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「卒業、おめでとう!」 「おめでとうございます!!」 季節は巡って、再び春。 卒業式だ。 (結局、私は龍ヶ崎に何も言えていないな) そう、私は結局……龍ヶ崎へ何の回答もしていなかった。 支えたいと思っているのは確かだ。 だが、それはもしかしたら余りにも一緒に長い時を過ごした事による、ただの友人的感情から来ているものかもしれないと思ってしまっている自分がいる。 後一歩…後一歩が、どうしても踏み出せない。 (ここで龍ヶ崎を逃がしたら、彼以上に私の事を考えてくれる方は、現れるのだろうか……) 心は、もうとっくの昔から警鐘を鳴らしている。 それなのに、どうしても後一歩が踏み出せずこうして足踏みしてしまっている。 (もう、今日で最後の日なのにーー) 「やぁ、シズマ」 大学の校門前に、いつかの日のように龍ヶ崎が車を停めていた。 「今日で卒業なのに、おめでとうのひとつも無いのかい? 悲しいなぁ」 「…………」 「……クスッ、まぁいい。シズマ、乗るんだ」 「今日は俺が運転するよ」と運転席へ座り込み、助手席のドアを開けてくれた。 そのまま、お互い無言で車内を過ごした。 特別音楽もラジオも鳴ってない空間は本当に静かで、私はただただ流れて行く外の景色を眺めていた。 やがて、ひとつの小さな古いビルの前で止まった。 「着いたよ。おいで」 「……ここは………?」 劣化が進む古い階段を上り、龍ヶ崎がガチャンと部屋の鍵を開ける。 キィ…と開いたそこは、狭いオフィス用の空間になっていた。 そんな、まだ何もないガランとした空間に ーーひとつの椅子が、置かれていた。 「ーーーーっ」 脳で考えるより先に、何故か自然と足が動き 無意識に、その椅子へと身体が静かに腰掛ける。 (こ、れは………) それは、2枚の薄い木の板でできた椅子。 だが、その薄い板が素晴らしく絶妙な曲線を描き、それが椅子へとなっている。 薄い板なのに驚くほどの安定感と安心感があり、何よりとても軽い。 「クスッ、気に入ってくれたかな」 「これは、一体……」 「俺の大学4年分の、結晶だよ」 ふふふと楽しそうに微笑まれ、龍ヶ崎は座っている私を見下ろした。 「ねぇ、シズマ。行進曲(マーチ)を演奏する上での大事な定義は何か、知ってるかい?」 「〝義足の脚を持つ者だろうと、目が不自由な者だろうと、皆が心から歩きたくなるような演奏をする事〟です」 「うん、そうだね。 俺はね、シズマ。 車椅子の者だろうが義足の者だろうが、全ての人が心から〝座りたい〟と思うような椅子を。 手のない者でも、心から〝運びたい〟と思うような机を。 身体が全身麻痺のような者でも、心から〝横になりたい〟と思えるようなベッドを。 そして、お金のない人でも心から〝欲しい〟と思うことができるような商品を。 ーーそんな、全ての人が心から楽しめるような家具を、作りたいんだ」 グイッと、またいつかのように椅子の背もたれに押し付けられ、今度は両手で顔を包まれる。 「これが最後のチャンスだ、シズマ。 ーーねぇ? 俺は、お前が欲しいんだ。 一緒に来てくれるかい?」 「ーーっ」 (………嗚呼、もう無理だ) 思えば、出会った時から既に決まっていたのかもしれない。 私はこの方に出会う為、これまで主人を作って来なかったのだ。 驚く程に、自分の思いが心の中でコロリと転がってピタリとハマり それに驚く程安心していいる自分がいた。 (これで、良いのだ) ずっと恐れていた。 私は主人を見つける運がとことん無いから、今回のもきっと違うのではないかと。 でも、そうじゃなかった。 私の体全部が、心全部が 一心に目の前の揺れ動く黒い瞳を、支えたいと叫んでいる。 「ーー私の、負けですよ」 包まれている手を優しく払いのけ、椅子から立ち上がって龍ヶ崎へ片膝をついた。 「私、月森シズマは、龍ヶ崎マサトを自分の主人(あるじ)とします」 「……本当か」 「クスッ、何を今更疑っているんですか。まぁ、私を〝月森〟にしたのですから、それなりに楽しませて下さいね。 ーー」 「っ、ははっ。 ーーあぁ、任せろ。」 間もなくして、私は大学を辞めた。 正直私が大学へ通っていたのは自分の主人を探す為。 もう主人が見つかった私に、これ以上通う意味は無くなった。 大婆様に報告をしたらかなり笑われた。 「そうだろうと思ったよ。良かったねぇシズマ」と。 大婆様は、やはり何でも知ってらっしゃるのではないだろうか。 も、大歓迎してくれた。 「貴方とマサトと3人だったら、きっと大成功ね!」と明るく笑っていた。 あの日、卒業式の後に連れられたビルの一室。 あそこが、龍ヶ崎からマサト様へ与えられたオフィスだった。 部下も何人か与えられたが、マサト様は「要らない」とひと蹴りした。 それから、あの古いビルのオフィスから龍ヶ崎家の分家の次男坊という端くれ者が編み出す作品は、 どれも非常にユニークで他に類を見ない家具ばかりだった。 ひとつの椅子が、組み換えひとつでふたつの椅子へと変化したり。 机を持ち上げただけで驚くほど簡単に高さが変わったり。 ベッドが簡単な操作でソファに変形したり…… 何よりこだわったのは、デザイン。 シックなものからカジュアルなものからファンシーなものまで、こだわりがあるだろうユーザー層へマッチするような家具を仕立て続けた。 それも、低コストという結果で。 そうした着実な実力で、あっという間に龍ヶ崎のトップを勝ち取り、 業界トップに君臨する山之口を追い越すには ーーそれ程、時間はかからなかった。

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