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「ーーん。おかえり、櫻」
「……はい」
私の秘密がバレてしまってから、婚約者の元から戻る際にはいつも梅谷が寮の玄関先で待っててくれるようになった。
「前回よりちょっと遅かったな」
「到着が遅れたので、その分」
「そう、か……
今日は? どうすりゃいい?」
「…肩、貸してください」
「おう」
前回はおぶってもらったけど、今はお腹がズキズキ痛むからあんまり押さえられたくない。
「腰、手回していいか?」
「左なら大丈夫です」
「ん」
右手でガッチリとした肩を掴むと、直ぐに支えるよう左腰へ手を添えられる。
「じゃ、俺の部屋な」
「はい……、っ」
私のペースに合わせたゆっくりの歩調に、誘導されるままエレベーターを目指した。
『これから、傷の手当は全部俺にさせろ』
あの日、泣き止んだ私へ1番始めにかけられた言葉。
『寮の玄関で待ってっから。帰ってきたら俺の部屋直行な』
『な、なんで』
『1人で抱えんなっつったろ? もうこれ以上慣れんな』
『背中とかも手当し辛ぇだろうが』と丸め込まれてしまった。
ベッドに座らされ、いつも通り「服、脱がすから」とシャツのボタンに手をかけられる。
サイドテーブルの引き出しには、私が持ってきた傷薬の他に梅谷が徐々に買ってくる治療グッズで溢れかえっていて。
「……ふふ」
「? どうした?」
「いいえ、なにも。
ーーっ、ぃ…た……」
「ここか?」
自分1人で手当てするときは絶対漏らさなかった「痛い」という言葉。
「唇噛むな」と怒られて「ちゃんと言え」って言われて。感じるまま…少しずつだけど感情を声に出すようになった。
「確かにやべぇな。なんでここばっかされたんだ」
「わ、かりません。
足が、たまたまいい場所にあった?」
「足って……蹴られたのかよ。くそっ」
労わるように撫でられ、直ぐに薬を塗ってくれる。
(手、暖かいな)
なんでこの人は、こんなに手当てをしてくれるんだろうか。
私より痛そうな顔して……そんなになるならしてくれなくてもいいのに。
「好き」という想いは、こうも暖かいものなのだろうか?
最初はビクビクしながら梅谷の手を感じていたが、今は何事もなく受け入れている。
寧ろ気持ちよくて……手当てが気持ちいいとか意味がわからないけど、でも。
今まで1人で全部やってた事を、梅谷になら自然と任せられていた。
「ーーん、とりあえず一通りいいかな。
あ、そうだ。この前薬局で古傷用の薬見つけたんだぜ!塗り続けたら少しずつ跡が薄くなるらしい。お前特別かぶれたりしないようだし、ちょっと試してみねぇか?」
「っ、はぃ」
これまで昔の傷なんて、全然気にしてなかった。正直、新しく付けられたものが痛まない程度の対処しかしてこなくて。どうせあの男が婚約者なのだし、寧ろ傷が残ってた方が喜ぶだろうなぁとか…思ってて……
けど、梅谷は私の諦めたそんな部分まで、気にかけてくれて。
「ーーっ、傷、無くなる…で、しょうか?」
「無くなる、ぜってぇな。全部ではねぇかもしれないが、まぁ俺にとっちゃ何も変わんねぇな」
「クスクスッ、そこは変わってください」
「あぁ? なんでだよ」
本当、びっくりするくらい出てきはじめた本音。
そのひとつひとつに、梅谷はしっかりとした回答をくれる。
(この前『何のために生きてるか分からない』と言ったら、『じゃあ俺のために生きろ』って言われたな)
ちゃんと分かってる、自分は櫻の家のために生まれてきたんだって。
けど…それも解決している今、私は何のために生きているのか分からなくなる時があって。
けれど
(……クスッ、本当に)
ゆっくりと 本当にゆっくりと、梅谷が私の内側へ入って来る。
それを嫌ではないと…心地いいと思っている自分が、いて。
あの時の『幻滅しましたか?』という言葉も、なんであんな事聞いたのか分からなかった、けど。
今、思えば……
私は、もう6年も真っ直ぐに想いを寄せてくれているこの人に
ーー少しだけ、心を奪われているのかもしれない。
「よし、終わったぞ。
まぁ何事も続けねぇと結果でねぇし根気強く塗ってくか。継続は力なりってな」
「ぁ、ありがとう…ございます……その」
「うん? もう一声」
「ーーっ、ありがとうございます…
シュ、シュント」
「クッハハッ!
お前もう何回目だよ、ぎこちねぇなぁ」
「な、う、うるさいですねっ、もう何年名字で呼んでると思ってるんですか!お礼の時だけ名前って…そんなの難しいに決まっtーー」
チュッ
「いいよケイスケ。その顔見れただけで充分」
「ーーーーっ!!」
笑いながら「今日はこのまま泊まってけよー」と掛けてくれる言葉を遮るように
大きなベッドへ潜り赤くなった顔を隠した。
***
「っ、はぁ………」
最近、婚約者からの拳が重い。
以前と比べて随分長い間暴力を浴びせられるようになった。
呼ばれる頻度も、向こうは上の役職で忙しいし私も学生でしかも寮だしで月1程度だったのに、今じゃ月に2〜3度へ増えてきてて。
一体なにが……?
しかも、これまでは酔いしれるように殴っていたのに、今はまるで私に苛々をぶつけているような気がする。
(はぁぁまったく…なんなのかは知りませんが、授業中に呼ばないでくださいよ……)
呼ばれる頻度が増えて、放課後以外の時間もざらになってきた。
「はぁ……ぅ、っ」
ーー正直、今日はこの傷でクラスになんか戻れない。
壁に手をつきながら、なんとか辿り着いた生徒会室。
体育大会も無事終わり、季節は秋になってきている。
今は文化祭の準備真っ最中。
生徒会もやることが多い。
(言い訳に、使わせてもらうか)
ガチャリと鍵を開けた先、「仮眠室」と書かれてある部屋の扉を開けたーー
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