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第2話(3)
目が覚めたのは、なにか美味しそうな匂いがしたからだ。
「……ん」
微かに声をあげて目を開けると、目の前の低いテーブルにはいくつもの盆や皿が並べられているのだ。
「お目覚めになられましたか」
「ルアン……」
清貴は体を起こそうとしたけれど、なにしろ人間をだめにするクッションだ。なかなか起きあがれなくて、見かねたルアンが手を貸してくれた。
「よっこいしょ、っと」
テーブルの上には、美味しそうな食事が乗っている。緑がかった色のスープ、緑と赤のサラダ、籠の中の固そうなパンに塗るのであろう白いペースト、大きなピーマン状の野菜に米が詰めてある一品。豆の入ったトマトふうの煮込み、茄子に似た野菜の中に赤いざく切りの野菜が詰めてある料理。
「わぁ……」
テーブルを彩る豪華な料理の数々に、清貴は歓声をあげた。ルアンは落ち着いた表情ながらも、どこか嬉しそうだ。
「すっごく美味しそうだけど、ひとりじゃ食べきれないよ……」
「では、うさぎの精霊を呼びましょう」
どうあっても、ルアンは清貴の食事に相伴するつもりはないらしい。ルアンは部屋から出ていく。少しさみしく感じながら、添えられていたスプーンでスープをかきまわしていると、遠くから賑やかな声が聞こえてきた。
「清貴、ごはん食べるの? 僕も食べる!」
アザミが走って部屋に入ってくる。彼はテーブルの向こう側に座り、並べられた料理を目を輝かせて見ている。
「ねぇ、一緒に食べよう?」
「うん。いただきます」
清貴が手を合わせると、アザミは不思議そうに首を傾げた。
「なに、それ?」
「俺の国では、やるんだ。食べる前と食べたあとに」
「ふぅん」
アザミも清貴を真似て、ふたりは食事をはじめる。清貴が最初に口にしたスープは、豆の風味が素晴らしい逸品だった。
「美味しい……」
「でしょ、でしょ?」
嬉しそうにアザミが言う。
「ここのごはんは、本当に美味しいんだ。僕もしょっちゅう、食べさせてもらってる」
「アザミは……」
白いペーストをパンに塗りながら、清貴は首を傾げた。
「どこに住んでるの? この、お城の中じゃないの?」
「僕は、うさぎだよ!」
アザミが元気な声で言った。
「うさぎは、森に住んでるんだ。でもときどき、お城に遊びに来るの」
フォークで器用にひと口ぶんを切りわけながら、アザミが言った。
「お城の人、みんないい人! みんな僕を構ってくれるんだ!」
アザミはそう言いながら、茄子状のものを頬張った。
(自分はうさぎだって……耳を見るとそうだけど、でもそれ以外は、人間の子供に見えるけどなぁ?)
豆の煮込みをすくいながら、清貴は考えた。しかしここは金の星なのである。青い星の常識は、通用しないのだろう。
(とりあえず、食べものは普通でよかった)
トマト風味の豆は、やはり美味だった。もぐもぐと咀嚼しながら、清貴はアザミのおしゃべりを聞いていた。
「ごちそうさま」
ふたりがかりで、テーブルの上の皿はすべて空になった。清貴が手を合わせると、アザミも真似をする。
「お済みでございますか」
まるで見計らったように、部屋に入ってきたのはルアンだ。彼とともに三人の女性がついていて、彼らは手早く食事の後片づけをした。
「あの、美味しかったです……すごく」
清貴が言うと、ルアンはその緑の瞳に喜ぶような色を浮かべた。冷静な彼のそんな表情を見ると、清貴はなんだか安心した。
「厨房の者に、伝えておきます」
「お願いします」
女性たちが皿を運んでいって、残ったルアンはベッドの用意をしている。
「あの、風呂は……使わせてもらっていいんですか?」
「風呂ですか、かしこまりました」
ルアンが手を叩いた。すると先ほどとは別の女性が現れて、ルアンはなにごとか、彼女にささやいた。
「お風呂? お風呂入るの? 僕も入る。お風呂、行く!」
アザミが騒ぎ出す。そんな彼らを、ルアンは微笑ましげに見ていた。
(この人は、すごくいい笑いかたするなぁ)
ルアンに顔を向けて彼を見つめながら、清貴は思った。
(すごく優しそうだし……実際、優しいし)
彼と目が合い、清貴は思わず視線を背けてしまう。これではまるで彼を意識してしまっているかのようだけれど、自分でもなぜ目を背けてしまったのかはわからない。
「ルアンさま……」
先ほどの女性が戻ってきた。ルアンは頷いて、清貴に言った。
「風呂の準備ができたようです。まいりましょう」
ルアンを先導に長い回廊を歩いていく。しばらく歩くと、なにやら暖かく湿った空気が漂ってきた。
「わ、あったかい!」
アザミが声をあげた。
「なんだか、気持ちいいねぇ」
清貴は、くんと鼻を鳴らした。湯の、いい匂いだ。それだけでリラックスできるように感じる。
「こちらです」
細く湯気が抜けていくドアをルアンが開くと、ぶわっと湯気が流れ出してきた。目の前が真っ白だ。
「足もとに、お気をつけください」
ルアンは慣れた調子で中に入る。入ってすぐには小さな部屋があって、タオル一枚の男性がベンチに座っていた。顔が真っ赤なのは、蒸し風呂で火照ってしまったのだろうか。
「ここで、服を脱ぐんだよ」
さっそくアザミが服を脱ぎはじめている。彼はまったく普通の子供に見えるのに裸になっても頭の耳としっぽは取れず、やはりあれは作りものではないということを確信する。
「わぁ、あっつい!」
アザミは、ぱたぱたと中に走っていって、声を張りあげている。
清貴は戸惑いながら、のろのろと服を脱いだ。傍らにはルアンが控えていて、彼の前で裸になるのには少し勇気がいった。
「ルアンは? 入らないの?」
「私は、側人でございますから」
食事に誘ったときと同じような口調で、ルアンは言った。それはそうなのかもしれないけれど、距離を感じて清貴は少しさみしくなる。
「わぁ……」
部屋の奥、湯気が流れてくるところに足を踏み入れると、足もとはつるつるの石だった。思わず転びそうになるのと、ルアンが「お気をつけください」と言うのは、同時だった。
「わ、……っ!」
「大丈夫ですか」
ルアンが、力強い腕で清貴を支えてくれる。その力の強さが意外で、思わずどきりとしてしまう。
彼とともに中に入っていく。すると先に入っているアザミの騒ぐ声が聞こえた。広い室内のあちこちには、石でできた台に座っていたり寝そべったりしている者の姿がある。
「ここにお座りください」
言われて座った石の台は暖かくて、体が芯から温まりそうだ。そこに座ってじっとしていると、どくどくと汗が出てくる。
(気持ちいいな、これ)
サウナが好きな人の気持ちがわかる、と清貴は思った。しばらくそうやって汗をかいていると、ルアンが布を持って現れた。彼は簡易な服に着替えていて、台の上に横になるよう清貴に言った。
「なにするんですか?」
「垢すりをさせていただきます」
その言葉に、ぱっと顔をあげる。確かに湯気で霞む室内で寝そべっている者の中には、人に体を擦らせている者もある。清貴は戸惑った。
「いや、いいです……普通に洗えれば、それでいいんで」
「そういうわけにはまいりません」
どこか強引な口調でルアンに言われ、清貴はおどおどと台の上にうつ伏せになる。ルアンは手慣れた調子で体を擦ってくれた。
「ルアン……上手だね」
「そうですか?」
食事の前まで寝ていたのに、また眠くなってくる。ルアンはてきぱきと作業を済ませ、清貴は足の指まで洗われた。くすぐったいのを我慢した。
「清貴、垢すりどうだった?」
仕上げに湯をかけられているところに、アザミが駆けてくる。うん、と清貴は頷いた。
「こんなの、初めてだったけど」
「なんか清貴、きれいになった」
「……きれい?」
清貴は思わず、顔を歪めた。
「なんか、お肌つるつる。唇が赤い」
そのようなことを言われて、喜ぶべきなのだろうか。するとルアンが、くすくすと笑っている。
「ハマムと垢すりで、血行がよくなったのですね。いい顔色をしていらっしゃいますよ」
「うん、清貴、きれいだね!」
「だから、きれいってのはやめろ」
そういうアザミも、白い肌がつやつやだ。清貴はアザミに手をつながれ、服を脱いだところに戻る。ルアンは白い貫頭衣を清貴に手渡してきた。
「こちらにお着替えください」
一面に刺繍の施された豪華な衣装だ。新しいズボンも渡してもらい、そうやって着替えると心地よく、清貴は大きくため息をついた。
「こちらのお召しものは、いかがいたしますか」
この世界に来たときに着ていた服だ。ここで過ごすのなら、もういらないものだ。清貴は考えた。
「……置いておいてくれますか」
「かしこまりました」
衣服をたたみながら、ルアンは頷いた。
「洗って、保存いたします」
「お願いします」
またアザミに手を取られ、清貴は部屋に戻る。とはいえ、まだまだ不案内な王宮の中だ。ルアンが先導してくれて入った部屋にはところどころランプが灯っていて、幻想的な雰囲気に変わっていた。
「おやすみになりますか」
その雰囲気にいささか圧倒されていた清貴は、ルアンの言葉に「はいっ!」とアザミのような声をあげてしまった。
ルアンは微笑んで、ベッドの用意をしてくれた。アザミはさっそくベッドの上に乗って、ぽんぽんと跳ねて遊んでいる。
「こら、遊んでいると、清貴さまが眠れませんよ」
「だって、楽しいんだもん!」
アザミはなかなか言うことを聞かなかったが、ルアンは彼をベッドから追い出した。
「清貴さま、どうぞ」
「ありがとうございます……」
アザミが跳ねたせいでくしゃくしゃになったベッドに、清貴は潜り込んだ。するとアザミがするりと清貴の横に入ってくる。
「わぁい、あったかい。ベッド、ふわふわ!」
清貴が目を向けると、ルアンがひざまずいている。
「おやすみなさいませ」
「ルアンも、おやすみ!」
アザミが声をあげる。清貴は挨拶のタイミングを逃してしまい、あたふたとした。
「おやすみなさいませ。清貴さま」
「うん……おやすみ」
アザミはしばらくはしゃいでいたが、すぐにまるで糸が切れたように眠ってしまった。
(即落ち……)
清貴はアザミの頭を撫でながら、めまぐるしかった一日のことを反芻する。
清貴の落ちた森の中。白い猿のような動物がいた。そのあとアザミに出会ったこと。王宮に連れてこられたこと。カヤとアスランに会ったこと。部屋を与えられて、ルアンという側人がついてくれることになったこと。
(これから、どうなるんだろう?)
一日の疲れと、ハマムでリラックスできたことで、清貴も眠くなってくる。目を閉じて、今日会った人々の顔を思い返しているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
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