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── 四月某日 ── 新居にて

 葉璃の荷物が実家から運ばれてきた。  しかしそれは、たったのダンボール二箱。  引っ越しの荷物がこれだけしかないと逆に中身が気になって仕方がないが、持ち主が居ない今、勝手に開けるわけにはいかない。  聖南はもう、三時間はこのダンボール二箱と向き合っている。  コーヒーも四杯目に突入し、スマホとダンボールを交互に見てはジリジリしていた。 「それにしても遅せぇなぁ…」  歌番組の収録で遅くなるとは聞いていたけれど、二十二時を回っても葉璃が帰って来ないので聖南は痺れを切らし始めた。  この日のために、前倒しに次ぐ前倒しで仕事を終わらせたのだ。  いつ葉璃が帰ってきてもいいように、早めに帰宅してその時を待っていた。  葉璃の事だから、聖南が帰っていないと分かったら玄関前でひたすら連絡も寄越さず聖南の帰りを待つ。  「聖南さんに迷惑は掛けられないです」  そんな事を指をモジモジさせながら、上目遣いでしょんぼりと言ってくる可愛い妻が脳裏によぎれば、仕事を切り上げて帰らない旦那がどこに居る。 「下で待ってようかな…」  連絡も来ないという事は、まだ収録が続いているのだろうか。  ETOILEのマネージャーである林には、二人は未成年なのだから絶対に二十二時以降は仕事させるなと、あれほど言っておいたのに。  聖南はリビングをウロウロした。  いっそ、林から送迎されてきた葉璃をエントランスホールで出迎えてやろうかと立ち上がってはみたものの、それをすると葉璃に怒られる可能性大だ。  目立つ振る舞いはするなと、歳下の恋人である葉璃からキツく言われている。  これからまだまだ何十年先も輝いていてほしいから、マスコミの餌食になるような真似だけは避けてほしい……そんな事を頬を膨らませて言われたら、おとなしく言う事を聞くに決まっていた。  なんと言っても聖南は、葉璃がすべてだからだ。  そして頬を膨らませた顔はとても可愛くて聖南のお気に入りの一つなので、二つ返事だった。  大好きで大好きで、愛してると毎日言っても言い足りないほど葉璃を溺愛しているが故に、聖南は今ここに葉璃が居ない事が不満でしょうがない。  ようやく待ち望んだ同棲当日に、三時間以上も我が家の見慣れたソファに腰掛けて孤独と戦っていると、だんだん空しくなってくる。  本当は、同棲の話自体が夢だったのではないか。  都合良く現実と夢を混在させているだけなのかも。 ……それは聖南の場合、あり得ない話でもない。 「うぅっ……葉璃ーっ…」  聖南はソファに倒れ込んで呻いた。  ここへ来ると葉璃が必ず抱いている真っ白モコモコなクッションに顔を埋めて葉璃の匂いを探すが、自分の香水の香がキツ過ぎて愛しい人の痕跡を微塵も感じない。  人前に出れば黄色い声で名前を叫ばれ、同業者からはその芸歴の長さと貫禄で一目置かれ、事務所の稼ぎ頭として聖南はほぼほぼ好きに振る舞えているが、葉璃の前では一人の男になる。  常に葉璃にはかっこいいと思われていたいが、しかしいつも可愛過ぎる恋人にデレデレしてしまう、ただの「恋する男」に───。 「…んっ! はっ、葉璃っ?」  だらりと長い足をソファに投げ出していた聖南は、玄関の方で鳴ったチャイムにドキッと心臓が飛び跳ねた。 「なんだ? 収録終わったら連絡しろって言っといたのに!」  相手を確かめないまま、聖南は玄関までダッシュしてすぐに鍵と戸を開ける。  するとそこに居たのは紛れも無く葉璃で、聖南が飛び付くより先に体に小さな衝撃が走った。 「うぉ…っ!? ……葉璃? 葉璃だよな?」 「───聖南さん、ただいま」 「─────!」  ぎゅっと体にしがみついてきた葉璃のくぐもった声に、胸の奥がツーンとした。  待ち焦がれて、ソファに突っ伏して呻いていた聖南もその小さな体を掻き抱く。 「おかえり!」  ───葉璃は言いたかったのだ。  いつものように聖南が玄関先でソワソワしながら待ち構えていては、意味がない。  何気なく帰宅し、「ただいま」と「おかえり」をナチュラルに言い合う事を夢見ていたのは、聖南だけではなかった。  聖南だけでは……。 「いっ…聖南さ、ん…っ、痛い…!」  嬉しくて興奮し、少しばかり思いの丈が強過ぎた。  通常も、抱き締めて「痛い」と言われない事の方が珍しい。  待ち焦がれていた分だけ、葉璃の「ただいま」は全身に染みた。  力加減など出来るはずがない。  葉璃への溢れ出る愛おしさは、会う毎に毎度毎度募っていて隠し通すのが大変なのだ。  頼むからミニチュアになってよ、持ち運びしたいから。  葉璃にそう言っても「またそれですか」で終わりだが、聖南はいつでも本気である。 「ごめんっ。 会いたくて会いたくて震えながら倒れてたんだ。 おかえり、葉璃。 すげぇ待ってた。 葉璃が帰ってくるの死ぬほど待ってた」  葉璃を抱き上げてリビングへと急ぎ、そのまま腰掛けてすかさず唇を奪う。  美味しいったらない。  いつも、いつも、葉璃の舌は聖南好みの甘さと温かさで、味わう度に恍惚とする。 「んっ、……」  華奢な背中に腕を回すと、薄ベージュ色のスプリングコートを着たままの細い腕が、聖南の首元に回された。  深く交わろうと葉璃の方からさらに舌を絡ませてきて、これまた幸せだった。

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