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第1話

    第1章 播種  鷹が、雲の峰を(かけ)る。鋭い目には、草原の真ん中にぽつんとある村は、葉陰で羽を休める小鳥のようにちっぽけに映るだろう。  では、村の周囲に散らばって草を食む一万頭余りの羊は、さしずめ小鳥の足跡といったところか。    正午の鐘を合図に、シータの音色が地平線の彼方まで響き渡った。  シータは草原の(たみ)に伝わる楽器で、羊の胃袋を加工したものと数本の木管からできている。蛇腹にたたまれた本体を伸ばしたり縮めたりしながら、木管に息を吹き込んで曲を奏でる仕組みだ。大まかに分類すれば、バグパイプの親戚と言えるかもしれない。  その音色は変化に富む。死者を弔うときは物悲しく風に乗り、赤ん坊の誕生を祝うさいには産声と陽気に戯れる。  ところで村の男たちは、今日はそろいの衣装をまとっている。お椀を伏せた形の帽子をかぶり、房飾りがあしらわれたマントを羽織って、膝丈のズボンを穿く。それは祭りの日の正装だ。  ズボンこそだぶついているが、白髯(はくぜん)をたくわえた長老の立ち姿は威厳にあふれている。長老は集会場の正面にしつらえられた壇の上で背筋を伸ばし、シータをかまえなおすと、勇壮に吹き鳴らした。  カイルは、いちだんとドキドキしはじめた胸を押さえた。祭事の中でもっとも重要な儀式が、いよいよ始まるのだ。  ただし、まかり間違えば流血の惨事となりうるもの。腰をまさぐり、いつもポケットに入れて持ち歩いているハモニカに触れた。  口を真一文字に結ぶカイルの横で、モニが両手をよじり合わせた。 「今年の狼は、とびぬけて大きい。ラウルがいくら強くても手ごわい相手だわ。もしかすると嚙み殺されてしまうかもしれない」 「縁起が悪いことを言えば凶事を招く。狼の一頭や二頭、ラウルにかかればイチコロだ」    カイルはゲン直しのおまじないに両手の小指を交叉させた。それから双子の姉のうなじに手を伸ばし、後れ毛を撫でつける。  細い三つ編みを何束もねじり合わせて、牡丹の花をかたどるふうに結いあげた髪の毛は、カイルと同じく蜂蜜色。今は不安げに揺らめく瞳も、濃さが同じ紅茶色だ。  モニが立ったりしゃがんだりを繰り返すたびに、スカートがふわりと揺れる。女たちも全員、しきたりに則った晴れ着姿だ。  袖全体に刺繍をほどこしたブラウスと、ビーズをちりばめたベストがそれで、モニは夜なべをして縫いあげた。  華やかな娘たちのなかでも、モニは若者たちの注目を一身に集めている。だがモニ自身が美しく装った姿を見せたい相手は、ラウル──五つ年上の幼なじみだけだろう。  そう思うと胸がちくりと痛む。カイルは母校である分校の塀の前から、足早に離れた。  砂を詰めた樽を針金でつなぎ合わせ、且つ環状に並べた祭場が広場の中央に設けられている。  カイルは車座になって樽を取り巻く、年長の男たちに混じって胡坐(あぐら)をかいた。二十歳(はたち)になった今年、立会人が居並ぶこの輪に加わることを初めて許されたのだ。  誇らしさに顔が輝く。とはいえ、危険と隣り合わせの役目だ。  実際、数年前の祭りでは悲劇が起きた。立会人のひとりが、隙をついて囲いを跳び越えた狼に腕を嚙みちぎられたのだ。  さて、儀式を執り行うのに先立って村長が天に祈りを捧げた。村人の大切な家族である羊が病気にかかりませんように、狼に食い殺されませんように──。  村長が杖をひと振りしたのに応えて、すらりとした青年が祭場の手前に進み出た。

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