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「はぁ……っ、は…………」 身体中が痛い。 歩いてる振動だけで呻き声がでる。 今日のは、一段と酷かった。 (私が遅れて行ったせいだな) 『私からの呼び出しには、すぐ来るように』と言われていたのに。 「っ、く」 「痛い」と思わず声が出そうになって、唇を噛んだ。 (まったく、なんで役員の部屋は7階なんだ……) 生徒会に入って1番の後悔。 1人部屋なのはありがたいが、最上階は遠すぎる。 ポーンと静かな音を立て開いたエレベーターから降り、壁に手をつきながら自分の部屋を目指してーー 「……櫻?」 「ーーーーぇ、」 顔を上げた先。 私の部屋のドアを背に座り込んでる人影。 「なんだ、やっぱ出掛けてたのか。いくら呼んでも出て来ねぇからよ」 (うそ、だ) それは暗がりの中ゆらりと立ち上がって、ゆっくりこちらに歩いてくる。 「ってかお前今何時か分かってんのか? 深夜だぞ深夜。生徒会役員が深夜帰りしてどうすんだ……ちゃんと寮監に届け出提出してんのか?」 嘘だ、嘘、こんなの 「大体nーー」 ボソッ 「なん、で」 「あぁ?」 「どうして……こんなとこ、いるんですか、梅谷」 「んなの、てめぇが心配だったからに決まってる」 「っ、」 迷い無く返ってきた言葉に、ギュゥッと胸が軋んだ。 「……今日は…その、悪かった。少しずつ距離を詰めていこうと思ってたんだ。でも、歯止めがきかなくて」 (やめて) 「あんな言葉吐かせちまって、あんな顔させちまってすまん。余計お前を苦しませた。あの後ずっとそれが気になってて、謝りたかったんだ」 やめて、お願いだから 「お前の部屋何度かノックしても物音ひとつしねぇから、帰ってくるまで待つかと思って……婚約者のとこに行ってたのか? なぁーー」 「ゃめてくださいっ!」 「……櫻?」 近づいてきた足が、ピタリと止まった。 「も、やめて…くださぃ」 もう嫌だ。 もう私の中に入ってこないで。 身体中が痛いのに、心がグチャグチャに掻き乱される。 駄目だ、もうこれ以上は、私が壊れてしまう。 「ほんとに、も、ゃめて………っ」 「櫻!」 大声を上げたせいで体が強く痛み、ガクリと崩れ落ちる。 「おい、櫻どうした?」 「さわら、な、ぃで」 嫌、触らないでお願い。 お願いだから、もう もうーー 「…………っ、お、い…櫻。 〝コレ〟は、なんだ……?」 (あぁ……) 倒れる寸前の私を支えた際、ズレたシャツから覗いた〝ソレ〟 暗い廊下で驚愕した梅谷の顔を見ながら 視界が、一気にブラックアウトしたーー 「…………ん……」 ふわふわした感触。 暖かくて、何だかいつまでも眠っていられそうな。 (ここ、は……?) 「目ぇ覚めたか」 「ぇ、」 カップを2つ持った梅谷が、ゆっくり近づいてくる。 「お前昨日あのまま起きなかったからさ、俺の部屋運んだ」 「そ、ですか……」 「コーヒーでいいか?」 「ぁ、はぃ、その ーーっ、」 「無理に起きんな。そのままでいいから」 私の分をサイドテーブルに置いてくれ、静かにベッドへ腰掛ける。 「………いつからだ」 「え?」 「とぼけても無駄だ。いつからだって聞いてんだよ」 (あぁ、この事か) 服を脱がせなくてもいい範囲で手当てしてくれたのか、身体から消毒液と包帯の匂いがする。 「保険医には言ってねぇ。寮監にも……お前、これまで言ってねぇみてぇだし」 ギリッと歯を食いしばりながら話すその顔に、自然と笑みが浮かんで。 「……ふふ、貴方でもそういう気遣いが出来るんですね」 「なっ、別に俺は」 「小6」 「………え」 「小学校6年生が、初めてです」 『君の肌は白いから、すぐに痕が付くね』と言われた。 「元々そういう事をするのが趣味の人だったようで、私に目をつけていたそうです。 婚約関係を結んだ後、すぐにやられました」 『痛い』と泣き叫んでも、それに更に興奮され落ちてくる拳は痛くなる。 今まで喧嘩とかで友だちに多少ぶたれはことはあっても、こんなに一方的に…しかも大の大人にここまでされたことは無かった。 「親は……知ってんのか?」 「勿論。ですが、どうする事もできません」 初めて暴力を振るわれた日。 傷だらけになって帰ってきた私を、両親は泣きながら抱きしめてくれた。 「直ぐに婚約を破棄するよう向こうの家へ申し立てました。しかし、聞く耳持たずで」 『もう書面上でもやり取りを行なっている、今更覆す事は不可能だ』と突っぱねられた。 向こうの両親も、申し訳なさそうに……けれどようやく自分の暴力息子が落ち着くと安心している風な様子だった。 「なっ、それじゃ……」 「貴方なら、私の婚約がどのように決まったか既に調べ済みでしょう? 私の両親は今も私をどうにか出来ないかと必死になっています。櫻の会社も再び軌道にのった今、昔借りた金の返済も当時の全額以上にできる。だから、私が高校を卒業するまでに何とか出来ないかと。 ですが……」 もう、いいと思った。 私は自分の家の為、自らこの婚約を選んだんだ。 両親に反対される中、自分にできることがあると進んだ道。 「だから…… 正直、もうやり切ったと思っています」 もう、櫻としての自分は精一杯やり切った。 だから…後はもう、このままでも構わない。 この世界で生きる子として、自分は役目を果たした。これで死んだとしても、正直悔いはないと思う。 「…んで、てめぇは自分の人生そう簡単に諦めきれんだ……いや、ちげぇ。 そういう薄っぺらい言葉をかけるつもりは…もう、ねぇんだ」 いつになく弱々しい梅谷の声。 「おい、服脱げるか?」 「え?」 「勝手に脱がせていいかわからなかったからな。傷、手当してやる」 「……別に、1人でもできます。慣れてますのd」 「いいから、俺にさせろ」 聞いてきた癖に、問答無用という風に服を脱がされる。 「…………っ、」 露わになった身体に、いつもの勝気な顔はクシャリと苦しそうに歪んだ。 そういう顔をさせたくなかったから、嫌だったのに。 こんな痣だらけの汚い身体見るのは、自分だけでいいのに。 「……背中から手当すっから、後ろ向け。 髪も前のほう垂らしとけよ」 どうして、こうも受け入れてくれるのだろうか? 「………幻滅、しました…?」 「あ?」 「こんな見すぼらしい身体、抱く気も起きないでしょう? 折角6年も想っていただけていたのに…… ふふっ、これじゃ勃つものも勃ちませんね」 なんで、突然こんな言葉が出てきたのかわからない。 けど……これまで一途に想っていてくれてたのに、本当の自分はこんな姿のこんな人間で。 (申し訳なくて、笑えてくる) 自分のことが可笑しくて可笑しくて…どうしようもなくて……涙が出そうになる。 「〜〜っ、」 グッと奥歯を噛んで、目をきつく閉じた。 「……なぁ、櫻。 お前、髪伸ばしてんのって身体の傷隠すためか?」 「? はい、そうですよ。いつ誰に見られるか分かりませんので、少しでも隠れるよう伸ばしています」 「ふぅん、そっか。 ーーなら、これからは俺の為に伸ばせよ」 「……へ、」 チュッと頭部に口づけを落とされ振り向くと、ニヤリと笑った顔があった。 「俺さ、最初お前の長い髪に惚れたんだ」 風になびいて揺れる、サラサラの髪が印象的だった。 「それから事あるごとにお前を目で追っててさ。綺麗な顔していっつも笑ってるくせに、何か危なっかしくて…… 気付いた時にはもう好きになっちまってた」 同じクラスメイト、男同士、しかも相手は婚約者持ち。 だが、それら全てを通り越して好きだと想っていた。 「そんな俺に、〝たかがこんな身体〟見て幻滅したかだと? ーー馬鹿にすんなよ」 「っ、」 「お前は、俺と出会う前からもうずっとこの理不尽の中にいた。こんなになるまで耐えないといけない、環境に……そんなお前に『諦めんな』なんて軽い言葉、もう言う気は絶対ねぇ。 あーぁ…お前のこと誰よりも見てきたつもりなんだがなぁ…… ここまで気付けなくて、悪かった」 「っ、そんなことは!」 暴力は、人の心を折る。 そんな環境の中にもう7年もいた私には…正直、最近の梅谷の言葉は辛かった。 でもーー 「けど、さ……ひとつ、約束してくれ」 「? なにをです ーーゎっ」 「もう、1人で耐えようとはすんな。絶対に」 ポスッと梅谷の肩口に顔を押しつけられた。 「痛いなら〝痛い〟って……苦しいなら〝苦しい〟って言え。これ以上自分の中だけに留めんな。 俺にも、その傷背負わせろ」 「っ! ど、して……」 「あぁ? んなの、俺がてめぇのこと好きだからに決まってんだろ」 (ーーっ、) 背中の傷を全て包み込むように、優しく腕を回される。 「いいか? 難しいだろうがこういうのには慣れちゃいけねぇ、絶対にだ。もうこれ以上、自分だけで背負おうとすんな。まじで…… ーー頼む」 「っ、」 (なんで……) なんで、この男はこんなにも私の事を気にかけてくれるんだろうか? どうして、貴方の方が苦しそうなの? 何の取り柄もなくて、身体中古傷ばかりで、痣もたくさんな見すぼらしい身体なのに。 それなのに何で、そんなに私の事を……愛してくれるの? 「…………っ、ぃた、い……です」 朝の綺麗な光が入る、静かな空間の中。 ポツリと漏れた、その本音。 この7年間、両親の前でも1度も吐かれることが無かったもの。 口に出せば、それを一番最初に耳にするのは自分。 だから、どうしても言えなかった…言いたくなかった。 自分の弱音を自分で聞いたら、もう……立ち直れなくなりそうで。 でも、だけどーー 「痛くて…も、ずっと……こわ、くて………」 「あぁ」 消えいりそうな程小さな私の声に、ひとつひとつ相槌を打ってくれる力強い声。 私の弱音を、私と一緒に受け止めてくれる、人。 (〜〜っ、あぁ) 「ぅ、えぇ……っ」 「櫻」 ポロリと零れ落ちた涙を舐められ、更にきつく抱きしめられた。 「辛かったな、ずっと」 (辛かった) 先が見えない真っ暗なトンネルの中。 痛くて痛くて、どうすることもできなくて。 本当にーー 「怖かったな」 「〜〜っ、ぅん」 もう駄目だ。 溢れてきたものは、もう止まらなくて。 そのまま、登校時間になってもずっと梅谷に抱きしめてもらっていたーー

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