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恋を奏でる爪音:祝福の音色

***  帰り道は足取りも軽く、今様歌手について熱く語り合う。宿で互いの気持ちをぶつけ合った後だからこそ、翼の君とは今まで以上に会話が弾んでしまった。  そんな俺たちの帰りを待ちわびてか、宮様が屋敷の門前で待っているお姿が目に留まる。  夕日を背に通りを歩く俺たちを見つけた途端に不機嫌丸出しを表すべく、への字口をしてくださった。次の瞬間、翼の君がぶわっと赤面する。 「みっ宮様、大変お待たせ致しました。まさかここまでお出迎えいただくとは、恐悦に存じ上げます。お蔭で、なかなかよい土産話をお持ちすることができましたっ」  翼の君の様子があまりに可笑しくて、口元を押さえ笑ってしまった。 「鷹久殿、笑い過ぎです」 「いや済まぬ。あまりにも初々しい様子が笑いを誘って、な」  涙を拭い、気を取り直すべく咳払いをした。 「ほんにふたりとも、仲がよいのぅ」  相変わらず不機嫌と顔に出し、じと目で見つめる宮様。 「ち、違うんです宮様! 俺と鷹久殿はけして、そのような関係ではないというか」 「ではそのような関係とは、どのような関係と表現する翼殿?」  慌てふためく翼の君に、意地悪なことを訊ねてみる。 「いい加減にしてください。どうしていいか分からず、混乱してるんですから」  困り果てて泣き出しそうな彼の肩を叩いて宥めてから、宮様に向き合った。 「失礼致しました。翼殿が仰った通り、よい歌い手を見つけた次第でござります。どのような今様があったか、まずはそれをお聴かせ致しましょう。済まないが俺の部屋にある和琴を、宮様のお部屋に用意してくれぬか?」  傍で控えていた女官に告げると、慌てた様子で屋敷に入っていく。その後を追うように屋敷の中へ入り、宮様のお部屋にて和琴が運ばれてくるのを待った。 「お待たせいたしました」  丁寧な所作で運ばれてきた和琴の前に、静かに座る。  宮様の御前、失礼があってはならない。しかも翼の君との恋仲を取り持つために、絶対に失敗は許されないのだ。  息を吐きながら背筋を伸ばして、下腹と太ももでしっかりと上半身を支えて綺麗な姿勢を保ちつつ、息を吸いながら両手を自然に琴の上に移動し、右掌を柔らかく曲げて左掌は指を揃えた後、絃の上に置きながら大きく息を吐いた。  青墓で見聞きした今様歌手の歌をしっかりと思い出し、指先でゆったりと音色を奏でていった。  ――この想いが宮様に、どうか届きますように――    宮様をはじめその場に居る者は息をのんで、演奏に聴き入っている様子を肌で感じた。  やがて短い演奏を終えるなり、翼の君に視線を向けた。 「こんな感じであったな、翼殿」  静寂を破った俺の声に、驚きを隠しきれない表情を浮かべる。 「一度聴いただけで弾けるなんて、鷹久殿はやはりすごいですね。今様歌手が詠っているところが、脳裏に浮かびました」 「それは何より。ではこちらに立っていただけるか」  指し示された場所は宮様の正面で、赤面しながら恐々と佇む翼の君の姿は、門前で見たものよりも挙動不審な様だった。 「あの、鷹久殿?」 「何度も口ずさんでいた今様だ、詠えるであろう?」  自分の中にある不安を打ち消すように語りかけてやる。暇があれば鼻歌で詠っているのを、実際に何度も耳にしていた。 「急にそんなっ」 「大丈夫だ、俺の演奏に合わせろ。目をつぶって今様歌手を思い出せ。上手い下手ではない、想いを込めよ翼殿」  渋る翼の君を無視して姿勢を正し、強引に演奏を始める。  静かに奏でられる前奏を聴きながら諦めたような表情を浮かべ、ゆっくり目を閉じた彼の姿を見、安心して爪音を奏でる。 「恋ひ恋ひて――」 (恋しくて恋しくて)  胸に手を当てながら詠う翼の君が、得も言われぬ美しさだった。その様子を、宮様は物欲しそうなお顔で見つめる。 「邂逅(たまさか)に逢て、寝たる夜の夢は如何見る――」 (久しぶりに逢って寝る夜は、どんな夢を見るのでしょう)  胸に当てていた手を宮様に向かって差し出しながら、ゆっくりと目を開けた。 「さしさしきしとたくとこそみれ」 (お互いにぎゅっと、抱き合う夢でありましょうか)  最後の爪音を弾いて演奏を静かに終える。部屋の中は、水を打ったように静まり返ったままだった。  宮様はその場に固まって動こうとせず、穴が開きそうな勢いで翼の君を見ていた。その視線に居た堪れなくなったのか、床に額をつけて慌てて平伏す。 「大変申し訳ございません。耳障りな歌をお聞かせして。青墓にいらっしゃった今様の歌い手のようには上手く歌えずその、わっ!?」  平伏した翼の君の襟元を強引に掴み上げ、しゃんと立たせるなり力任せに引きずりながら、部屋を出て行かれた。  その場に残された家来たちは揃って呆けていたが、俺はふたりのご様子に笑みを浮かべてみせる。 「ほんに良きことかな」  誰にも聴こえない声で呟いた後、宮様たちが出て行かれた反対側の廊下へと消えた。  部屋から出て角を曲がると、夜空にぽっかり浮かんだ艶やかな弓張り月が目に入る。瞬いている様子が、宮様と翼の君を祝福しているように見えた。その瞬きの中に、自分の想いを重ねる。 「夜が明ければ、この想いも儚く消えるであろう。だけど最後のその瞬間まで、噛み締めさせてもらおうか」  自分の部屋の前に着いてから、その場に座り込んで新しい時を待った。生まれ変わった新たな想いが、俺を導いてくれると信じて。 【了】

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