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「そこまではね、良かったのよ」
「……そこまでは?」
「そう。 そこから、怒涛の日々が始まったわ………」
合コンの次の日。
トウコが短大から帰ると、何と自分のアパート前にあの薄っぺら男がいたのだ。
それも、ひとつの椅子を持って。
『ーーあぁ、帰って来たのか』
『あ、あんた何やってんのよ』
『昨日君に言われた事をな、撤回させたくて来たんだ』
『座れ』と椅子を地面に置いた。
『俺が作った試作品だ。座ってみろ』
『は……?』
『いいからほら、座れ』
座るまで帰らなそうなので、しょうがなくその椅子に腰を下ろす。
『どうだ?』
『……確かに座りやすいわね』
『だろっ? やはり俺の作った家具は超一流なんdーー』
『でも、駄目だわ』
『………は?』
『だって座りやすいだけだもの。デザインも可愛くないし、何よりここの隙間。ここ小さい子が指を入れたら間違いなく骨が折れるわよ。はっきり言って、これが売られてたらもっと他の椅子を買うわ』
『っ、』
トウコが立ち上がると、彼は椅子を回収して去って行った。
「それからね、毎日来たのよ、彼」
「まい…にち……」
ある日は机を抱えて、ある日は本棚、ある日は梯子、またある日は何とベッドの時もあった。
「近所でもだんだんと噂になってきて。
私のアパートに住んでる話した事もない住人からもね、声をかけられるの。〝今日も家具男が来てますよ〟って……」
「あぁ、それは………」
(かなりご愁傷様すぎる……)
「それでね、わたし合鍵をあげたの」
『あんたかなり目立つのよ!これから部屋の中で待っててくれる!? ほらっ、鍵渡すから』
「怖くは、無かったのですか……?」
まだあまり知らなかっただろうに、部屋へ上げるなんて……
「ふふ、そうねぇ。今考えると確かに怖いかもしれないわ。でも、何だか直感で思ったの。〝この人なら大丈夫〟って」
「まぁ、マサトはお金持ちの家だったし私の部屋で取るものなんか無いだろうと思って」と明るく笑われる。
(直感…か……)
私も、龍ヶ崎と初めて出会った時あの黒い目に見事にやられて何も言えなくなった。
もしかしたら、その時直感で思ったのだろうか。
こんなにも長い時を過ごす関係になるだろう、と………
それから、トウコの部屋で来る日も来る日も家具の議論が繰り返された。
トウコばかりが案を出してアドバイスをするのは何だか損なので、代わりにトウコの試験勉強を龍ヶ崎が見ることになって。
そして互いにwin-winの関係を築いて、過ごして行って……
「試験当日にね、わたし熱を出してしまったの」
フラフラで立てなくて、こんな身体じゃとてもじゃないけど試験会場へなんか行く事が出来なくて。
思わず、電話で龍ヶ崎を呼んでしまった。
急いで駆け付けてくれた彼は、トウコを見て抱きかかえて自分の車に乗せて送ろうとした。
「でも、それを断ってしまったの」
『きっと、神様が私に〝保育士になるな〟って言ってるのよ』
試験への恐怖と、不安と、ストレスとで、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
『だから、もういいわ。マサトには沢山付き合ってもらったけど、ごめんなさいね。
ふふふ。貴方が将来会社を継いだ時にでも、本当に雇ってもらおうかしら』
『っ、馬鹿じゃないのか!?』
今までに聞いた事の無いような、苦しそうな声。
驚いて龍ヶ崎を見ると、泣きそうなくらいに顔が歪んでいた。
『君はっ、あの日俺に言い張っただろうが!〝夢のある家具を作りたい癖して人の夢を真っ向から否定する、この薄っぺら人間〟と。そんな君が、自らの夢を否定するのか?何の為にここまでやって来た。
語ってくれた幼い頃のあの決意は、何だったのだ……?』
『ーーっ』
『負けるな、トウコ。神がこの試練を与えたのならば、君はそれを乗り越えられる筈だ。神は、乗り越えられない試練は決して与えないのだから』
「……正直、驚いたわ。あの彼がまさかそんな事をいう人になるなんて」
そのまま龍ヶ崎の車で試験会場まで運んでもらい、やっとの思いで受けた結果、見事合格。
晴れて、トウコは保育士となれたのだそう。
「ふふふ、後はもう成り行きね。知らないうちにくっついてたわ」
楽しそうに、幸せそうに話す彼女は、純粋に1人の女性として美しかった。
「……ん、んー………?」
「あら、やっと起きたかしら。マーくん!」
「ん、あれ、トウコ? こんな所で何してるんだい?」
「迎えに来たのよ!今日は仕事も早く終わったし。でも貴方寝ちゃってて、代わりに月森さんと話してたわ」
「そうなのか、すまない」
「ふふ、別に良いのよ」
「さっ、帰りましょう!月森さんも送って行くから乗って行ってちょうだい!」と笑顔のトウコに言われ、断ることが出来ず、しずしずと世話になる事になった。
「あ、大変タマゴ買い忘れた。ごめんなさい2人共、ちょっと待ってて」
パタパタパタ…とスーパーの駐車場に止められトウコが走って行く。
「……良い人だろう。彼女は」
「そうですね」
「ーー取るなよ」
「取りませんよ」
強い目で見られ、肩をすくめる。
「彼女がいなかったらね、今の俺はいないんだ」
前の俺は、さぞ薄っぺらいロボットのような存在だっただろうなぁ。
「〝愛は人を変える〟というが、正にそうだったよ」
懐かしむようにふふふと笑われた。
「彼女はね、俺が正式に龍ヶ崎の会社を継ぐ事が決まったら、仕事を辞めるんだ」
「ーーぇ」
「あんなに幼い頃からの夢だったのになぁ。俺を支える為に辞めるのだと」
『私の夢は、もう叶ったわ。だから、次は貴方の番でしょう?』
「彼女は、驚く程に強いよ。もし逆の立場だったら俺は決してそんな事言えない。
ーーだが、そんな事を言ってくれている彼女の為にも、俺は龍ヶ崎を継ぎ、業界のトップにならなければいけないんだ」
強い、強い想い。
そんな言葉に比例するように、自然と私の胸も熱くなった。
(嗚呼、私は……)
自分の夢を捨ててまで支えようとするトウコと、
もう後には戻れないと必死に1人で船を漕ぎ続けている龍ヶ崎を
ーーどうやら……支えたいと、思っているようだ。
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