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第48話

 キリヤ様の繊細な美貌としなやかで優美な肢体、そして緻密かつ卓越した知識や構想力、そして秀麗な花の姿にも関わらず意外にも不器用な点――これは多分神殿外部の人間で知っているのはファロスだけだろう、そのことに優越感すら抱いてしまう――全てが慕わしく、好ましかった。  戦さのことや周辺国についてのまさに知識と知恵の神殿のような頭脳は、ファロス、いや王にこそ仕えるのが好ましい。  ファロスが厳選した部下も――今頃は捕虜達に上手く紛れ込めるようにエルタニアやフランツの軍装に着替えているハズだ――この国では得難い人材だとキリヤ様に会うまでは思っていたのだが、上には上がいることに感嘆のため息を漏らしてしまう。  そして、聖神官の役目としての禊、キリヤ様にとっては「神事」だろうが、そして多くの人間もそう信じているだろうし、その点はファロスも素朴な信仰心から疑ってはいなかった。  国民の多くが農業に従事する聖カタロニアを含む周辺国では、さまざまな神がそれぞれの加護のために存在していた。書物によると海岸のような砂ばかりの国というのが有るらしいこともファロスは知っていた。カタロニアにも砂浜は当然有ったし、夏には王侯貴族が暑さしのぎの水遊びのために訪れる場所もある。砂は火傷をしてしまうかと思うほどだし、植物だって育っていないのに――海の塩のせいかも知れないが――国のおおよそがそのような場所というのはファロスには想像もつかないけれども、そういう場所では厳格な神が唯一無二の存在とされているらしい。  多分場所というか風土の問題だと思うが「神」というのも人間が作り出したものなのかもしれないなという考えに行きついた。  キリヤ様に会うまではそのようなことは全く考えていなかったが。  だとすれば「寛大」な神の元で、キリヤ様が聖神官という「神事」から逃れられるかもしれない。禊という行為は、結局のところ男娼と同じ行為とほぼ同じだ。異なるのは客を喜ばさずとも良いという点だけのような気がする。  そう考えると比喩でもなく胸が痛むと同時に炎のような独占欲に苛まれてしまう。

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