所の先輩と後輩になるんでしたっけ!」
「可愛い〜!」
「生で見ると女の子みたぁい!」
「綺麗な顔してるー!」
葉璃に気付いたキャストの女性らがわらわらと近寄ってきた。
そんなに近付いたらフリーズするぞ、と聖南は女性らに注意しようとしたが遅かった。
大勢の他人に囲まれた葉璃は、カチコチになって顔面から全身まで硬直させている。
『この姿めちゃくちゃ可哀想なんだけど…いっつも面白可愛いんだよなぁ』
葉璃が困っている姿は、獲物に忍び寄る猫のように気配を消そうと必死で、つい頭を撫でてあげたくなる。
ETOILEが認知されている事も単純に嬉しいので、聖南は少しだけ傍観した。
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