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『ーーぇ?』
意味がわからないという奥様の顔に、クスリと笑いかける。
(これは、ある種〝かけ〟のようなものだ)
『奥様、やはり貴女は母親ですよ』
『どこが……』
『自分の子どもの為にこんなにも悩み、必死になられている。
貴女は、ハル様とアキ様のお母さんです』
『っ、』
『〝母〟という存在は、皆それぞれひとりしか持っていません。そして、母親など何千通り…何万通りの姿があると思います。だって、我々は人間だから』
人間は、誰一人として同じ人などいない。
だから母親というものも、きっとそうなのではないだろうか。
『ハル様とアキ様は、何故あの様に心が綺麗なのでしょうか? それはね、貴女に似たからですよ、フユミ様』
『っ、ぁ……』
『優しくしなやかで、どんな事があってもお2人で支え合っている。その強い部分はナツヒロ様から、優しい部分は貴女から受け継いでいるのですよ』
あのサラサラの髪も、綺麗な瞳も、整った顔も、ふわっと笑うところも、全て。
『社長と奥様がいたからこそ、あの子たちが生まれてくる事ができた。
それなのに、それを真っ向から否定するかの様な事を仰る事だけは…なりません……っ』
こんな事を言う資格など、私にはない。
だが、どうか どうかお願いだから、言わないで欲しい。
一度だけキツく抱きしめ、それからゆっくりとその体を離した。
『ねぇ、奥様。
そのぬいぐるみを買ったのは、〝私〟なのです』
『ーーぇ?』
『私が偶々見つけ、ハル様とアキ様へと思い買ってまいりました』
嘘だ、本当は社長が買ってきた。
だが、こう言わなければいけないと〝月森としての何か〟が告げていた。
(ならば、それを上手く使うのみ)
『何故買ってきたの?』と言っているかのような目に、クスリと笑いかける。
『そのぬいぐるみは私が保管しておきます。
いつかまた、奥様がお2人を受け入れられる瞬間が来たら声掛けください。
その時、私が再びこれを贈り届けてまいりましょう』
『っ、そんな日…来るかしら……』
『えぇ、きっと来ます』
どんなに時間がかかろうとも、きっと きっとやって来る。
だから、
『指示してください、奥様』
『ぇ……?』
『月森は、自分の意思では動けぬのです』
こうして自ら貴女を抱きしめてしまったことも、指示させているこの場面も全て、罰せられる対象。
何て窮屈なと思うだろうが、こうやって先祖代々月森の品格を守ってきたのだ。
その品格を失う行為を行うなど、決して許されることではない。
『さぁ、奥様』
(そんな日は必ず来る。私はこのぬいぐるみに、かける。
だから、指示を)
目の前の、丸く見開かれた瞳に声をかけた。
『……っ、シキ………いぃえ、
ーー〝月森〟』
『はい』
『これを、私の目の見えない処へ…保管を……』
『かしこまりました』
『それから……もう、屋敷へは来ないで…』
『ーーぇ』
『貴方を見ると、このぬいぐるみが頭に浮かぶの……
ねぇ、どうして今このタイミングでこれを買ってきたのかしら……? こうなる事は、想像できなかったの?
私は…私はまだ、これを受け入れられない……っ』
(あぁ、そうか)
もしこれを社長が買ってこられたと真実を言っていたならば、きっと奥様は壊れてしまっていたのかもしれない。
優しい癖して期待しているかのようなその行為にプレッシャーを感じ、押し潰されて。
(〝月森としての何か〟は、当たったわけだ)
『ごめんなさい』と謝る奥様の頭を撫でる。
『良いのです。当たり前のことでしょう』
だが、奥様は〝まだ〟と仰った。
〝まだ、これを受け入れられない〟と。
ならば徐々に受け入れてくださるはずだ。
無意識にでも〝まだ〟という言葉が出るほどに、奥様はこの現実を受け入れていない。
諦めてはいない。
きっといつか、笑って過ごせるようになる明るい未来がーー
パタパタと、複数の足音が聞こえる。
『っ、奥様!!』『あぁ良かった…っ』
『すぐに奥様へ新しい服の準備を。それから風呂へ入れてあげてください。体が酷く冷えている』
駆けつけてきたメイドたちに素早く指示を出し、抱きかかえられるようにして連れて行かれる奥様を、静かに見守った。
『月森』
『社長』
木陰からカザリと社長が出てこられる。
奥様とのやり取りを全て聞かれていた事くらい、知っていた。
『月森、すまない』
『クスッ、謝ってはなりません社長。私は貴方の月森として、すべき事をしたまでです』
一向に変わらない現実に『何か変化をもたらしてくれるのではないだろうか』と考えた社長の心理も、よく分かる。
今回は、その変化が少々大きかっただけだ。
先ほどまで奥様の腕にあったぬいぐるみを、抱きかかえる。
『社長。私は、これからも貴方の……
小鳥遊の、月森です』
バラバラになってしまっているこの家族の、たった1人の月森。
『あぁ、ありがとう……っ』
『その行く末まで、お供いたします』と笑った私の耳に届いたのは
切ないほどに掠れた、お礼の言葉だったーー
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