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第2話(2)

 大きな城は、大理石かなにかで作られているのだろう。  清貴が歩く回廊も、ぴかぴかに磨きあげられた真っ白な場所だった。等間隔に背の高い柱が並んでいて、長い回廊の陽の射さないところはひんやりと冷たい。 「僕、お城のこんなところに来たの、初めてだよ!」  清貴の手を取って、アザミがぴょんぴょんと跳ねている。初めて会ってから、アザミは清貴のそばを離れない。アザミが賑やかにしてくれるおかげで、清貴はいきなり見も知らぬ世界に迷い込んだ不安を感じずに済むのだ。 「ねぇね、ルアン!」  アザミが白い耳をぴくぴくさせながら、声をあげた。 「清貴のお部屋、まだ? まだ着かないの?」  清貴の前を歩いているのは、黒髪の背の高い男性だ。彼は振り向いて、緑色の目を細めた。その笑顔に清貴はどきりとしてしまい、そんな自分に驚いた。 (最初に会ったときから……この人はやたらに、俺をどきどきさせる)  部屋に案内してくれるということで、ルアンというその男性に会ったときから、視線が合うといちいち胸が跳ねる。それは彼が、たとえれば名人の手になる彫刻のような完璧な美貌を持っているせいだろうか。 (いくら美人だっていっても、男だし?)  ルアンの後頭部を見つめながら、清貴は自分にそう言い聞かせた。 (男にどきどきするなんて、おかしいから。それともどきどきするのは、ほかの理由からなのかな?)  悩む清貴の心を知るはずもないルアンは、早すぎず遅すぎずのスピードで回廊を歩く。それはこの場に慣れない清貴を気遣っての速度だと感じた。 「もうすぐですよ。そこを曲がって、すぐです」 「この先、なんだか寒いね」  アザミが、ぶるりと身を震わせた。 「清貴のお部屋、陽が射さないかもしれないね。そうしたら、寒いね」  ぎゅっと自分を抱きしめて、アザミは上目遣いに清貴を見てくる。 「清貴は、寒いの平気?」 「寒いのは……俺も、いやだなぁ」  清貴がそう言うと、ルアンが振り返った。彼は温和そうな顔でにっこりと笑って、清貴をほっとさせてくれる。近づきがたいばかりの美貌でも、笑えば親しみが湧いた。 「寒くはありませんよ。多少……陽当たりは悪いかもしれませんが、ちゃんとしたお部屋です」 彼に従って回廊を右に曲がると、いくつかの扉が目に入った。 「一番奥です」  そう言ってルアンは、奥の大きな扉を指し示した。重そうな木の扉には豪華な細かい彫りものがあったので、城の隅の見捨てられた部屋かもしれない、という危惧は免れた。 「どうぞ、お入りください」  ルアンが扉を開けると、少しばかり饐えた匂いがした。長い間使われていなかったのだろう。しかし埃っぽさはなく、きちんと掃除が行き届いているのだと思った。 「わぁ……」  部屋の中も、やはり白かった。壁も床も、磨かれた大理石が敷き詰められている。窓は大きく、陽当たりの心配は杞憂だったと知る。中央には不思議な模様の絨毯が敷かれていた。部屋の奥には大きなベッドがあって、たくさんのクッションが積まれている。 「別に、陽当たり悪くないじゃないですか」  清貴がそう言うと、ルアンは微笑んだ。その笑みに、清貴は思わず見とれてしまう。彼はあまり口数が多くはないが、ふとした仕草や表情に、清貴には感じるものがあるのだ。 「広い部屋……夜、怖そう」 「怖いんだったら、一緒に寝てあげるよ?」  アザミがぴょんぴょんと飛びあがりながら言う。清貴は「ありがとう」と微笑みかけて、ルアンについて部屋の中に入った。 「わっ、この絨毯……目がすっごく細かい」 「我が国の特産のひとつが、絨毯の生産です」  まるでなにかの科目の授業のように、ルアンはそう言った。その話しかたがどこか事務的なのが気になったけれど、それはただの性格というものだろうか。 「王宮を歩けば、あちらこちらで絨毯を見ることがあるでしょう。同じものは、ひとつとしてありません」 「へぇ……全部、手作りなんだ」  窓際に向かって、大きなクッションが置いてある。 (あそこに座って、外とか見るのかな)  そのようなことを考えながら、清貴は部屋中をぐるぐるとまわった。 「あ、トイレがある」 「憚りどころは、すべての部屋にあります」  どこか誇るように、ルアンは言った。この国の文明度合いがどのくらいなのかはわからないけれど、どこにでもトイレがあるというのはありがたい。 「でも、風呂はないんだね」 「王宮にはハマムがあります。さすがにすべての部屋にとはまいりませんが、ハマムはいつでも使用できます」 「ハマムって?」 「蒸し風呂です。湯殿はありませんが、湯の蒸気で温まります」  ルアンはそう言って、頭を下げた。彼はこの部屋に備えつけてあるものはなにを使ってもいいこと、そして食事の時間を教えてくれた。 「食事は、時間になれば王宮中の者に振る舞われます。清貴さまのぶんは、私が運んでまいります」 「運んできてくれるんですか。じゃあ、一緒に食べられる?」  そう言うと、ルアンは不思議そうな顔をした。なにを言うのか、という表情である。 「えっ、じゃあこの部屋で、俺はひとりで食べるの?」  清貴は、改めて部屋を見まわした。十畳ぐらいはありそうな広い部屋だ。ここでひとりぼっちで食事をすることを考えると、なんだか気が滅入った。 「清貴、ひとりぼっちはいや?」 「そりゃ、いやだよ。さみしいじゃないか」  そう言って清貴は、ベッドのカバーを折り返しているルアンを見た。 「ルアンは? 一緒に食べませんか? 本当にだめなの?」 「私は、清貴さまの側人です」  冷静な口調で、ルアンは言った。 「側人はあくまでも側人。お食事をご一緒するなど、僭越です」 「僭越って……」  清貴はこの王宮の居候でしかないのに、ルアンはずいぶんと腰が低い。側人なんて役目の者は初めて見たけれど、そういう者はすべて、このように腰が低いのだろうか。それともルアンが、特別なのだろうか。 「じゃあ、清貴、僕が一緒にいてあげる!」  アザミは、ぴょんと跳ねた。 「一緒にごはん、食べてあげる。寝るときも一緒だよ!」  アザミはきゃんきゃんと賑やかだが、こうやって親しみを持ってくれるのは嬉しい。見知らぬ土地で心細い気持ちが、少し温かくなる。  ルアンは部屋の隅々にまで目を向けている。やがて部屋のチェックが済んだのか、彼は振り向いて微笑んだ。 「清貴さまにおかれましては、このお部屋でつつがなくお過ごしになられますように」 「はい……」  清貴が頷くと、ルアンはまた微笑んで部屋を出ていった。ぱたんと扉が閉じる。広い部屋にふたり取り残され、清貴はいささか呆然と、ルアンの去っていった方向を見た。  窓のほうを向くと、寝心地のよさそうな大きなクッションがある。それを見ると、清貴はにわかに疲れを感じた。 「なんだか、疲れた……」 「じゃあ、お昼寝するといいよ」  アザミは清貴の手を取って、クッションに誘ってくれる。腰を下ろすと、体が吸い込まれるように感じた。 (わぁ……人間をだめにするクッションだ)  清貴が大きく息を吐くと、アザミは彼を見やりながら、クッションのまわりをぐるぐるとまわっている。 「清貴、寝る?」 「……うん」  クッションに吸い込まれ、すでに意識が朦朧としはじめた清貴は、ぼんやりと曖昧な返事をした。 「じゃあ、ごはんのときにまた来るよ」  アザミは賑やかに去っていった。それを少しさみしく感じたけれども、突然の異変に巻き込まれて疲れた清貴の意識はすぐに沈んでいって、やがて清貴は眠りに就いた。

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