576 / 584

☆セナ様とハル姫様のお話

 ここは、遠い遠い場所に在る美しい花々や瑞々しい草木に囲まれた、幻想的で神秘的な天界。  住まう者たち皆が現世での天命を終えた後、神によって選ばれし者のみ誘導される天国に最も近い場所である。  時や命の概念がない天界でも、現世と同じく昼夜があり、それに従って皆は行動している。  現世を全うした者らは、この天界では各々好きに毎日を過ごす。  ただし忘れてはならないのは、此処でも人間界にあるようなピラミッドが存在する事。  一足早くここの住人になったセナは、誰かを無心に待ちわびていた。  現世での記憶はない。  しかし心のどこかで誰かを強く想っていた。 その大切な人を待たなければという思いに囚われつつ、現在の天界の長と共にピラミッドの頂天に君臨しながら、民のために馬車馬のように心身を費やしていた。  そんなある晩、何とも見目美しい者が天界にやって来た。  現世での天命を全うし、選ばれてこの地へ舞い降りた者は「はる」と名乗った。  此処でのピラミッドの位置を直感で判断し、天界での住まいや身分を即座に決定する任務を担うセナは、彼を見た瞬間迷わずこう告げた。 「お前は俺の永久の伴侶だ」  現世での記憶を忘れているはずのセナの直感が、見事に働いていた。  待ち人は、ハルだ。 心のどこかにずっと引っ掛かっていた、愛すべき者。  それがこのハルだと、ひと目見ただけで確信した。 「……伴侶……?」 「あぁ、そうだ。 その瞳、覚えてる。 あっちの記憶なんかないはずなのに、覚えてんだよ」 「…………?」  ハルは、セナの前で可愛く首を傾げた。  現世でいう羽衣のような真っ白の着物を身につけたハルが、セナに戸惑いの表情を見せている。  かつても、はじめはこうしてセナの事を疑うような眼差しを終始向けていた。 「懐かしい。 ……懐かしいぞ、はる。 ずっとお前を待ってた」 「………………」  一応は職務中であるというのに、セナは極上の笑顔を浮かべて両腕を広げた。 しかしハルはその場から動かず、聖南をジッと食い入るように見詰めている。  こいつの言うことを聞いて大丈夫なのだろうかという、声無き声が不安を訴えてきた。 「さすがに感触は覚えてないんだ。 抱き締めさせてくれ。 ……おいで」 「………………」  両腕が宙に浮いたままのセナと、微動だにしないハルのささやかな睨み合いが続く。  この瞳だ。 目が合った瞬間からずっと、セナの脳にあり得ない光景が浮かんでいた。  現世でのハルとの様々な記憶である。  たった今この地へ降り立ったハルは当然、セナの事を覚えていない。 セナの脳裏に走馬灯のように蘇ってきた無数の思い出達だけでなく、……何もかもだ。 「───また俺が追いかける事になるのか。 それもまぁ楽しみだけどな」 「………………」  セナが言葉を紡ぐ度に、ハルの眉間に濃い皺が寄っていく。  こいつは一体何を言っているんだ。 ……強い眼差しから、そんな思いを汲み取った。  突如として浮かんできた記憶が全て正しいとは限らない。 けれど分かってしまったのだ。  ハルだ、と。  まだ死んでもいないうちから、幾度も「俺は死んでも葉璃を忘れない」と告げてハルを困らせていた事までもが脳裏によぎった。  心の底からハルを愛していた。  死に際が恐怖だった。  命が尽きる事よりも、ハルと離れなくてはならない事が何よりも恐怖だった。 「来るのが遅えよ、はる」 「………………」  セナを警戒し一向にそばへ寄って来ないハルに、セナの方から近付いた。  人形のように固まったまま動かないハルの前に立ち、見上げてくる瞳としばし見詰め合う。  ───あぁ、背丈もこんな風だった。  一番はじめに出会った頃そのままのハルが今、目の前に居る。  待ち焦がれた愛する人を恐る恐る抱き締めると、たちまち鼓動の打たない胸に温かいものが込み上げてきた。

ともだちにシェアしよう!