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恋を奏でる爪音:遠出2
***
美濃の国、青墓までの旅は数日かかる。
自分の隣にいる彼を見やると何か考え事をしているらしく、ぼんやりしていた。そんな考えを遮らぬ様に、無言でひたすら歩く。
そして宿に到着し一息を入れようと、茶を戴きながら声をかけた。
「宮様がそんなに心配か? 翼殿」
「そんな事はございません。これから拝聴する楽曲が気になりまして」
「では、良き土産話を持って帰るようにしようか」
「そうですね。仕事をさし置いてこうやって旅に出ているのですから、土産話を持ち帰らなければなりません」
「是非宮様の御前に召し出せるような、歌い手がいるといいがな」
口元だけで微笑みながら茶を一口すすった。和やかになった所で早速本題を切り出すべく、単刀直入に訊ねてみる。
「立ち入ったことを訊くが、翼殿は宮様をお慕いしているんだよな?」
「は?」
「君の行動を見れば一目瞭然だ。いつも宮様をその目で追っているではないか」
「それは家司 として、宮様のために尽くさなければと」
顔を真っ赤にして必死に誤魔化す翼の君に、力なく首を横に振った。
「言い訳なんて見苦しいぞ。して翼殿は、宮様にお気持ちを打ち明けていないのだろう?」
「勿論です。俺のような身分の低い者が宮様をお慕いしているだけで、申し訳ないというか」
手にしている茶碗を回しながら、眉間に皺を寄せて苦しそうに告げる。
「身分などと何を言っている。それになにゆえ申し訳ないなどと。何か事情がおありか?」
伏せられた睫が影を作り、翼の君の悩みを一層色濃く映し出した。
「きっと話すだけでも翼殿の心が楽になると思うのだが、どうだ?」
声をかけながら肩に手を置いてやり、慰めるように優しく叩いてみる。
「鷹久殿はご存知でしたか? 宮様が山上の宮様と恋仲だったということを」
「ああ。山上の宮様がご生前の頃、ふたりきりでいるのを見かけていたからな」
いつだっただろうか。夜空に浮かぶ満月がこちら側に迫ってくる様を拝みながら月見酒でも飲むべく、夜更けの廊下を静かに歩いていると。
『ぁっ…はぁ、あぁ……あ、ん』
誰かが喘いでいる甘い声が、風に乗って耳に届いた。漏れ聞こえる声の方角は、宮様の褥がある寝所からだった。
もしや今まさに、誰かに抱かれているんじゃ――頭の中に寝殿の見取り図を思い描き、宮様の部屋が見渡せる場所を探り当てた。
足早にそこへ辿り着き、驚くしかなかった。夜更けで誰も来ないと思ったのか、半分だけ御簾を上げ、月明かりの下で行為に及ぶお二人の姿。
最近恋仲になったと噂の山上の宮様に抱かれて長い髪を振り乱し、苦しげに喘いでいる水野宮様がそこにあらせられた。
褥の上で色香を放っている宮様の上に、後ろから覆いかぶさるようにして細い腰を持ち上げ、激しく責め立てる山上の宮様。
「やっ…ああぁっ、もぅ無理だ山上の宮っ。そんなに、荒々しくっされたら、私が壊れ……んっ、てしまう」
「無理だなんて言ってくれるな宮よ。こんなに感じさせてやってるというのに」
「あぁっ……だって、もう…胸がっ、苦し…くて」
「僕に貫かれる悦びで、胸が苦しいって?」
持ち上げていた腰の角度を少しだけ変え、ぐぐっと突き上げた山上の宮様の動きに上半身を何度かしならせている宮様のお姿から、すごく感じているのが見てとれた。
「あぁ、あぁっ、そっ……そんなことされたら、また」
その場で乱れる宮様を見つめていたら、何かの拍子に山上の宮様と目が合う。その事に驚いた俺を、印象的な一重瞼を細めて挑むように睨んできた。
――これは我の者ぞ。捕れるものなら捕ってみろ――
視線から伝わってくる、山上の宮様の想いが俺を竦ませる。
「一緒にイこうか、存分に感じさせてやるぞ」
快感で震えている宮様の身体を抱き起こし、ゆっくりと反転させて抱きしめ合う。片手は腰にもう片方は宮様自身を弄りながら、下から激しくこれでもかと腰を打ち付ける。
それらをやりながら視線は依然として、俺に向けられていた。
「ああっ、いっ、イく!」
自ら腰を上下させて身体を痙攣させて果てた宮様を、山上の宮様は抱きしめてから褥に横たえさせた。
「そろそろ僕もイかせてもらおうか。お前で感じさせておくれ」
脱力している宮様に告げたというより、俺に聴こえる様に言った気がした。
「これ以上貴方に感じさせられたら、死んでしまうかもしれないぞ」
掠れた声の宮様が、愛おしそうに山上の宮様を見つめる。
「一生をかけて、お前を愛し続けてやろう」
その言葉でようやく、廊下を去ることができた。愛し合う二人を前に俺は無用だと実感させられた。
あの時の痛みを思い出し眉根を寄せると、同じような表情を浮かべた翼の君が口を開いた。
「俺は山上の宮様に言われるまで、全然気付きませんでした。でも山上の宮様と二人きりの時は、見たことがないお顔をなさってたんです」
「見たことがないお顔とは?」
「何と表現したらいいのでしょう。甘いお顔というか、色っぽいお顔というか」
宮様の顔を思い出したのだろう。切なそうな表情になる。
「山上の宮様も酷いんですよ。やれ僕の宮だの柔らかい唇をしてるから溺れそうだとか、絹のように滑らかな肌をしてるなんて仰って、俺の心を散々かき乱したんです」
手にしていた茶碗を、音を立てて置いた翼の君。
「それは逆に、敵対心から言っていたんじゃないのだろうか?」
「そうですね。すべてを把握した上でそういう発言をしているのを分かったのが、山上の宮様が呪詛が原因で亡くなられる前日の夜でした。こんな俺に牽制しなくていいのに」
俺の言葉に、若干うな垂れながら答えた。
「呪詛について、衛門府検非違使衛士の依川殿と海崎殿にお話は伺っている。山上の宮様はきっと、翼殿が怖かったのだろう」
「残念ながら俺は、卑下すべき存在なのですよ鷹久殿」
「なに故、そのようなことを言うのだ?」
翼の君を見やると、諦めたような顔をした。
「あの夜お送りするのに、いつものように中門まで一緒に行きました。夜空には刀で切られたような形の赤い月があって、山上の宮様とふたりで忌まわしいなという話をしたんです」
「ほう」
「涼しげな一重瞼をちょっと吊り上げ気味にして、俺の顔を鋭く睨んだときに訊ねられました。お前はどうやって宮を守るかって」
帝の跡継ぎ争いで、互いが牽制しあっていた頃だ。何が起きても不思議じゃなかった。
「俺は喜んで盾になると言いました。そしたら頭を強く殴られた後に、馬鹿者って叱られたんです」
「そうであったか」
「盾となることなど、誰にだってできる。盾となり斬られて死ぬだろう、その後宮がどうなるか分からないのかって怒鳴られちゃいましてね。好きな者のためなら、全身全霊で守り抜けって」
言いながら翼の君は右拳を胸の前に出し、強く握りしめた。
「この手で守り通さなければならない。そう教えられました」
「山上の宮様のお言葉は、まるで遺言のようだな」
「誰かを想う気持ちは、どんなものよりも強い。そして自分も強くなれるんだって仰っていたのに……」
そのお気持ちがあったからこそ宮様に掛けられた呪詛を自ら受けることになり、お亡くなりになられたのだ。
「それだけ深く愛され、山上の宮様が亡くなられた後の宮様の気落ちぶりは、相当だったものな」
「はい。床に伏せられた日が、ひと月以上ありました。あまりのそのご様子に、その内誰も寄り付かなくなってしまわれて、ひとりでお過ごしになることが増えられたのです」
せっかく山上の宮様に守られたお命だというのに、あとを追うかのようなご様子だった。
「それも、無理からぬことであろうな」
「そこで考えたんです。俺が宮様にできることはないかと」
「ああ、成る程な」
今まで考えていた疑問が、その言葉で解けて胸がすっとした。
「楽箏を宮様のために奏でようと考えたのですが、幼少期に母から指南を受けて以来弾いていなかったので、宮様にお聞かせする前に鷹久殿にご指南戴いたのはこの為だったのです。お陰様で昔の勘を取り戻し、宮様に無事披露することができました。このお方の為に、自分のできることがひとつ増えた。そう思ったら、涙ぐみそうになっちゃいましてね」
言いながら丁寧に頭を下げる翼の君。宮様を想うその気持ちが伝わり、思わず口元が緩む。
「それがきっかけで宮様はお元気になられたのだな。良きことではないか」
「そうなんですが、いきなり宮様が琴の指南をしろと申されて詰め寄ってきたのです」
「何だか、急な展開だな」
(これはもしかして、もしかするな。あの宮様なのだから)
「まったくです。鷹久殿にご指南されている宮様を自分が教えるなどとんでもないって、慌てて逃げたんです。すると、急に床から起きるなり追いかけてきて」
「随分お元気になられたのだな。さては翼殿の思いやる心が伝わり、宮様は好きになられたのだな」
「好きって、あの?」
告げられた言葉が信じられないといった表情を浮かべる。
「だって翼殿が琴を弾いたのを見て、とてもお喜びになったのであろう?」
「はい、それまで落ち込んでいたのが嘘のようでした」
「ならば琴を一緒に弾くという口実。もっと翼殿に傍にいてほしいと望んだのであろうな。つまり宮様は翼殿と恋を語らいたいと考え、そのきっかけになるであろう琴の指南を頼んだに違いない」
宮様のお気持ちを晒してあげたというのに、翼の君は首を横に振った。
「宮様が、そんなことを思うはずがありません。違います」
「翼殿! なぜ宮様のお気持ちから、目を背けようとするのだ!」
俺は堪らなくなり拳で床を殴りつけると、翼の君は驚いて肩を竦める。
「鷹久殿、俺にはそんな資格なんてないのです。俺は山上の宮様の死に悲しんでいらっしゃる宮様をお慰めするといいながら、実はこれで宮様を我が物にできるかもしれない。そう……」
何かに耐えるように膝の上にぎゅっと拳を作り、辛そうに言葉を繋げる。
「心の奥底に山上の宮様の死を喜んでいる、もうひとりの自分がいるのです。このような、さもしく醜い心を持っている俺が宮様を想うなんて」
「なるほどな。だから自分を卑下するべき者と言っていたのか」
「はい」
俺の言葉に伏せていた顔を上げ、どこか虚ろな目で見つめてくる。
「山上の宮様の死は確かにご不幸なことだと思うし、翼殿が並々ならぬ想いをしているのも理解するがな。罪の意識を持ち続けるのは、どうなんだろうか?」
「罪の意識?」
「翼殿がそうやって囚われたままでいるように、宮様にも囚われたままでいてほしいのか? 宮様は山上の宮様ことはそれはそれとして、翼殿との未来を築いて行きたいと思っているはず。だから、あのような歌を詠われたのではないのだろうか」
歌会で詠まれたあの和歌――今の翼の君と同様の、辛そうなお顔でお詠みになっていた。
『夕されば 蛍よりけに燃ゆれども 光見ねばや 人のつれなき』
(夕方になると自分の想いは蛍よりも燃えているのに、光が見えないのか、あの人は素っ気ない)
「これは、翼殿に宛てた歌であろう?」
「違います、あの歌は山上の宮様を想って詠んだのではないのでしょうか。宮様が俺のことを想うなんて」
「俺にはわかる。翼殿の気持ちを感じることができるように、宮様のお心も感じるんだ」
「宮様のお心?」
「ああ。俺は曲を奏でる時、そこに流れ出る気と対話している。目には見えぬものなれど、それは必ずあるものなんだ。だから翼殿の気が宮様に流れているのを感じる上に、宮様の気が翼殿に流れているのを感じ取ることができる」
「俺に向かって宮様が?」
翼の君が首を傾げながら、不思議そうな顔をする。
「本当は翼殿も感じているんじゃないか?」
掠れた声で告げるなり、翼の君をぎゅっと抱き寄せた。
「頼むから。宮様の幸せそうなお顔を、そろそろ見せてはくれないか。このことは翼殿にしかできないのだから」
「鷹久殿、わかりました。自分の気持ちを偽らず、宮様に告げようと思います」
「有り難う、有り難う翼殿」
宮様を想う気持ちが一緒だからこそ、分かり合えることがある。あのお方のあたたかい笑顔と幸せなお姿を見ていたいから。
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