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第1章 プロローグ
アンリは彼の手の温もりが大好きだった。
「ああもう、動くなよ。メジャーがズレるだろ」
「だって、くすぐったいんだもん」
彼の器用な手はアンリの胴体を中心にメジャーをするすると滑らせていく。測るたびに後方でペンを走らせる音がした。
「アンリ、画塾にはちゃんと行ってるんだろうな?」
「行ってるけど……同年代の子はレベルが低すぎて話にならな――いたっ」
アンリの頭をこつんと叩くと彼はため息を漏らした。
「そんなんだから友達できないんだよ、おまえは」
「と、友達作りに画塾へ行ってるわけじゃない。塾生はみんなライバルなの!」
「素直に友達ができないのを認めたらどうだ?」
「おれの友達はリュカだけでいい」
アンリの子どもじみた主張に彼は呆れていいやら喜んでいいやら分からなかった。
「アンリ、俺を友達と言ってくれるのは嬉しいけどさ……学校に入ったら同年代の友達も作れよ?」
「同い年ってだけで同じ空間に押し込められるのはうんざり。みんな子どもっぽいし、生意気だし、自慢話ばっかり」
「その台詞、そっくりそのままおまえに返す」
「ええー? 生意気なのは認めるけど……年上の塾生の方がまだ話が合うんだよ……」
アンリが言葉に詰まると、彼はそれ以上追及してこなかった。メジャーを滑らせる音と、壁かけ時計が時刻をきざむ音だけが部屋にひびく。彼が規則正しくからだを測るたび、アンリは身じろぎした。
「ほら、終わったから上着、着ていいぞ」
しばらくすると彼はメジャーをくるくると巻いて収納ケースの中へ収めた。彼の仕事道具である裁縫用具はほどよく使い込まれていた。アンリは上着を羽織ると疲れたと言わんばかりにぺたりとイスに腰をおろす。
「すこし大きめに仕立ててやるよ」
「どうして?」
「おまえはまだ成長期だからな。今の体型に合わせて作ったら1年後にはもう着られなくなるぞ」
「毎年リュカが新しい服を仕立ててくれるんでしょ? だったらサイズはぴったりにしてよ」
リュカはゆるく波打った髪を揺らし苦笑した。
アンリはこの幸福な時間がずっと続けばいいと願ったが、彼がアンリのために服を仕立てる機会は、この日以来二度と訪れることはなかった。
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