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第5話

アニマルキャラバンを始めると同時に、会社は社員に保護猫・保護犬の引き取りに対しての優遇制度を福利厚生の1つとして提示していた。 ペットフードを社割で購入できるのは勿論、引き取った動物の写真を公式サイトにて公開するという条件付きではあるが、ペット飼育可のマンションを紹介してもらえる上に現在の住居との差額分を最大2年間補助してもらえる。 朝日はこの制度をフルに活用し、これまでの狭いワンルームマンションからかなり広い1LDKへと引っ越した。 家賃はずいぶんと上がる事にはなるが、それでも同年代のサラリーマンに比べればかなりの給料をもらっている。 2年後に会社からの家賃補助が切れても愛犬を路頭に迷わせる心配は無い。 付き合っている彼女から何の相談も無かった事をネチネチと責められはしたが、それもあの円らな瞳とフリフリ尻尾を家族に迎える為と思えば大した苦ではなかった。 初めての出会いからおよそ2週間後、すべての準備を整えた朝日は改めて子犬を引き取りに保護センターに向かった。 それ以来、朝日は子犬にすっかりメロメロの骨抜きだ。 幼い頃からずっと決めていた『小太郎』という名前を付けたその子を定期的に会社の公式ツイッターに登場させ、『大きい』『可愛い』というリプライをもらうたびに嬉しくて部屋の中をゴロゴロと転がり、頭や脚を家具にぶつけたのは1度や2度ではない。 散歩と仕事以外での外出にはすっかり億劫になってしまい、彼女とのデートももっぱら自宅になった。 結果…よほど相性が悪かったのか、めったに吠える事など無い小太郎がこの彼女だけにはやけに吠えかかり、そんな小太郎が気にいらなかった彼女は『自分との付き合いを続けるなら、犬を手放せ』と要求してきた。 当然朝日は…小太郎を取ったのだが。 小太郎と彼女を天秤にかけたわけではない。 自分の生い立ちや犬を飼う事への強い憧れの理由については以前から話していた。 それについては理解していると言っていたはずの彼女が、自ら歩み寄る努力もしないまま安易に朝日に小太郎を手放すよう強要した事が許せなかったのだ。 少なからず結婚を意識していた彼女との別れに悲しみが無かったとは言わないけれど、それも賢くもやんちゃでどこまでも愛らしい小太郎と一緒にいればいつの間にか過去の話だと笑って流せるようになった。 日を重ねるにつれ、ますます凛々しくなる小太郎。 ますますハンサムになる小太郎。 ますます大きく、それでいてその顔は柴犬らしくなる小太郎…… この1年半、やる気の源であり癒しの存在で心の支えだった小太郎は……なぜか今、朝日の目の前に正座をしている。 驚くほどの美形男性の姿で、耳と尻尾をピクピクさせながら。 「なんでこんな事になってるの?」 あれほど保護センターでは誰に媚びる事をせず『ふてぶてしい』とまで言われていたくせに…会った誰もが目を見張るほど立派な体躯をしているくせに、小太郎は朝日の声にだけは敏感で弱い。 イライラと少し大きな声を出せば怯えて部屋の隅で丸まって近づいてこようとしないし、機嫌が良ければ代わりに喜んでやろうとばかりに自分の尻尾を追いかけてクルクルと回って見せる。 それがわかっているからこそ、朝日は至極軽い調子で微笑みかけた。 「あ、朝で…熱も下がったから、お腹空いたかなぁと思って」 「……別に俺は、朝御飯が並べてある理由聞いたつもりは無いけど」 つい『はぁ…』と出てしまったため息に、案の定小太郎はビクンと体を震わせ耳を伏せた。 その事に気づき、慌てて朝日はシュンと萎れた耳を優しくマッサージしてやる。 「なんで急に人間みたいになったのか、理由わかる?」 怒ってないよと笑う朝日の目を見ながら、小太郎は部屋の中でふざけすぎてちょっと怒られた時のような上目遣いでコクンと頷いた。 「僕、お山を守る神様の子供で…」 「はぁ!? 神様ぁ!?」 さすがに遠慮する事もできなかった大声に、小太郎はキュッと目を閉じてコクコクと首を振る。 「父さまは、僕が見つかった辺りのお山を守護する狗神です。あの日は父さまに、立派な神様になる為に別の神様の所へ修行に行くよう言われて…お山を離れたくない一心で屋敷を抜け出したんですけど、うっかり足を踏み外して崖を転がり落ち、父さまの神気の外に出てしまいました……」 「まあ本当に神様の子供だったとしてさ、その神気? なんかわかんないけど、そこに戻れば良かったんじゃないの?」 「崖から落ちた時の怪我を治す為、ようやく自分で生み出せるようになった微かな神気をすべて使い果たして、僕はただの犬になってしまいました。父さまは必死で僕を探してくれたそうですが、欠片も神気の残らない僕を見つける事はできなかったんです」 普通の子犬では無い事だけは理解できていたものの、自分が何者かわからずひどく不安だった事。 保護してくれた事に感謝していたものの、やけに高い耳障りな声で甘やかしてくる人間が不愉快で距離を置きたいと思っていた事。 突然『車』という乗り物に乗せられ、そこでとても良い声でとても良い匂いの人間に出会った事。 その人間に、『一緒に来るか?』と言われて嬉しかった事。 自分なりに懸命に言葉を探しながら、小太郎はそれまでの過程を伝えてくる。 朝日はほんの少しまどろっこしさを感じつつ、それでもその言葉を邪魔しないように黙って頷いて見せた。 「朝日さんが僕を大切に思う気持ちが強くて温かくて、おかげで僕は少しずつ自分が何者なのかを思い出す事ができました。神気もちょっとずつ戻ってきたんです」 「それで…必要なその神気?ってのが溜まったから、人の姿になったって事?」 朝日の問いかけに、小太郎は少し悩みながらも小さく顔を横に動かす。 「僕、あのまま犬でいようと思ってました、ずっと。朝日さんのそばにいる為にはそれしかないって。けど昨日の朝日さんが…」 昨日とは、熱を出していた時の事を言ってるんだろうか? 尋ねれば、それを肯定するように小太郎はそっと睫毛を伏せた。 「とても嫌な気を纏ってた。風邪で弱ってる朝日さんに、禍神が憑いたんです。僕がどれだけ吠えても唸っても消せなくて、朝日さんの綺麗な精気がどんどん真っ黒になっていって…このままでは死んでしまうと思いました」 あれほどの熱は生まれて初めてだとは思ったが、まさか命の危険まであったとは…思い返して朝日はブルッと体を震わせた。 「神気を解放し、どうか僕の大切な人を助けてほしいと…必死に父さまに願いました。長らく探していた僕の神気を感じ、すぐに来てくれた父さまは何も言わずともすべてを理解してくれた…己の神気を分け与えなさい。それを拒まなければ、番としての力に目覚め禍神をも封じられるでしょう…そう告げ僕を真の姿に戻し、いつか二人でお山に戻るのを待っているとだけ言うと、父さまは帰られました」 助けてくれてありがとうと、何故か素直に言葉にできない。 何かおかしな発言が無かっただろうか? 「つがい…?」 「はい! 朝日さんは僕の神気を受け入れ、番の契りを結んでくれました。晴れて夫婦です!」 「いやいやいや、俺、男!」 「神の世界で性差など些末な事です。大切なのはお互いが思い合う事でしょ? 朝日さん、いつも僕の事大好き、ずっと家族だって言ってくれてましたもんね」 全部話したぞ、さあどうだ!と言わんばかりに小太郎の尻尾がブンブンと左右に揺れる。 どうやら自分の考える好きや家族と小太郎の思う物は違っているらしいと頭を抱え、自棄のように冷めた卵焼きを口に放り込む。 少しだけ焦げ目のついたその卵焼きは、驚くほど朝日の好みの味だった。

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