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第7話

その途端、俺は弾かれたように裸足で外に飛び出した。 「アユム!?」 当たり前のように、奴が追い掛けてくる。 嫌だ、来ないでくれ。 せっかく…… せっかく、忘れたのに! 俺が、(アユム)だ。 他の誰かじゃない、俺だったんだ! ああ、頭が痛い。眩暈がする。 世界が揺れている。 違う。 ――俺が揺れているんだ。 『ここの路地の突き当たりにある占い屋、めっちゃ当たるんだって』 そう、浮気現場を見届けたあと、俺は評判の占い師のところに行ったんだ。 暢気にこれからの運勢を占って貰おうとしたわけじゃない。 俺は、占い師という職業はその手のあやしいことならなんでも出来るものだと思っていた。 だから、あんな突拍子もないことをお願いしたんだ。 『恋人のことを全部、忘れたいんだ』 占い師は笑って、『あたしは催眠術師じゃないわよ』と言った。けど、趣味で催眠術も掛けれるとも言った。本当に偶然だった。 俺の人生は恋人が全てだったと言ったら、記憶喪失になるかもよ、と忠告された。 別にそれでも構わなかった。 どうせヒロに会うまでは、クソみたいな人生を送ってきたんだ。 あいつを自由にしてやれれば、俺なんてもうどうなったって構わない。 地獄みたいだった施設に戻るのだけは嫌だと思ったけど。 占い師は言った。 『あたしは本物の催眠術師じゃないから、完璧に掛けることは出来ないわ。……そうだ、恋人にキスされたら解けるようにしときましょ。じゃないと勝手に貴方に忘れられた恋人が可哀想でしょう?』 余計なことはして欲しくなかったけど、ヒロを忘れることさえできればいいと思って特に反対しなかった。 記憶を失くしたら、もう二度とヒロに会うことはない。 ヒロが浮気をしたかのような現場を作ったのは、俺が浮気したってあいつは絶対に俺を捨てない自信があったからだ。 どうしてそんなことをしたのかって? それは、 「アユム!!」 いつの間に追いついたんだろう。俺は裸足だけど、ヒロは靴下のままだった。 「アユムごめんな、理由も聞かずに責め立てて。でもお前とちゃんと話がしたいんだ、帰ろう?」 ヒロは、俺と違ってちゃんとした社会人だ。 真面目に生きてきて、いい会社に就職して、少し寂しがり屋だけどそんなのは欠点にもならない。 ヒロの人生の汚点を一つ上げるとしたら、それは俺の存在だ。 「でも、帰ったら……俺はもう二度とヒロから離れてやれないよ」 「何を言ってるんだアユム。そんなの、俺の望んでいることじゃないか!」 俺に会わなければ、ヒロは正しい人生を、正しいままで歩んでいけたのに。 「一緒に帰ろう、アユム。話したいことが沢山あるんだ」 こんな、誰にも言えないようなコソコソした恋愛なんかせずに。 女と付き合って、家族にも同僚にも胸張って紹介できるような、そんな普通のことが。 「俺がどれだけお前を愛してるのか……」 俺だって、ヒロを愛してる。 愛してるから、手放そうとしたんだ。 「うっ……ぁああ、ああああ」 なのに俺って、おれって、 ばかだなぁ。 眩暈が治まった。 もう、世界は揺れていなかった。 【終】

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