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「改めて紹介するわ、ヒデト。 この人がお母さんの結婚したい人なの」 「こんにちは、ヒデトくん。私の名前はーー」 「いい!し、知ってる……!」 (この人を知らない人なんか、いない!) その辺の小学生だって、みんな知ってる。 それくらいの…超有名人。 (な、何がどうなってるんだ……?) 「っ、ふふふ。ヒデトが固まっちゃってるわ」 「ユミカ、私のことを話してなかったのか?」 「えぇ。だって変な先入観を持って見て欲しく無かったから」 「ふむ、そうか」 「ーーあぁぁの!お母さん!?」 「ん?どうしたのヒデト?」 「ど、何処で出会ったんだよこんな人と!」 (普通に生活してたら絶対ぇ会えないだろ!) いま何が起こってんだ!? 意味がわからない。 「クスクスッ。実はね、通勤途中にぶつかってしまったの」 「…………は?」 それは、お父さんが亡くなってすぐの事。 お母さんは俺を養うためパートを掛け持ちして、毎日毎日走り回っていて。 「焦っちゃってたのよね、わたし」 大切な人を失った悲しみに暮れる余裕など、無くて。 とにかく今を懸命に生き抜かねばと……必死で。 そんな時、パート先からパート先へ通勤していた所で見事に人にぶつかった。 『ぁ、ご、ごめんなさいっ!お怪我は……』 『いや、特に無い。有難う』 尻もちをついてしまったその人に手を差し伸べようと、顔を見て。 『ーー!?』 『はっ、しまった…今ので帽子が落ちてしまったか』 『ぁ、あの、私……っ』 『……あぁ…サインか? 写真か? 何が望みだろうkーー』 『怪我が無いようでしたら行きますね!申し訳ございませんでした!!』 『ーーーーは?』 その人の拍子抜けたような声が聞こえたが、そんな事よりもお母さんはパートの時間の方が大事だった。 「いやぁ、もの見事にシカトを食らってね。初めてだったんだ、あんな経験は。私は走り去っていく彼女の事を懸命に調べ上げたよ」 そこからは、もうお察しの通り。 暇さえあればぶつかった道でお母さんの事を待ち伏せして、お茶に誘って。 お母さんが「時間がない」と断ると、無理矢理にでもその理由を聞いた。 そして俺たち家族の資金面の援助を交渉したが、お母さんが即辞退。 それが、更にこの男の心に火をつけたという訳らしい。 「パートナーを失ってまだそんなに日が経っていないのにも関わらず、必死に前を向こうと現実と戦っている彼女を、支えたいと思ったんだ」 「求婚をしたがなかなか首を縦には振ってくれず、結局今なんだがな」と、やれやれと言うように両手を肩のあたりで広げた。 「…それで、2年も待ったのか……?」 「あぁ。2年なんか直ぐだったよ」 「もし、ここでまたお母さんが断わったら……どうする?」 「もう1年、待つだろうな」 「何なら君が成人して親元を離れ、ユミカが1人になるまで待つかもしれない」と、この男はそれがいとも簡単なことのように言ってのけた。 (成人って…俺今8歳だから、後12年後だぞ……?) そんなに待てる程……お母さんのことが好きなのだろうか。 ふと、隣に座るお母さんの表情が気になってそちらを向く。 「ーーーっ、」 そこには、今にも泣き出しそうな…嬉しそうな…… でも、それを我慢しているような母の顔があった。 (あぁ…お母さんはーー) これから先を、この人と一緒に生きていきたいと思っているのだと、直ぐに分かった。 (ねぇ、お父さん) お父さんは、お母さんの幸せをいつも願ってたな。 (だったら) 今の〝この状況〟も、受け入れてくれるのか? 「……俺は、お母さんの笑ってる顔が、一番好き」 「っ、」 「お前と一緒にいて、お母さんが今よりたくさん笑ってくれるなら…俺は賛成する」 「ヒデトっ」 「ヒデトくん……」 「ーーでも」 「「?」」 「俺の心の中にはまだお父さんがいて、お父さんとの思い出がいっぱいあるから…まだあんたを〝お父さん〟って呼ぶことはできない。 けど、いつかは……ちゃんと、呼べるようになる、呼べるように、する。 だからーー」 ペコリと、頭を下げた。 「お母さんのこと、大切にしてあげてください」 「っ、ヒデ、ト……っ」 涙声のような、お母さんの声が聞こえた。 フワリと、大きな知らない手に頭を撫でられる。 「ユミカが言った通りだ。君は本当に優しい子だ、ヒデトくん」 「っ、」 「今まで、よくお母さんを1人で守ってくれたね。有難う。 ーーこれからは、私が君たちを守るから」 「ーーーーっ、ふ、うぇぇ……っ」 初めて感じる体温だったけど、それは酷く安心できて 俺と同じ泣き顔のお母さんに、ぎゅうぅっと横から強く抱きしめられた。 そんな俺たちを、その人はただただ優しく見つめていた。 それから、俺の生活は大きく激変した。 先ず、名字が変わった。 みんなには「読みにくい」だの「難しい」だの言われたが、特に気にしなかった。 住む場所も、変わった。 小さな小さなアパートから、大きな大きなお屋敷へ。 屋敷の中にはメイドや執事や料理長たちがいて、とにかく本の中の世界のようだった。 正直、まだ頭は追いついてないけれど でも、 「おかえりなさいっ、あなた」 「あぁ、ただいまユミカ」 幸せそうに笑う2人を見ると「これで良かったんだな」って思う自分がいる。 (天国のお父さんも、笑ってるといいな……) きっと、これで良かったんだ。 その時は、そう思って止まなかった。 ーーでも 現実は、容易く世界を変えてしまった。

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