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*-14 湯浴み
***
「アレンさん、いやっ!いやっ!」
「何を嫌がっているんだ」
僕は部屋の浴室で、アレンに頭を洗ってもらっていた。目の前の鏡には、泡だらけの逆立った髪をした僕がいる。初めてのシャンプーに目が染みて、泣きじゃくって逃げようとするのを両足で抑え込んで強引に漱がれる。
「今度は体だな」
「いや!離して!!泡が怖いよ……。それにお湯も」
「慣れてないだけさ、カミュ。綺麗にしてやろうというのに、そんなに抵抗するなって」
「だって。染みるんだもの」
「我慢、我慢。今度は目には入らんよ。ほら見ろ。お前の体からこんなに垢が出てきたぞ。背中しか洗ってないのに」と、肌理の粗いタオルを手桶に浸して、無数の浮遊物を見せてきた。僕は歯噛みして、恥ずかしそうに彼を見上げた。
「はは。そんな顔するなって。体中の垢を落としてやるから、風呂を上がるころにはさっぱりするぞ」
「でも……、肌が痛いよ」
タオルでごしごし擦られたせいと湯が熱いせいで、僕の体は茹でだこのようになっていた。が、アレンは気にする様子もない。
「ここもしっかり洗っておこうな。雑菌が入ったら困る」
アレンは僕の下腹に手を伸ばして、豆のように小さい突起に手を当てた。
「ひゃ!!」
僕はアレンの手を払いのけようともがくも、まったく甲斐が無かった。そこにはタオルを宛がわず、彼が泡立てたソープが優しく僕を包み込んだ。
「んっ!!あっ、ダメ!」
顔を赤くして叫んだ時には、彼は知らぬ存ぜぬとばかりに別なところを洗っていた。少しでも感じてしまった僕が馬鹿みたいなくらい、アレンは僕の手足を再びタオルで擦っていた。
「よしっ!流してやろう」
アレンは数度手を払って泡を飛ばすと、大きな湯樽から手桶で湯を掬い僕にばしゃばしゃとかけていく。泡がすべて流れ落ちると、浴槽に入るよう僕に指示した。テラコッタの湯船に恐る恐る跨ぎ入るとそれはもう熱くて、飛び出しそうになったが、アレンはそこに10秒いるよう命じた。
「たったの10秒でいいから、体を温めろ」
「いち、にい、さん……」と僕はしぶしぶ数を数えながら、体を洗い始めたアレンを見やった。
浴室は湯気で視界が悪かったもののテントの中よりは明るかったので、彼の裸体もよく見えた。筋骨隆々とした逞しい肉体は宿屋の破風に彫刻された男そのものだったし、肌着も着てなかったので立派な逸物がぶらりと垂れていた。毛先の赤い恥毛は縮れているほかは、彼の頭髪と同じ色をしていた。脇も同様だったが、胸元にはまだ毛が生えていない。
アレンは片膝をついて、手桶に満たした湯を肩にかけて泡を流していく。その時の筋肉の曲線美や体から上がる湯気を僕はまじまじと見入った後、顔を赤らめて目を逸らした。
「おい。10秒はもう経ってるんじゃないか?」
アレンがものの30秒ほどで体を洗い終え、タオルを肩にかけて湯船に浸かると、水嵩が一気に増して四方から滝のように溢れてしまった。僕はびっくりして湯船のヘリに腕を沿わせて、それ以上湯が零れないようにしたが、当然ながらアレンが入っている間は湯が減ることもなかった。
「ア、アレンさん早くない?体、ちゃんと洗ったの?」
僕のときはごしごし擦り切れるほど磨かれたのに、あっという間だったので怪訝そうに見上げた。彼は頭を掻いて笑う。
「俺はいいのさ。今日は用があるから……」
「用?」
「あとでまた入る。その時にしっかり洗うから」
「……そうなんだ」
僕はよくわからないながらも、今夜はアレンと眠れないような予感がした。水面の波打つ音とともに彼は僕の尻を叩いて、風呂から上がるように促した。
***
脱衣所でアレンに濡れた髪をタオルで豪快に乾かされて、のぼせたのも手伝ってふらふらしながら部屋に戻った。すると、部屋の中央に置かれた丸テーブルにはラピスラズリの真っ青なビーズが編み込まれた銀糸のレースクロスが掛かっていて、その上にいくつもの料理が乗っていた。その量は、腹ペコの大人の男が5人がかりでも食べきれるかというくらい膨大だった。
アボカドの入った鳥と野菜のスープに焼いた川魚の乗ったサラダ、サルサの皿と一緒に盛られているタコス、ヒヨコマメとタマネギをラードと一緒に煮込んだもの、牛ステーキ肉のグリル、鶏肉のトマト煮込み、ヤギ肉の蒸し焼き、覚えているものだけでもこれだけあった。
皆出来たばかりと見えて、美味しそうな匂いの湯気を立てている。僕の後から出てきたアレンはタオルで頭を拭きながら、テーブルを一瞥して退室しかけたボーイを呼び止めた。
「カミュの分は?」
「え……。はい?」
ボーイは、素っ頓狂な声を上げた。もうテーブルには乗りませんが、とでも言いたげな顔でこちらを見た。
「まあいいや。……戦の前の腹拵えにはこれで十分か」
アレンはぼそっと呟いてボーイを下がらせると、目を見開いて立ち尽くしている僕の手を引いて、椅子に座らせた。座面と背凭れはビロード張りで弾力があり、とても快適だった。
「小皿に取ってやるから、よく食べるんだぞ」
「ぼ……ぼく、こんなに食べられないよ」
「心配ない。8割は俺が食べるから。でも、大きくなりたいなら、たくさん食べないと駄目だぞ」
アレンは有無を言わさず、各種の料理をスプーンやフォークで取り皿に分け、僕の前に置いた。日頃は決して食べることのできないご馳走を前にして、僕は怖気づいてアレンの顔を覗いてしまった。彼と目が合い、「どうした?食欲がないのか?」と心配されてしまう。「ううん」と首を振って食べようとするも、僕の手は止まってしまった。
——食べ方がわからない。
一通り料理を分けたアレンが、右手にスプーンを持ちスープを掬って飲むのを見て、傍らにあったスプーンを初めて手にした。ぎこちなくそれを持ち上げて、スープに入れるとカチンと音が鳴った。僕はびくっと肩を揺らした。
「カミュ?……スプーンは初めてか?」
「……」無言で頷いたが、アレンの方を見られなかった。
「そうか」
「いつも手で食べてたから」
こう言えば、二週間程度一緒に旅をしてきたアレンなら理解できただろう。先の割れた木の匙ならスープを飲むのに使ったことがあるが、陶器製の高価そうな皿や銀製のフォークセットを前にして、たじたじしてしまったのだ。
「誰にも初めてはあるんだ。恥ずかしがることじゃない。心配するな。教えてやるから」
テーブルの下で戦慄いていた拳にアレンはそっと手をのせて、僕に微笑みかけた。
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