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6ー1:午後11時の決意 (3)
「一緒に帰省しませんかって言ったあ!?」
宮下さんが、たまごサンドの中身を撒き散らかしながら叫んだ。
冷たい飛沫がいくつも顔に張り付く。
「宮下さん、思いっきり顔にかかりました……」
「ああごめん!」
ティッシュを3枚素早く抜き取り、俺に差し出してくれる。
顔を拭いながら、俺は改めて宮下さんを見た。
鼻息がものすごく荒い。
「そんなに驚かなくても……」
「佐藤くん、それ、男女のカップルなら結婚を前提にお付き合いしてる相手を親に紹介したい時に言う台詞だからね」
「えぇっ!結婚!?」
「だって一緒に帰省ってことは必然的に両親に会うわけだし、長期休暇だから数日間実家に泊まるわけでしょ?」
「は、はい」
「ほら」
「って言われても……」
俺はただ、理人さんが寂しそうだったから一緒にいられる方法を考えただけだ。
それに、理人さんは気を抜くとすぐにまた、うなぎのたれぶっかけ丼とか食べ始めるたり、目に付いたものを口に入れるだけの朝食とかに走ったりするから、健康的な食生活を保つという面でもできるだけひとりにはしたくない。
確かに、うなぎのたれをかけた炊きたての白米はこの上ないくらい美味かったけれど。
「そんな深い意味は込めてなかったんですけど……」
「そう思ってるのは佐藤くんだけだと思うよ」
「う……」
「神崎さんはなんて?」
「それが――…」
「もしよかったら一緒に帰省しませんか?」
「……ぅえ?」
俺の言葉にたっぷり3秒は固まったあと、理人さんは謎の母音を生み出した。
「ど田舎なんで自然以外なにもないところですけど、その分部屋数だけはあるんで」
「……ぅな?」
今度は、鼻にかかった音。
「理人さんに会ってみたい、ってうるさかったしちょうどいいかも」
「……ぅえ……あ?」
あ、ダブル母音。
「え、ちょ、ちょっと待っ……え、え?会ってみたいって、俺、に?」
「はい」
「だ、誰が」
「母さんとか姉ちゃんとか」
理人さんの口からは、ついになんの音も零れなくなった。
「理人さん?」
「え、嘘……だろ?」
「なにがですか?」
「まさか話した、のか?俺の、こと」
「はい」
「ご、ご両親……と、ご兄弟……に?」
「はい」
「い、いつ……?」
「年末に帰った時です」
すでに少なめだった瞬きが、ゼロになった。
ペースト状になりつつあるたまごをかき混ぜていた手が、止まった。
長い指に支えられていた菜箸がふらりと倒れ、コン、とボウルに当たった。
「あ、でも、変なことは言ってませんよ?」
「……なんて」
「お前もそろそろいい年なのにそういう相手はいないのか、って言われたから、いるって答えただけです」
「それ、だけ?」
「はい」
「なんだ……」
理人さんは、深いため息を吐いた。
そこに滲んでいるのは、純粋な安堵。
「ああでも、ものすごくイケメンでかわいい人だって言ったら、母さんたちが騒ぎ始めて」
「……え?」
「それ以来、LIMEする度に早く連れてこい連れて来いってうるさいんですよ」
「佐藤くんまさか、俺が男だって……言った?」
「あ、はい。なんとなく話の流れで」
理人さんは、なぜかまた押し黙ってしまった。
「姉ちゃんたちだけじゃなくて兄貴も家族で帰省すると思うんで、うるさいとは思いますけど」
「……」
「天気が良ければ筍掘りにいったり、山菜取りに行ったりできるし」
「……」
「まだ水は冷たいですけど、川に入って遊んでも――」
「ごめん」
「え?」
「ちょっと考えても……いいか?」
そう言った理人さんの瞳は、いつになく真剣だった。
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