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 朝が来て、相変わらず暗い気分だったけれど、それでも酒もあとを引かず、木崎は登庁できた。昨夜のことを思いだしてみる。ユリウスの顔がちらつく。きみのこと、地獄からずっと見てたよ。その言葉が、体の内側にこだましていた。  ユリウスさん、おれ、ユリウスさんとなら……。  そこまで考えて、打ち消す。春奈と別れて、弱気になってるだけだ。そんな気持ちじゃユリウスさんにも失礼だ。  一人そんなことを思いながら、木崎は検察庁のオフィスに入り、自分のデスクに座った。しばらく仕事の準備をしていると、タイミングを見計らっていた上司の山城が話しかけてきた。 「今度、殺人事件の被疑者を起訴することになった。名前は辻村透」  山城が木崎のデスクに一枚の写真を置いた。その顔を見て、木崎はあっと叫んだ。  ユリウスが写っていた。 「やっぱり、知ってるのか」  山城の言葉に引き戻され、木崎はおそるおそる顔を上げる。 「知ってるのか、とは?」 「被疑者は、きみの知り合いであると話していた。きみが高校二年生のとき、少しのあいだだけ、アパートの隣の部屋に住んでいたと」  その言葉に、木崎の脳裏にフラッシュバックのように当時のことが甦った。そうだ、透さんは三十代半ばで、サラリーマンで、いつも穏やかで優しかった。仕事から帰ってきたらおれの勉強を見てくれたり、話相手になってくれたり、ゲームにつきあってくれたりした。誰かに甘えたくてもできなかったころ、さりげなくおれの頭を撫でてくれた。なんで忘れていたんだろう。  その答えもすぐに思いだした。  透さんはあるときおれを抱きしめて、きみのことが好きだって言った。おれは、こんなおれでもいいのかと思ってうれしかった。でも男を好きになるのはだめだと思ったから、「もう近づかないで」と言ったんだ。透さんはそのあとすぐ、アパートを出た。 「被疑者は誰を殺したのですか?」  木崎が尋ねると、山城は教えてくれた。 「恋人の男を刺したそうだ。別れ話がこじれて、辻村本人は、相手が突きつけてきた包丁をよけようとして誤って刺してしまったと供述している」  だが、それは怪しいよ、と山城は言った。  木崎の脳裏にはただひとつの言葉だけが繰り返され、鳴り響いていた。  ぼくはきみのこと、地獄からずっと見てたよ。 「起訴するということは、事故ではなく、故意だと考えているんですか?」 「弁護士は正当防衛を主張しているけどな。木崎、きみがこの件の担当にはならないように、配慮するよ。知り合いを裁くのは嫌だろう。それに……私情が混入することは避けなければ」  木崎はぼんやりしたまま、目の前に置かれた写真を見つめていた。四十六歳の辻村は、穏やかな顔で木崎のことを見返していた。 ☆  その夜。木崎はユリウスの腕に抱かれていた。 「すまない、仁介君。ぼくのせいで、嫌な気分にさせただろう」  木崎はユリウスの首筋に顔を押しつけた。嫌な気分どころではなかった。なぜか、そのことが言えなかった。 「きみのこと、見てたのは本当だ。大きくなったね」 「ユリウスさん。……透さん。ごめんなさい。おれは、なにもできない」 「いいんだ。でも、毎晩会いに来ていいか? きみの精液がほしいんだ。あ、できればきみに下になってほしいけど、そこは要相談で」  木崎は顔を上げて、男の顔を睨んだ。ユリウスの手が木崎の頭を撫でる。 「ここでは、ぼくは辻村透じゃない。ユリウスだ。だから、現実のことは気にしないで」 「それは暗に、寝ても大丈夫だって言ってるんですか?」  そう聞こえたか、とユリウスは笑った。 「思いだしました。ユリウスって、おれと透さんがいっしょにゲームしてたとき、透さんが使ってたキャラの名前ですよね」 「きみはなんでも覚えてるんだな」 「ずっと忘れてましたよ。……透さん、エロいおじさんになりましたね」  ユリウスは妖しく笑って、木崎の体を抱きしめた。 「ぼくは人間のクズなんだ」  もし有罪になったら、おれ、出てくるまで待ってますよと木崎は言った。 「クズなんか待っても、いいことなんかないよ」  木崎はなにも言えなかった。検察事務官として、どれだけユリウスの言葉を否定できないのかわかっていた。  それでも大きな手で頭を撫でられると、この人の地獄で待たねばならぬと思った。

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