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監察日誌:決定的な失恋と唐突な脅迫事件
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「おはよう、水野くん」
その日珍しく署内の玄関口で水野くんを見かけたので、後ろから声をかけた。俺の声に振り返った彼の顔色は、えらく冴えないもので、目の下には大きなクマまで作っている。
「あ……おはようございます……」
「随分と悩んでいるようだな。何か困りごとか?」
「えっ!? どうして」
「水野くんの顔が、いつもと違うからだ。目の下にクマを作るくらい、悩ましいヤマなのか?」
意味なく眼鏡を上げながら指摘すると、ますます困った表情を浮かべ、視線をきょろきょろ彷徨わせる始末。
(かなり、アヤシイじゃないか――)
「全然っ、たっ、大したことはないんです。プライベートでちょっと……」
「ほう……それは、非常に気になるな」
「気にしないで下さいっ! 本当にくだらないことなんです。関さんになんて、とても言えませんっ」
「…………」
「そういえば、急いで仕上げなきゃならない仕事が、たくさんあったんだ。すみません、お先に!!」
分かりやすい嘘をついて、走ってその場を後する水野くん。俺にはとても言えないことって、一体何だろうな――? どんな種類のやましいことを、隠しているというんだ。
気になったので、捜査一課の刑事たちにさりげなく紛れて、こっそりと三係を見張った。
「ミズノン、昨日はお手柄だったそうじゃないか。なのにどうして、そんな浮かない顔してるんだ?」
俺の他にも、水野くんの様子が違うのを指摘した刑事。
「そりゃ悩むよなぁ。面食いな水野の恋のお相手が、一筋縄ではいかないヤツなんだから」
水野くんの横をすれ違い様、大きな声で言う林田さん。
(――なるほど、恋の悩みだったのか)
「ちょっ、水野って面食いなの? 意外だなぁ。何でデカ長がその相手のこと、知ってるんすか?」
「たまたま、現場に遭遇したまでだ。偶然って怖いねぇ」
林田さんは意味深な笑みを浮かべながら告げて、颯爽と出口に向かう。そんな彼をすぐさま追いかけ、捜査一課を出たところで、勢いよく肩を掴んだ。
驚いた顔をして振り返った林田さんの顔が、少しだけ面白い。
「ちょっと関さん、びっくりするじゃないですか。おはようございます……」
「おはようございます。さきほどの話、詳しくお聞きしたいのですが?」
微笑みながら言うと一瞬、顔を引きつらせた。
「関さんが気にするような、話じゃないですよ。くだらねぇったら、ありゃしない……」
朝の水野くん同様に、視線を彷徨わせる。
「くだらないかどうか、俺自身が決めます。一体水野くんに、何があったんですか?」
「この事実を知ってしまったら、アンタがキズつくかもしれないんだぜ。それでもいいのかい?」
どこか憐れむような目をして、俺の顔を見つめてきた。
「水野のことを気にしてないと、今日のような些細な変化を見逃すはずだ。ずっと遠くから見ていたから、分かったんだろうさ」
「林田さん……」
「見てるだけじゃ、何も始まらねぇよ。だからアイツは、他所に目を向けちまった」
「今度の恋のお相手は、一筋縄ではいかない相手……でしたっけ?」
寂し気に告げてみたら、頭をガシガシ掻きながら、深いため息をつく。
「アンタに隠してても、どうせ分かっちまうから言うけどさ……。相手は、未成年の男子高校生だ」
「は!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった俺のことを見、苦笑いして肩を竦める。
それにしてもどうして水野くんは、男子高校生を好きになってしまったんだ?
「な、一筋縄でいかない相手だろう。ソイツってどことなく、山上に似てるんだよ。見た目じゃなく、中身がな」
腕を組んで考え込むと、困惑の感情を滲ませた声で、そっと教えてくれた。
「…………」
「一瞬で心を、奪われたみたいに見えたなぁ。って関さん、大丈夫かい?」
「大丈夫じゃないです……」
「ぼやぼやしてるから、こんなことになるんだ。変な方向に歩きだした水野の心、お前さんの勇気で何とか、引き留めることが出来るかもよ?」
「そうでしょうか……」
両手にギュッと拳を作る。水野くんが好きになった高校生と自分が、張り合えるのだろうか?
「立ち止まったままでいたら、水野との距離がどんどん広がるぞ。それでもいいのかい?」
諭すように問いかけてくれる林田さんに、力なく首を縦に振ってみせた。
「俺は彼の前で、素直に言葉に出来ないので。一緒にいたらきっと、キズつけてしまうから……」
「残念だな、いいコンビだと思ったのに。アイツは多少キズつけても、ケロッとしてそうなのによ。優しいなぁ、関さん」
奥手だとか弱虫だとかマイナスワードを口にせず、なぜか褒めてくれた林田さんにホッとした。
水野くんのことで今は心が乱れていたので、本当に有難かってしまった――
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