1 / 86
第1話
第1章 播種
鷹が、雲の峰を翔 る。鋭い目には、草原の真ん中にぽつんとある村は、葉陰で羽を休める小鳥のようにちっぽけに映るだろう。
では、村の周囲に散らばって草を食む一万頭余りの羊は、さしずめ小鳥の足跡といったところか。
正午の鐘を合図に、シータの音色が地平線の彼方まで響き渡った。
シータは草原の民 に伝わる楽器で、羊の胃袋を加工したものと数本の木管からできている。蛇腹にたたまれた本体を伸ばしたり縮めたりしながら、木管に息を吹き込んで曲を奏でる仕組みだ。大まかに分類すれば、バグパイプの親戚と言えるかもしれない。
その音色は変化に富む。死者を弔うときは物悲しく風に乗り、赤ん坊の誕生を祝うさいには産声と陽気に戯れる。
ところで村の男たちは、今日はそろいの衣装をまとっている。お椀を伏せた形の帽子をかぶり、房飾りがあしらわれたマントを羽織って、膝丈のズボンを穿く。それは祭りの日の正装だ。
ズボンこそだぶついているが、白髯 をたくわえた長老の立ち姿は威厳にあふれている。長老は集会場の正面にしつらえられた壇の上で背筋を伸ばし、シータをかまえなおすと、勇壮に吹き鳴らした。
カイルは、いちだんとドキドキしはじめた胸を押さえた。祭事の中でもっとも重要な儀式が、いよいよ始まるのだ。
ただし、まかり間違えば流血の惨事となりうるもの。腰をまさぐり、いつもポケットに入れて持ち歩いているハモニカに触れた。
口を真一文字に結ぶカイルの横で、モニが両手をよじり合わせた。
「今年の狼は、とびぬけて大きい。ラウルがいくら強くても手ごわい相手だわ。もしかすると嚙み殺されてしまうかもしれない」
「縁起が悪いことを言えば凶事を招く。狼の一頭や二頭、ラウルにかかればイチコロだ」
カイルはゲン直しのおまじないに両手の小指を交叉させた。それから双子の姉のうなじに手を伸ばし、後れ毛を撫でつける。
細い三つ編みを何束もねじり合わせて、牡丹の花をかたどるふうに結いあげた髪の毛は、カイルと同じく蜂蜜色。今は不安げに揺らめく瞳も、濃さが同じ紅茶色だ。
モニが立ったりしゃがんだりを繰り返すたびに、スカートがふわりと揺れる。女たちも全員、しきたりに則った晴れ着姿だ。
袖全体に刺繍をほどこしたブラウスと、ビーズをちりばめたベストがそれで、モニは夜なべをして縫いあげた。
華やかな娘たちのなかでも、モニは若者たちの注目を一身に集めている。だがモニ自身が美しく装った姿を見せたい相手は、ラウル──五つ年上の幼なじみだけだろう。
そう思うと胸がちくりと痛む。カイルは母校である分校の塀の前から、足早に離れた。
砂を詰めた樽を針金でつなぎ合わせ、且つ環状に並べた祭場が広場の中央に設けられている。
カイルは車座になって樽を取り巻く、年長の男たちに混じって胡坐 をかいた。二十歳 になった今年、立会人が居並ぶこの輪に加わることを初めて許されたのだ。
誇らしさに顔が輝く。とはいえ、危険と隣り合わせの役目だ。
実際、数年前の祭りでは悲劇が起きた。立会人のひとりが、隙をついて囲いを跳び越えた狼に腕を嚙みちぎられたのだ。
さて、儀式を執り行うのに先立って村長が天に祈りを捧げた。村人の大切な家族である羊が病気にかかりませんように、狼に食い殺されませんように──。
村長が杖をひと振りしたのに応えて、すらりとした青年が祭場の手前に進み出た。
ともだちにシェアしよう!