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第26話

 エルタニア・フランツ同盟軍が辿る道は高い谷の狭間の細い道だった。当然兵士は密集せざるを得なくなるのは自明の理だ。  その細く急峻な山道がファロスの狙い目でもある。 「私としては心理的動揺を誘う目的で、エルタニア国に近いこちらの隊に指令を出そうと思っているのですが?」  キリヤ様の細い眉が淡く顰められた。ファロスはすっかり冷めてしまったジャスミン茶を二人分注いで、キリヤ様の花のような唇が開くのを待った。  沈思している姿は「戦神の化身」というより「月の精がこの地に降り立った」風情で思わず見惚れてしまう。 「確かにファロスの考えも捨て難い。しかし、今回の目的はなるべく多数の捕虜を捕らえることだろう。しかもその兵士達が自力で歩ける程度の怪我でないと困ると……。  兵士たちの一番の恐怖は『退路を断たれる』と言うことではないかな」  キリヤ様の薄紅色のしなやかな指が細い月のような眉とこめかみの辺りを妖精の羽根にも似て瞬いていた。 「……なるほど、エストニアとの国境を封鎖すると、死にもの狂いでかかって来る可能性が極めて高いということですね」  爵位の低いファロスが曲がりなりにも参謀役を仰せつかったのは兵力差で勝敗が決まるという「常識」に――だからこそ、この神殿に祀られている古えの英雄は「知力」と武勇を兼ね備えた「戦神」として殊更に崇められている、特に前者の珠玉とも称される才能の故――異を唱えたからだった。  その国王陛下やその重臣達までもが舌を巻いたファロスの案を、いともあっさりと理解した上に修正案まで即座に出せるキリヤ様への賛美の眼差しが自然と浮かんでくるのは当然だった。 「捕虜を捕らえるという目的がファロスの策の神髄なのだから、退路が有ると安心してかかって来る敵兵の方がよりやり易いのではないかと考える。それに霧の時刻も予め分かっていれば、こちらの地の利も有るので騎兵隊も動きやすいのではないか」  大きな窓の前へとキリヤ様の細い肢体が月の精のように動いて布を上げた。 「このような天気だと明日の朝は霧が出やすい。この神殿に居る人間ならばその程度のことは分かるが……。具体的なことは気象官のガストル神官に聞いた方がより確実だ。  ああ、羊皮紙とペンを用意するので、ファロスが隊長に手紙を認めると良い」  キリヤ様の純白の絹が滑るように動いて大きな机へと歩み寄った。 「あれ?」  キリヤ様が細い首を無垢な感じで傾げていた。心なしか端正で優雅な容貌も幼子のような感じを浮かべていた。

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