5 / 38
監察日誌:山上と新人4
***
デスクで、昨日の書類の整理をしていたら、いつものようにコーヒーカップを手にした山上が、ひょっこりと現れた。
俺の一睨みも何のその、何事もなかったように、応接セットの椅子に格好良く腰かける。
「お前、昨日忠告したのを忘れたのか?」
声のトーンを落とし、唸るように言った俺の顔を、明らかに眠そうな表情で見る。
「関……想ってるだけじゃ、気持ちは伝わらないんだぞ」
「伝えるだけならいいさ。だがな、お前のやった行為は何だ?」
俺は下がってもいない眼鏡をクイッとかけ直し、山上を睨んでやった。
「……だって、水野が可愛かったんだ。しょうがないじゃないか」
「バカかっ! お前のやったことは犯罪なんだ。セクハラレベルは、越えてるんだからな」
怒り任せに、拳をデスクにガンガン打ちつけてやる。せっかく整理した書類が、めちゃくちゃになってしまった。
「分かってる……。でも抑えきれなかったんだ。水野が好き過ぎて、暴走した……」
暴走するほど人を好きになったことがないから、正直分からん。
俺は頬杖をついて、山上を見た。首をもたげたまま、床をじっと見ている。
「あんなにキズついた顔して、怯えさせるんなら、手を出さなきゃ良かった……」
「今更、後悔しても遅いぞ。俺なら配置換えの申請して、お前とおさらばするわ」
「なっ……!」
「だって、そうだろ。自分を手込めにした相手と、仲良く仕事なんて出来ないね。配置換えを申請するか、転職するかの二択だろう」
ため息をつき眉根を寄せて、後悔しまくりの山上の顔を見ながら、両腕を組む。
「水野は、関とは違う……」
「まったく。あのな嫌々捜査一課に無理矢理来させられ、お前の仕事の尻拭いをさせられてるところに、突然蹂躙されたんだ。逃げ出すに決まってるだろう?」
「だんだん、言葉がキツくなってる。僕を苦しませたいのか?」
山上は額に右手を当て、うんざりした表情で俺を凝視する。
「これくらいで弱音を吐くな。水野くんはその倍、苦しんでるんだからな」
「じゃあ聞くけど、関は好きなヤツが出来たら、どうやってアタックするんだよ? まさか原稿用紙に、愛の言葉を書き連ねる、なぁんてことをしないよな?」
糠に釘――俺の言葉に反省の色ナシか。いつも通りだけど……
「どうしてそこに、原稿用紙が出てくるんだ。そんなモノ使うかバカ」
俺は眼鏡を外して、目頭を押さえた。山上の話は基本面白いが、時々ついていけないときがある。
「じゃあ、どうするんだよ?」
立ち上がり俺のデスクに歩み寄ると、両手をついて、じっと顔を見つめた山上。眼鏡を外したまま、少し困った表情をした俺。色恋沙汰の話は、正直なところ得意ではない。
「何もしない。ただ――」
「ただ?」
山上は不思議そうな顔をして、食い入るように見つめる。
「見てるだけ、だな……」
そう言うと、顔をえらく引きつらせた。
「へぇ。見てるだけなら、何も始まらないじゃないか」
「そんなことはない。自然と目が合う回数が増えると、向こうが勝手に意識し出して、その内やって来る」
「そんな都合良く、奇跡のようなことが起こるなんて、関のその目は何か、特殊なモノで出来ているのか?」
強引に俺の顎を掴み、顔を上げさせると息がかかるくらい近くに顔を寄せて、じっと目を見つめてきた。
「近いぞ、山上」
端正な顔が間近にあり、迫力満点である。
「その目を交換して水野を見たら、落とせるのかな……」
独り言のようにポツリと呟く。交換してって、お前――
「でもな水野のヤツってば、超絶鈍いから、きっと分からないだろうなぁ。僕の恋は不毛だ」
「いい加減にしろっ!」
俺は顎を掴んでいる手をバシッと払って、素早く眼鏡をかけた。
「自業自得の結果だ。潔く諦めろ」
「関、僕は諦めが悪い方なんだよ。だから始末に負えない……」
悲壮感漂わせるその姿に、俺はどうしていいか分からないでいた。手助けしてやりたいのは、山々なんだが……
「しっかし意外だったな。関ってば、超奥手だったとは。てっきり交渉術なんか使ってさ、ズバズバ相手のことを誉め殺しして、愛の言葉を囁いた挙げ句、ヤルことやりそうなタイプだと思ってたのに」
わざと明るく喋り出す。
俺が難しい顔をして何かを考える前に、重い空気を払拭すべく、話題転換した山上。いらない気、遣いやがって……
「予想を裏切るのが、得意なんでね」
「勿体無いヤツ。そういう意外なところが、モテる秘訣なのに」
そう言って、持参したコーヒーをあおるように飲み干す。
「眼鏡を外した関の目って、すごく綺麗だった。綺麗だから尚更、キズつきやすいのかもって、さ」
「山上……?」
「俺はお前みたいに繊細じゃないから、その大丈夫だから。頑張るわ……」
以前告げたセリフを何故か口にしてから、寂しげに背を向けて出て行く後ろ姿にむかって、落ち込むなと言葉をかけられなかった。
愛に飢えている山上に、俺は何もしてやれない。力不足の自分に嫌気がさして、ぎゅっと両手に拳を作ったのだった。
ともだちにシェアしよう!