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*-15 過去の夢

 十数分後、僕はアレンに教えてもらった通りに、たどたどしくではあるがナイフでステーキをカットしフォークで口に運んだり、スプーンを啜らずにスープを飲んでいた。  アレンは「なかなか飲み込みが早い」と褒めてくれたので、有頂天になった僕は料理の名前を訊いたり、部屋の家具やこの村のことについて教えてもらったりした。彼もそれを嫌がる様子もなく、僕が普段とは異なる環境に慣れて、寛いでいるのを安心しているようだった。  ただ、話は食事を挟みながらで、メインは食事だった。アレンは僕の分の料理を取り分け、オレンジジュースを瓶から注いでくれると、自分は用意されていた食前酒だけぐいっと飲み干して、それ以外は水を飲んでいた。そして、大皿に乗った料理をナイフで豪快に切り分けると、飢えた獣のようにがつがつと食べ続けていた。なので、僕が話しかけるのは、主に彼が料理を水で流し込んでいる時だった。  サラダとその上の焼き魚、肉料理二種と、タコスを食べ終わると、ようやく彼は顔を上げて腹を摩りながら訊いた。 「なあ。カミュ。お前は俺のこと、強いと思うか?」 「え」  いきなり今までの話とは関係ないことを聞かれたので、僕は手を止めて彼を見やった。 「隊商の奴らより強いのは当然だが。お前にはどう見える?」 「アレンさんは強いに決まっているよ!ウィルの子孫だし!それにサヌハンのギルドオーナーもドラコで指折りのクエストハンターだって言ってたよね」 「まあな。だけどお前、俺が戦っているところ、見たことないだろう?」  オオトカゲやイノシシを退治したのは目撃したが、一瞬だったので戦っていたとは言えないのかもしれない。僕は怪訝な顔をしながら言った。 「でも、アレンさん。その体で弱いわけないじゃん」  料理だってがっつり食べているし、隊商の大人達や村の人々の中でずば抜けて大きいので、いかにも強そうに見える。体に残る幾多の切り傷も歴戦の勇士であることを物語っている。 「この村でも強いだろうか?」にっこり笑って訊ねるので、僕もうんと強く頷いた。 「当たり前だよ!レメルグにも冒険者や格闘家はいるだろうけど、アレンさんが一番だよ」  拳を振って断言すると、彼は「そうか」と呟いて水を口に含んだと思ったら、 「お前、金持っているか?」と、唐突に訊いた。 「え……お金?」 「ああ」  僕はきょとんとして、一呼吸間を置いた後、椅子から立ってザックの方に向かった。中をごそごそと掻きまわしていると、傷んだ青銅貨が一枚だけ入っていた。 「5(ブロンズ)ならあるよ」 「ふーん。……わかった、俺が5B貸してやろう」 「……え??」  アレンが懐から出した銀貨に目が行って、僕は理解が出来ず戸惑った。 「これで1(シルバー)だ。それをくれ」  大きな掌を出されて、僕はくすんだ色の銅貨を彼に渡した。 「利息はないから安心しろ」 「ど……どういうこと?」 「まあいいから。そういやお前、まだ煮物食ってないだろ?ここの料理は村一番だからな。完食できなくても、一口だけでも味わった方がいいぞ」  僕の問いに言葉を濁して、アレンは再び食事を始めた。 ***  常日頃、粗末な食事しかしていなかった僕は、半時ほどかけてゆっくりと取り皿から摘まんで食べたら満腹になって、今度は眠気で瞼が重くなってきた。アレンは僕の状態に気付くと、歯磨きをさせてベッドに寝かせた。硬いながらも弾力があり身を包み込むような感触のベッドに横たわると、柔らかい麻布をかけてもらった。ボーイが来たのかシャンデリアや壁掛けの灯りはすでに消えていた。 「アレンさん、今夜も出かけるの?」立ち入ったことを聞かないよう、僕は慎重に訊ねた。 「ああ。……不安かい?」 「ううん。平気だよ。僕、こんなに大きくてふかふかのベッドで眠るの初めて。いつもは野宿だしね。それに料理もとても美味しかった。全部アレンさんのお陰。ありがとう」僕は上掛けを引き寄せて言った。 「喜んでもらえて良かった。普段に比べたら広すぎる部屋だが、誰も入ってくることはないし、安心して寝るといい。眠りの女神がお前に微笑まんことを」と言って、アレンさんは僕の頬を掌で撫ぜた。 「おやすみ」 「おやすみ」  アレンは枕元の燭台の火を吹き消して、部屋から出て行った。 ***  僕はすぐに眠りにつき、いくらも経たないうちに昔の夢を見た。魔法使いのエムリスが夕飯の後に僕をテントに呼んで、読み書きを教えている夢だった。  エムリスの用意してくれたノートに字の練習をしていると、彼は紅茶を入れてくれた。赤茶色の湯に芳ばしい味と香りがついているのに驚いて見上げると、彼は目元にしわを寄せて微笑んでいた。  エムリスは四十歳くらいの壮年で、金髪を長く伸ばし同色の短い髭を鼻下に蓄えていた。動きやすさのためにローブは着ておらず、冒険者の剣士のような身なりをしており、長身で体つきもがっしりとしていた。  魔法使いには痩身で華奢な人が多いと思っていたが、彼は偉丈夫で聞けば昔は魔法戦士だったらしい。慕っていた隊長の引退やその後のいざこざで戦士団や国が嫌いになって、異国を放浪し植物を採集する研究者になったのだという。  その話を聞いて、僕は真っ先に魔法戦士になるにはどうしたらいいのかをエムリスに訊ねた。  彼は僕の真剣な目を見つめしばらく沈黙したが、ペルセウスの国にある魔法学校を中等科、高等科、大学と進んで、魔法だけでなく文武において優秀であれば大学や公共の機関から推薦される、と答えてくれた。ただ、すぐに僕の両手を優しく握り、魔法戦士は見栄えが良く稼ぎもいいが、綺麗な仕事ばかりでないし、任務中に大怪我を負ったり、運が悪ければ死んだりすることもあるからお前には勧めない、と念を押すように言った。それはおそらく僕が年相応の体つきではなく、脆弱な体質で戦闘には向かないと判断したからだろうけど、優しい彼はオブラートに包んだのだ。 「それにお前はまだ魔法が使えないだろう?詠唱魔法を覚えたいなら、まずは言葉と文字を習得しないとな。一般に使われる民衆文字は前段階にすぎない。魔術文字を勉強して、ようやく安全に魔法が使えるようになるし、使いこなせてはじめて魔法使いになれるのだ。魔法は言葉の力だからな。……お前はどうやら言葉にせんでも力を使えるようだが、魔法とはいえないよ。素質はあると思うがね」 エムリスはそう言って、僕の長く伸びた襟足を撫ぜた。

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