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ともに
「集合!」
通常の高校の何倍もあるグランドに向かってオレは声を張り上げた。トンボをかけていた1年の後輩や、ハードルや高跳びの器具を抱えた2年の後輩が一斉にオレのことをみる。
ああ、オレは芹沢 陽希 、陸上部部長で、この度、スポーツ推薦でS大に合格した。3月から本格的に大学の陸上部でお世話になるということで、本来なら夏休みが終われば部活動は引退するのだが、基礎体力作りと課せられた課題をこなすため、いまだに現役陸上部員で部長まで任されている。2年の後輩には悪いが、指導やら監督などの総括を身につけるためには実践が一番手っ取り早いのだ。
「整列!」
続けて声を張り上げると、蜘蛛の子が群がるように集まってきた。そして、抱えた器具やトンボを背中に隠し、胸を張った。
「グランドに挨拶!」
「有り難うございました!」
揃えられた声はグランドの奥まで響き、早朝の澄んだ空気を大いに轟かせる。ソレから、数秒の沈黙後、「解散!」というオレの号令で集まってきた後輩らは、器具やトンボを片しにそそくさと散らばっていってしまった。
だから、その場に取り残されたオレに気軽に話しをかけてくるのは、マネージャーである木下 茜 くらいだ。
「お疲れ様です。部長、今日の昼練はどうします?一応、自由参加ですが、人数の確認だけはしておきたいので」
名簿を捲り、有無の返事を待つマネージャーは北方美人だともいえる。シャープで可憐なその容姿に鼻の下を伸ばす輩はいても、しかめる輩はそういないだろう。ソレくらいの美貌のマネージャーにときめく後輩らは、やきもきした顔でチラチラとオレの顔ばかりを窺っていた。
「お、お疲れ。すまないが、昼練は不参加で頼む。昼放課に部長会議があるらしいんだ」
淡々と業務連絡如く言葉を発するオレに細い首を右に傾げ、右の口端に右の人差し指を添える仕草をみせるのは不可解なことがあったからだろう。だから決して、オレに色目を使っているワケではない。なんせ、陸上部の顧問である堤谷 煌太郎 先生( 四十路のオヤジ)にも同じ対応をしていたから、コレはマネージャーの癖なのだろう。
「昼放課にです?」
「ああ、業後だと大会を理由に欠席する部長がいるらしくってな……」
オレみたいに引退してまで部長をやっているヤツがいないんだと苦笑いをすれば、マネージャーは納得した顔で、「経費と出席率が比例していれば、真面目に会議に参加する部長も増えるんでしょうね」と、諸に痛いところを抉るように突いていた。要するに、成績順で部活動経費が優遇されているから、弱小部は躍起になっているのだ。
「解りました。夕練は頭から参加ということで副部長にもそう伝えておきます」
マネージャーはオレに頭を1つ下げると、後輩らの元へ走る。後輩らにもオレ同様、参加状況の有無を確認しにいっているのだろう。「さすが、マネージャー!」といいたいが、こうやってそつなく雑務をこなされたら、オレの立場がまったくない。そう、雑務全般はオレの仕事だったのだ。
だが、ご覧の通りできるマネージャーにすべての雑務を奪われた。いや、奪い取られた。だから、オレは苦肉の選択みたいにマネージャーにこう訊いたのだ。
『オレがやれることは?』
と。すると、今しがた検索をかけているという奇妙な間が開き、『う~ん、そうですね。号令をかけることでしょうかね?』と雑務でもなんでもない、部長たるモノなら誰もがやっていることを平然とした顔でいい退けたのだ。しかもだ。『コレ以上、オレに貫禄をつけさせてどうするんだ?』という眼差しでマネージャーをみれば、『部長の肩書きは《ぶれない上司》だと思います!』とソレはもう真顔で、上手に包み丸め込まれてしまったのだ。
そのお陰で基礎体力作りは着実に進み、大学からだされた課題はクリアできそうであるが、コレ以上つけたくない貫禄は悲しいくらい肩身に染み込み、当初からあった後輩らの溝は更に大きく広がっていた。そして、その修復の道がまったくみえない状態になっている。当然、『近寄りがたい先輩』という付箋は、『ぶれない上司』に塗り変わっていた。
ソレは兎も角、オレはそんなマネージャーの後ろ姿をみ、溜め息を漏らす。だが、どう考えても八方塞がりで、取り敢えず、部室棟に隣接しているシャワールームで、掻いた汗を流してから対策を考えようと部室棟の方へ向かった。
グランドと横並びしている雑木林の中を通り抜けるのはオレくらいで、他の生徒はソレに沿って部室棟へ向かう。人気がない木漏れ日も射さない薄暗い雑木林は気味が悪いのだろう。
オレは颯爽と雑木林を横断する。距離としては中程、少し開けた広場的なところで、大量の缶コーヒーを抱え込んだ堤谷先生に遭遇してしまった。備えつけのベンチに座るその姿は、まさに四十路を越えたオヤジだった。
「よっ」
軽快そうな態度で挨拶をされるが、その姿に呆れが入る。サンダルとよれよれのタートルネック、分厚い靴下に使い古したジャージズボンはあちらこちら綻びていた。そして、1年半前までいた可愛い奥さんと可愛い息子はどこにいったというくらい、独り身の寂しいオッさん野郎にまで降格してしまっていた。
「お、はよう御座います。珍しいですね、朝練はでない主義ではなかったんですか?」
そんな嫌味と卑屈を含んだ言葉でオレが堤谷先生に応じるのは、その用件が差し当たり悪い方だと思ったからだろう。だから、決して差し入れではないと缶コーヒーの山をみながら、呆れ返ってしまったとはいわない。
「財布の管理もロクにできないのに、部活動経費の管理なんてとんでもないですね?」
どうせ、自棄になって購入したんでしょう?と冷たくあしらったのも、この3年間顧問以外にオレの担任だったせいでもある。
堤谷先生は真顔で「…悪かった、な……」と言葉を濁らせ、オレにその中の1つを投げて寄越してきた。お茶ならまだしも、競技者にコーヒーはないだろうと、オレは受け取った缶コーヒーを堤谷先生に返す。しかも、両腕一杯にあるその天辺に不安定に乗せてやるから、物凄く睨まれてしまった。
「お前な……、人の親切を──」
「仇で返してきたのは先生の方でしょう?飲めないモノを渡されても困ります」
尽かさず、オレはバッサリと切り捨てるとぐの音もでないくらい叩きのめす。顧問で担任、年長者で社会の木鐸であるから敬わないといけないのだろうが、ソレができないのは恋人同士で愛し合っていたせいだろう。
「………………」
「ソレで、『俺に任せろ!』と豪語したのはどこの誰でしたっけ?」
オレはとことん皮肉を含め、幽霊部員になりつつある1つ年下の後輩である高徳 隆嗣 のことを持ちだしてやる。多分、オレから切りださないといつまで経ってもうだうだされ、前に進めそうではなかったからだ。
その高徳とは高跳びという競技に長け、その実力は全国大会を優勝するモノだ。そして、新記録更新という快挙まで残している。
だが、当の本人はその凄さをまったく理解していなかった。
『俺、高跳びには興味ないんで──』
そういい残した高徳は、今や、女の子にかまけている。いや、もともと優男で女の子にかまけていたからそうとはいわないだろうが、全国大会を優勝してからはソレに拍車がかかっているからそういってみただけだ。
一方、苦虫を噛み潰したような苦い顔になる堤谷先生は、まったく返す言葉もないようだ。
「……………」
だが、オレもそう強くはいえる立場ではなかった。そう、高徳の性格を拗らせ、無断欠席させているのはオレのせいでもあるのだから。
「ソレで、高徳の説得を失敗させ、選手と監督の間柄まで拗れさせたんですか?」
オレは缶コーヒーごと堤谷先生を抱き締め、左肩口に顎を乗せた。例え、堤谷先生の一方的な片想いで、高徳に微塵も相手にされていないとしても、オレが堤谷先生にフラれたという事実は変えられないのだ。そして、そんな状況下にあっても、オレはいまだに堤谷先生のことが好きで諦めることもできない。未練がましいと思えるだろうが、好きなモノは好きなのだからどうしようもない。
だから、たまにこうやって愚痴を聞かされ、慰めるという立場にあったとしても、堤谷先生に頼られているということに幸せを感じ、嬉しさも感じていた。そう、まだオレにも好意が残っているんじゃないだろうか?という、淡い気持ちにさせられるからだ。
すると、堤谷先生はオレの首筋に顔を埋めるように擦りつけてくると、柔らかい唇を首筋に押し当ててきた。ビリッと電気が走ったように背筋まで、震える。ザワリと下半身が疼き、唇が肌に触れただけでも頭の芯がぼんやりとし、気が溢れた。そして。
「お前な、アイツ抜きで今年の成績を来年もまた維持できるとでも思っているのか?」
上目遣いでオレのことを睨み、「部活動経費が下がったりしたら、再来年の全国大会の経費はどうするんだ!」と捲し立てられると、オレの悪い虫がココぞとばかりに疼きだす。そう、悪い虫はカマキリをも誑かすのだ。
ああ、先にいって置くが、部活動軽費の解決策はある。来年も再来年も高徳と同等な1年を抱え込めばイイことだ。
だが、堤谷先生は高校入試にもある推薦枠を活用しようとはしないだろう。所詮、部活動経費よりも高徳で、経費作りの云々も高徳を口説くこじつけなのだから。
「さぁ、全国優勝はできたとしても、新記録更新は無理でしょうね……」
曖昧さを残し、オレは百点満点の解答で堤谷先生を誑かす。いや、拐かす。
「解っているんならいうなよ。な、芹沢………しよ」
オレは小さく頷き、堤谷先生から離れた。みた目は年相応の干からびたオッサンのクセに、しなった筋肉質とスラッと伸びた細身の体躯はオレ好みである。ソレに、定期的に絞っているワケでもないのに、引き締まった腹筋は適度に割れていた。そして、なによりその下にある顔とは似使わないデカブツは、もう余すことなく食い尽くせる絶品モノであった。
「シャワー、浴びたい。ソレに、ココじゃマズイでしょう?」
オレの云わんとすることが解ったのか、堤谷先生は抱え込んだ缶コーヒーをベンチに置き、立ち上がるとオレの手を引く。恋人同士だったときみたいに、オレのことをエスコートする姿はやっぱり蕩けるくらいカッコよかった。
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