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プロローグ

 微かに、ぱちぱちという音が響いている。  広い、広い部屋だ。部屋の隅まで届く光はなく、この部屋がどこまで広いのかを知っている者は、誰もいないだろう。  部屋の中央には、篝火が焚かれている。そのまわりを無数の白装束の人物が取り囲んでいた。彼らはじっと立っているだけ。見つめているのは篝火で、その視線に煽られるように、炎はますます勢いよく燃えあがる。 「……あ」  そのうちのひとりが、小さな声をあげた。炎がひときわ大きく勢いを増し、その中にうっすらと、女性の影が浮かびあがったのだ。  女性は頭から白いベールをかぶっていて、それに透ける顔がぼんやりと見えるだけだ。若いのか年寄りなのかもわからない。その場の者が女だと思っているのは、それが『白鳥の巫女』だと聞かされているからだ。このマヴィボルジ王国のすべてを知っていると言われている、万能の巫女。  しかし彼女に会うのは非常に困難だ。巫女は、炎の中にしか姿を現さない。そのためには複雑な手順でおこなわれる儀式が必要で、その方法を神殿の者たちが古書を繙き、一年がかりでこの場を設けたのだ。神殿長でさえ、巫女の呼び出しかたは知らなかった。  この部屋は、巫女の神託を待つ者でひしめいていた。いったい何人が集まっているのか、知る者はない。この濃厚な空気の中、誰もが口を噤み、呼吸の音さえ抑え、真っ赤な炎を見つめている。 「南……」  炎の中から声がした。皆がぎょっとしたように視線を向ける。炎の巫女が言葉を発したのだということが、誰にもわかった。 「南? 南がどうした」  待ちきれずに急かす者がある。皆がいっせいに「静かに!」とささやき、部屋にはまた静寂が訪れた。 「南の方向から、やってくる」  耳を澄ましておかねば聞き取れないほどの声だ。炎がぱちぱちと燃えあがり、巫女の言葉が掠れて聞こえる。皆はますます聴力に集中した。 「陽の満ち足りた時刻に、やってくる」 「なにがやってくるというのだ!」  焦れた男が、声をあげた。炎の中の巫女は、その男をちらりと見あげる。そしてなおも聞き取りにくい声で言った。 「玉兎、が」 「玉兎?」  巫女の言葉を繰り返したのは、ひとりやふたりではなかった。皆がその聞きなれない言葉を繰り返した。 「玉兎とはなんだ」  力強くそう問うた男がいた。しかし巫女の姿は、徐々に消えつつある。彼女はなにかを言ったようだったけれど、炎の勢いが弱まるのと、その声が薄くなるのは同時だった。 「玉兎が、帝を選ぶ。玉兎の意思が、神の意思」  巫女は微かな声でそう言って、そして炎は消えてしまう。同時に巫女の姿はその場からなくなってしまい、部屋の中は真っ暗になった。 「どういう……」  巫女の姿が消えたこと、まわりを照らす炎がなくなったこと、そして残された言葉の不思議。部屋は途端にざわつきはじめて、誰もが巫女の残した言葉の謎を解こうとしている。  その中、ひとりきびすを返した者がいた。彼は足早に部屋を去り、誰も彼を呼び止めることはしなかった。それよりも、巫女の言葉の意味を知りたいと思う者ばかりだったのだ。  部屋を出た者は、回廊を歩いて露台に出ると、ひとりになって大きく息をついた。彼が見あげる先には、夜の帳が下りている。そこに浮かぶのは、見事な円形を描いている青い星だった――。

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