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『見てくれ、月森』 『? どうされたのですか? それ』 『少しだけ時間が空いてな。ぶらぶらしてたら偶々この子達と目が合ってしまって、つい買ってきてしまった』 可愛いふたつのくまのぬいぐるみ。 片方は茶色にピンク色を混ぜたかの様な明るい色をして、もう片方は濃い赤茶色をしている。 『クスッ、なんだかハル様とアキ様のようですね』 『正解だ。こっちがハルで、こっちがアキ。 ねぇ、これをお前からとしてハルとアキにプレゼントしてあげてくれないか?』 『私から、ですか…』 『あぁ。私からだと恐らくフユミが嫌がってしまうのでな。お前からということにしてくれ』 『っ、』 『お前なら大丈夫だろう。月森、頼まれてくれるか?』 『勿論です』 「そうして私からと称して手渡したぬいぐるみを、お2人はとても大切にしてくださいましたね」 渡した時のアキ様の泣き顔とハル様の嬉しそうな顔。 初めてのお揃い、互いにとても喜んでおられた。 社長からも『何処へ行くにも持ち歩いているぞ』と報告を受け、心から安堵した。 「だが、それは僅かな間だけでしたーー」 『アキ!これは誰にもらったの!?』 『っ、ぁの……』 『言いなさい!』 ハル様とお揃いのものを持っているのが気に食わなかったのか、奥様にアキ様のぬいぐるみだけを取りあげられてしまったのだ。 そして、その様子を見たハル様も『ぼくもいらない!』と自ら捨ててしまわれたという。 その報告を昼間電話にてメイドから受けた時は、私も社長もとても気を落とした。 『やはり駄目だったか』と、『少しでも何かが変わればと思ったんだがな』と…… だがその日の夜、仕事を終え屋敷に着いた私たちを待ち受けていたのは 『奥様が居なくなられた』という、メイドたちの焦った報告だったーー 「その日は、たまたま雨が降っておりました。ですが、我々はそのまま外へ飛び出した。『ハル様とアキ様には決して気付かれることの無いように』と屋敷に残っていたメイドに声をかけました」 そして探していたメイドたちに状況を聞き、社長と別れそれぞれまだ探していない場所を探した。 (何処にいらっしゃるんだ……!) ザァザァ降りしきる雨に、濡れたスーツが重い。 ワックスは流れ、纏めていた髪が額に張り付いた。 そんな血眼になって探していた私の脳裏に、ふとひとつの場所が浮かんだ。 (っ、まさか…!) 『………奥様』 泥沼のような地べたに、白いワンピースを着てしゃがみ込んでいる今にも消えてしまいそうな背中へ、声をかける。 『奥様、お身体が冷えてしまいます。早く屋敷へ戻りましょう』 『…………』 『っ、フユミ様!』 『………ねぇ、シキ』 『……はい』 『私ね、本当は全部知っているの』 私がいくらハルに手を尽くしても、ハルの心はアキへ向いているという事も。 私がいくらアキに冷たくしてしても、アキは私に手を伸ばしてくるという事も。 『ハルとアキが内緒で抜け出してこの場所遊んでいることも……全部全部、知っているのよ』 奥様がいらっしゃったのは、庭の奥にある古い噴水のある場所だった。 ザァァ…と雨が降りしきる中でも、ポツリポツリ話をする奥様の声はちゃんと聞こえてきて。 『……っ、奥様………』 肩に手を置こうとその背中に近づいて、ハッと息を飲む。 『奥様…それは……』 『ふふ、拾ってきてしまったわ』 抱えていたのは、ふたつのぬいぐるみ。 『片方は、私が取ってしまったの。アキはとても嫌がっていたわ。でも、全身の血が沸きだってしまって…気がついたら取り上げてしまっていた……ハルと同じものを持っている事が、許せなくてっ』 そうしたら、すぐにハル様も持っていたものを捨ててしまった。 『外のゴミ捨て場に、ハルのが捨ててあったのよ。それを見たとき思ったわ。 私は…何をしているんだろうって……』 すぐにゴミ捨て場から拾い、アキ様のぬいぐるみも持って雨の中呆然とフラフラ歩いて。 『私は…私は、アキを傷つけてばかりだわ。そしてハルや、ナツヒロさんや、貴方をも……傷つけているわね』 知っていた、そんな事実は。 ちゃんと理解している、頭では。 それ、なのに。 『私は…私はおかしいわ……えぇ、おかしいなんてもうずっと前から知ってる!病院へ行っても幾ら薬を飲んでも、あの子を見た瞬間に全てがダメになってしまって…… いっそ私が何処かへ行った方いいんじゃないかと思ったのだけど、でもこの屋敷から離れてしまうと、私はもっと駄目に…なってしまいそうで……、でも、でも……っ、 …もう、私なんて消えた方がーー』 『っ、奥様!』 正面に回り込み、片膝をついて肩を揺さぶる。 『何を言っているんですか!そんな事をすれば、ハル様方だけでなく社長までもがーー』 『もう充分悲しませてるわ!!!!』 『っ!』 キッ!と睨んでくるその瞳には、苦しみが浮かんでいた。 『もう…もう充分悲しませてる……もう、充分………』 『………』 『貴方たちは、優しいわ。病院の先生も。 でも、私は優しくされる資格なんて無いのよ…最悪な母親だわ。罰せられて、当然……私は、私はやっぱり、 ーー母親になる資格なんて、無かった……っ』 ポロリと、雨粒とは違う大きな雫が目の前の綺麗な瞳から零れ落ちた。 それはどんどん どんどん落ちてきて 『ぅ、ぁあ…ぁあぁ……っ、ぁあぁぁぁっ!』 『おく…さ、ま……っ』 濡れたぬいぐるみたちを抱きながら大声を上げて泣くその冷たい体を、抱きしめる。 (あぁ、私たちは……) 純粋が故に酷くご自身を責められる奥様が、もうこれ以上ご自身を痛めつけてしまわぬようにと。 その心を傷つける事が無くなれば、アキ様の事をしっかり見れるようになれる筈だとばかり考えていた。 その優しさが、返って奥様を追い詰めてしまっていた。 (ーーっ、くそ……) 私は、これまで何をしてたのだろうか。 あの日、ナツヒロ様に選ばれ小鳥遊の月森となり。 フユミ様と出会い、小鳥遊を上手くコントロールして結婚までこぎ着けた。 その後、奥様の元には双子が宿り、辛いつわり等にも全て耐え抜いてきた。 名前だって、たくさんたくさん考えて、いいものを決めた…筈、なのに。 〝私はやっぱり、母親になる資格なんて無かった〟 その言葉を言わせてしまったのは、奥様だけではない。 紛れもなく ーー私たちの責任だ。 『……ねぇ、奥様』 腕の中で泣く小さな体に、ポツリと問いかける。 『そのぬいぐるみ、私に預けてみませんか?』

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