1 / 111
美術準備室-1
美術準備室の前を、放課後うろつくのが設楽智一 の日課だ。
私立藤光 学園高等部1年。中学までは公立の学校にいて、高校から藤光に入学した。背は175cmとクラスでも大きい方で、少し癖があってフワフワの髪や、優しげな瞳が結構いけてると、女子にはなかなか評判が良い。
そんな設楽はほぼ毎日、放課後美術準備室の前をうろついている。
美術の授業なんて週に1回しかない。おまけに美術室はヨの字型の校舎の、3列並んだ1番北の端だ。南棟と中央棟は1年から3年の教室があるが、北棟には専科の教室だけが集められている。だから北棟をうろつかない限り、担任を持っていない美術教師の山中を偶然でも見かける機会は滅多になかった。
山中が顧問をしている美術部に入ろうかと、設楽も一瞬本気で考えた。だが、この学校の美術部は、運動部並みに熱い。とてもあの真剣な雰囲気の中に、美術の成績が万年2の自分が入っていけるとは思えない。
だから代わりに、設楽は同じ北棟の3階にある、化学部に入ってみた。
化学部は、どちらかというと胡散臭い部活だ。変な色水を作ったり、カルメ焼きを作ったり、こないだはべっこう飴を作ってみんなで懐かしい懐かしいと食べまくった。料理部かっつうの。蛇花火を作って中庭で他の生徒をびびらせていたら、生活指導の大場にこっぴどく叱られ、顧問の高柳は呆れたように苦笑いした。
「設楽~、早く来いよ~」
今日の化学部は、エロ本の正しい検証方法を確立するらしい。先輩達がニヤニヤして、各自持ち寄った選りすぐりのエロ本を並べている。
……エロ本なんかどうでも良い。巨乳だろうと爆乳だろうと、今の設楽にはどうでも良いのだ。
そう、今の設楽には美術室にいる山中先生の白衣姿の方が、裸の姉ちゃんなんかより、遙かに意味があるのだ。
「あー、俺ちょっと女と別れたばっかなんで、そういうの、今は良いです」
「ば~か、女と別れたときこそのエロ本だろ?」
「つうか設楽、1年坊のクセして彼女なんていたんだ?生意気!」
「いや、中学の時の彼女、高校分かれたらなんかしっぽりいかなくなって、こないだ振られたんですよ。今、女のおっぱいは見たくないないんで、席外しま~す」
「なんだよ、ノリ悪ぃなぁ」
先輩達のぼやきを聞き流して、設楽は化学室から外に出た。
彼女と別れたのは本当だ。でも、理由は全く別の物で、別れを切り出したのも設楽の方からだった。
元々、彼女にどうしてもと言われたからつきあい始めたのだ。人並みにえっちなことは好きだったし、体の相性も良かったと思う。でも高校に入って美術の授業を1度受けたら、もう彼女に持っていた興味が全く無くなってしまったのだからしょうがない。
化学室の隣に、化学準備室がある。その隣に階段を挟んで、美術室。中を覗くと美術部の連中が、石膏モデルを囲んで木炭を滑らせている。が、肝心の美術部顧問、山中の姿はそこには見えなかった。
美術室の隣に、美術準備室がある。
高等部の美術教師は山中1人だから、美術準備室も山中1人で使っている。
準備室の一番奥に山中の机がある。扉に背を向けるように座り、窓際の机の上で、山中はいつも美術雑誌をめくったり、何か小さな物をコチャコチャと作っていた。設楽は、背中をかがめて小さな物を作っている山中の背中を見るのが好きだ。
いつも白衣で隠れているが、山中は細マッチョだ。背は175cmの自分と同じ位だろうか。腰なんか設楽よりも細い位なのに、肩から二の腕にかけての上腕部は、すじ筋がばっちり切れている。「力仕事してるからね」と言っていたが、無駄な贅肉をそぎ落として、綺麗に筋肉の載った体は、生徒と混じっても見分けがつかないほど溌溂としている。
目鼻立ちははっきりとしているが、イケメンと噂されているわけではない。たぶん、ぼさぼさの髪と、薄そうだから剃り忘れてくるのか、時々数本顎に残ってる髭のせいだ。美術教師なのだから不器用なわけはないと思うのに、自分の髭をうまく剃れないのかと思うと、やたら萌える。ちゃんと剃りなよ~とか女子が言ってるのを聞くと、「馬鹿野郎、もったいないこと言うな!」と、設楽はいつも叫びたくなった。
そっと、準備室の中を覗く。
美術準備室のドアは蝶番 が少しバカになっているのか、鍵がかかっていないときはいつも5cmほど開いてしまうのだ。その狭い隙間から、山中の背中が見える。顔をうつむけて、耳から顎にかけて伸びたすっきりしたラインが、ボサボサの髪の間から見える。時々、ガラスのはまった小さなプレートを、目の上にかざして光を透かしている。
山中の隣には、化学部顧問の高柳が机に腰を下ろして座っていた。高柳が部活に顔を出すことは滅多にない。高柳なんかに来られても部員の方だって困るから、今までそれを意識したことはないけれど。
ともだちにシェアしよう!