2 / 4

ささやかな

  その日は春の訪れはどう考えても程遠い、12月の暮れだった。海岸線に沿ってある防波堤は幼かった俺のイイ遊び場であったけど、漁師だった親父の船が遭難し、親父が帰らぬ人になってからは訪れてはいない。 そんな防波堤から俺は大きく息を吸い、声を張り上げた。 「親父!俺は()になる!」 新年の抱負を大空に掲げるようにそう叫ぶ俺こと瀬戸(せと)朱鳥(あすか)は、新たな門出を走りだそうとしていた。だけど、ソレは無謀ともいえる大きな賭けでもある。そう、俺はこの3年間ずっと片想いをしてきた芹沢(せりざわ)陽希(はるき)に、この胸の内を伝えようとしていたからだ。 陽希とは高校を入学してからの知り合いであるけど、この3年間ずっと同じクラスで、出席番号も瀬戸、芹沢で並びだったから、クラスの中でも1番仲がよかった。所謂、腐れ縁というヤツである。 だけど、陽希はコレまた3年間ずっと担任だった堤谷(つつみや)煌太郎(こうたろう)先生に想いを寄せ続けていた。堤谷先生は陽希が入部した陸上部の顧問で、四十路を越えたよれよれのオヤジだ。既婚者で、年下の可愛い奥さんと息子が1人いる。 そんな堤谷先生だけど2年半前からその奥さんと別居生活が始まり、その1年後には離婚が成立していた。その間に陽希はその距離を縮めたらしく、離婚直後につき合い始めていた。 しかしながら、半年前、1つ年下で陽希が物凄く可愛がっていた部活の後輩の高徳(たかとく)隆嗣(たかし)に惚れた堤谷先生は陽希のことをフったのだ。しかも、その翌日に高徳はそんな陽希に告白をしたらしいのだけど、こっぴどくフラれたと聞く。そんな高徳は陽希から遠ざかり女の子にかまけているようであった。 陽希はソレでも堤谷先生のことを忘れることができないようで、別れた後も身体の関係だけは持ち続けていたようである。校内で性情に明け暮れる2人の姿をたまにみかけていたから。 だから、未練がましいと苦笑い、ソレでも好きなんだという陽希の姿は酷く痛々しく、俺はそんな陽希にじゃれつき、少しでも笑って欲しいと思っていただけなのに、今の俺は陽希に告白しようとエラく意気込んでいた。 「なに?その『男』になるって──」 防波堤の下から顔をひょっこりと覗かせた陽希は大荷物だ。本来なら今頃は堤谷先生と初詣のことや暮れのことを話していただろうけど、俺が無理やり誘った。冬休みの間だけでイイから俺の家庭教師をやってくれないか?と。 そう、スポーツ推薦でS大学に合格した陽希は実は頭も良かった。常に上位の成績で『天は二物を与えない』というアレは、嘘だと思う程だった。 「ん?今年の抱負♪」 「今年って、もう2日しかないぞ?」 そう呆れる陽希の首に巻かれたマフラーは昨年の冬に堤谷先生が贈ったモノだ。ソレを大事そうに親指と人差し指の腹で擦りながら、俺のことを笑うその顔は淋しそうであった。 「イイんだよ!今年の抱負だから!」 「なんだよ、ソレ………」 俺のふくみのある言葉に一瞬だけ見張る陽希だったけど、強張っていた表情を緩ませ、幸せだった頃によくみせていたあの屈託もない破顔でけらけらと笑いだす。久し振りに向けてくる笑顔に、俺は顔を曇らせた。つまるところ、陽希はどこまで知っているんだ?と聞かずにはいられなかったから。 そう、俺がこの3年間ずっと陽希に片想いしていたことや、陽希が可愛いがっていた高徳が未だに陽希のことを諦め切れずに堤谷先生のことを脅迫し続けていることや、可愛い奥さんとの離婚が成立したといっていた堤谷先生だけど実はまだその奥さんと離婚をしていなかったことなんか、ホントは物凄く聞きたくって聞きたくって仕方がないのに、俺の良心はその口を硬く閉ざしてしまうのだった。そして。 「あのさ、陽希く~ん」 「ん?」 防波堤をよじ登ってくる陽希の手を引っ張り上げながら、俺は1番伝えたいことだけを口にする。だから、その身体を支える俺の声はいつもチャラけている声ではなく、真剣で真面目な声だった。 「俺、陽希のことが好きなんだ」 「………」 夕波の海に沈む太陽が、陽希の驚いた顔を照らしだしていた。初めて知ったというその顔はホントに堤谷先生のことしかみていなかったんだと今更ながら思い知らされる。だけど、いった以上引くワケにはいかない。いや、引いたらダメだと直感した。 「解ってるよ。陽希が堤谷先生のことが好きでまだ忘れられないってことも」 「………」 そしてなにより、陽希が俺に紡ぐ言葉がどういうモノか、陽希よりも俺の方が知っていた。だからだろうか、俺は陽希に言葉を発せられる前に早口だけどソレでも幾分穏やかな口調でこう言葉を続ける。 「だけど、考えて。もう堤谷先生とは寄りを戻せれないっていうことを。そして、今の状態でいるよりも、俺と一緒にいる方が陽希が幸せだっていうことも。だから、返事は今すぐしなくっていいから、ちゃんと考えて──」 陽希が幸せになることを。陽希が笑って暮らせるようになることをさ、と。 俺は陽希にすべての権限を委ねると、陽希の大荷物を半分持った。そして、陽希の空いた手を握り締め、その手を引いて防波堤の上をゆっくりと歩きだしていた。陽希はそんな俺に抗うことはなかったけど、その趣は酷く重たく暗いモノだった。 そして、俺が陽希に告白してから1ヶ月半が経とうとしていた頃だ。陽希からの返事が突然返ってきた。その間、まだ堤谷先生との身体の関係は続いていたようだったけど、「コレが最後だ」というメールが届いた。そして、こうも書かれていたことに驚く。 『オレが泣いても拒絶しても、オレのことを抱いてくれ』 と。ソレは堤谷先生との関係を断ち切り、忘れるというように聞こえ、俺とのことを真剣に考えてくれたんだと思った。だけど、その行為があんな結末を引き起こすとは、俺も陽希も想定していなかった。 だがしかし、そのお陰で俺は陽希の身体と心を預かることができ、同じS大学の同じ学部に合格した俺は大学4年間で陽希の身体を完全に手に入れることができたが。  

ともだちにシェアしよう!