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第1話

ある日家に一通の手紙が届いた。 宛先には今の僕の名前である“エステラ・ブランカ様”と綺麗な文字で書かれている。 裏には差出人の名前などはなく、赤色の蝋で封がしてあった。 蝋印の紋章にも見覚えがない。 僕は不思議に思いつつも手紙の封を切る。 「なになに?は?」 手紙には信じられない事が書かれていて僕は何度もその手紙を見直す。 手紙には “ 私は精神と身体を患っているが、まもなく訪ねていく”と書かれていた。 最後に書かれていた名前はコルテス・デラフェンテ それは13年前に死んだ筈の兄の名前だったのだ。 僕の育った家は少し変わっていた。 父は物心ついたときから居らず、母は身体の弱い人だった。 しかし我が家は着るものはそんなに上等な物では無かったが食べるものに困るとかではなかった。 言ってしまえば貧乏貴族というやつだ。 「今日の分です」 「ありがとうございます」 「また新しいものを試されているのですね。顔色がよろしくないようですが…」 「いえ。平気です」 母が言葉少なく対応しているのは、たまに訪れる身なりのいい男だった。 この男がいつも食べ物やお金を持ってきていた。 母は何日かに一回この男が迎えに来て何処かに行っているようだった。 出掛けたあとは母は必ず寝込むので、僕はあの男が嫌いだった。 「こら、エステラお前は部屋から出てくるなと言ってあっただろう」 しかし僕が一番嫌いだったのは10歳年の離れた兄のコルテスだった。 兄のコルテスは、僕が部屋から出てくることを凄く嫌がった。 まだ小さな僕がこっそり様子を伺っていると、あの男に声が聞こえないように僕の手を引き近くにあった物置部屋に僕を押し込んだ。 「カディス卿いらしてたんですか。いつもありがとうございます」 「これは、コルテス様お機嫌いかがですか」 「ええ。僕も母もいつも通りですよ」 コルテスがあの男に何かを言っているのが聞こえる。 この家では僕は居ない者のように扱われていた。 母も僕には触れてくれないし、兄は僕を毛嫌いしているようだった。 いつも具合が悪い母の部屋には僕は決して入れてはもらえないのだ。 こっそり部屋から抜け出し、母のでかける様子を伺って居た時に、それに気がついた母が呼び寄せてくれてレースの手袋越しに頭を優しく撫でてくれる。 そして『ごめんね』と声をかけて出掛けていってしまう。 何に対して謝っていたのかは今でも分からないままだ。 「お茶も出さず申し訳ありません。こちらにどうぞ」 人の声が遠ざかっていって周りはしんとする。 コンコン 「エステラ様?もう出ても大丈夫ですよ」 物置の外から声がかかり、僕はほっと息を吐き出す。 声の主は執事のセレスティノだった。 「エステラ様…いつもお部屋から出られてはいけませんと申しておりますでしょう」 「セス…ごめんなさい」 セスはまだ若いが、セスが子供の頃からこの屋敷に勤めているベテランだ。 セスやメイド達は僕をちゃんとこの屋敷の住人として扱ってくれる。 だから僕は兄や母よりも使用人達の方が好きだった。 「兄上に怒られてしまった」 「コルテス様はエステラ様の事を思ってこちらに入っている様に言われたのですよ…」 もちろんこの言葉が嘘だと言うことを僕は知っていた。 兄は僕の事が嫌いなのだ。 どれほど嫌いかと言うと食事も一緒にさせてもらえないほどなのだ。 僕の食事は使用人達の部屋に用意され、けして母や兄と同じ食卓を囲むことはなかった。 しかし、病気がちな母や大嫌いな兄と食事をするよりキッチンの隅のほうでメイド達とわいわい食べる食事の方が好きだった。 チリーン 使用人部屋にベルが鳴る。 これは兄がセスを呼ぶベルだ。 このベルが鳴ると優しいセスも兄の元へ行ってしまう。 このベルが何度も壊れてしまえばいいと思ったものだ。 セスが兄の部屋に行くと朝まで帰っては来ないことが多かった。 朝になり、必ず汚れたシーツを片手に炊事場に表れるセスに聞いたことがあった。 「セスは兄上にいじめられているの?」 「何故ですかエステラ様」 「いつも血で汚れたシーツを持っているから、兄上に酷いことをされているんだろ!」 そう言う度にセスは困った顔になっていた。 シーツは血で汚れていることが多く、いつもピシッと着こなしているセスのスーツの下はきっと傷だらけに違いない。 しかし、セスはいつも肯定も否定もせず微笑むだけだった。 「コルテス様には良くしていただいてますよ」 「むー」 僕は納得はいかないものの、これ以上言ってもセスを困らせてしまうだけなので用意されていた朝食をもそもそと食べる。 「エステラ様にもお兄様のお気持ちが分かるときが来ますよ」 「多分それは一生来ないと思うな」 セスはメイドにシーツを預けるとワゴンに乗った食事を運んで行った。 ワゴンに乗った食事は兄と母の分だ。 やはり二人の分の食事は子供心に美味しそうに見えた。 そんな幼少期を過ごし、僕も14歳になった。 この頃兄は同性の僕が見ても綺麗だと思うほどの美青年になっていた。 僕の茶色の癖毛と違い、ブロンドの髪に透き通るような白い肌は彫刻の様だった。 セスは変わらず夜になると兄の部屋に行き、朝に炊事場にあらわれた。 もうシーツには血がついていることは少なくなって僕は少し安心していた。 「エステラ様!奥様が!」 そんなある日、母が3つ先の町に出掛けた帰りに馬車が崖から転落したとの知らせが届いた。 母の葬儀はひっそりととりおこなわれたが、僕は使用人席で参列をしなければならなかった。 「カディス卿…わざわざ来ていただきありがとうございます」 「いや…私も悪かったと思っているよ」 「いえ、そんなことは」 兄は母が死んだのにそんなに悲しそうではなかった。 僕はこの頃、兄は自分しか好きではないんだと思うようになっていた。 「使用人の中に見ない顔が居るが、新入りかな?」 「え?…えぇ!」 あの男が母の葬儀に来たときにはじめてちゃんと見た男は、鉤鼻のひょろりとした変わった髭を生やした男だった。 「紹介してくれるかな?」 「え、えぇ」 俺は兄に手招きされ男の前に立つ。 「し、使用人のカルロスです。カルロス、カディス卿だ」 「は、はじめまして」 兄は僕の名前を違う名で呼んだ。 しかし、肩に置かれた手に力が入っており余計なことを話すなと語っていた。 「ご主人は美人だからな…いい職場で良かったな」 「え、えぇ」 「カディス卿そろそろ…カルロス下がっていいぞ」 「あぁ…そうだったな」 僕は兄に使用人として紹介されたことが凄くショックで少しの間放心してしまった。セスが肩に触れる事ではっと祭壇を見た。 棺の中の母は死に化粧をしており、生前よりも血色がよく見えた。 チリーン 今日もセスを呼ぶベルが鳴る。 僕はついに兄の部屋で何が行われているのかを突き止めに行くことにした。 「セレスティノ…今日はすまなかったな」 「いえ…コルテス様もお疲れでしょう。手当てをさせてください」 「いつも悪いな」 シュルっという衣擦れの音がする。 兄の部屋をこっそり覗くと、兄が上着を脱いでいるところだった。 兄の肌は白く、背中などはほっそりとしている。 その白い肌にみみず腫の様な跡が幾重にも重なっていた。 「ふっ…」 兄の痛みを耐えるような吐息が聞こえてきた。 その後、シュルシュルという包帯を巻く微かな音が聞こえる。 僕はもしかしたら勘違いをしていたのではないだろうか。 兄はセスをいじめていたわけではなかったのだ。 ぼくはそのあと足早に自分の部屋に帰り、明日兄に何を言われようと気になっていたことを聞こうと思い眠りについた。 しかし、兄はその日の夜にあの男に呼び出され二度とは生きて帰ってこなかった。 行きの山道で山賊に遭遇してしまい、殺されたのだという。 数日して帰ってきた兄の遺体は損傷が激しいとのことで見せてはもらえないまま埋葬されることとなった。 それが13年前の事だ。 そのあと主人を失った家は僕が見たことのない親戚のものとなり、存在すら隠されていた僕が家を継ぐことなど当然あるはずもなかった。 僕はセスの知人だという今の両親のブランカ夫妻に引き取られることとなった。 子供の居なかった夫婦はいきなりできた大きな息子の僕を本当の息子のように扱ってくれた。 そんな時に来た、死んだ筈の兄の手紙。 昔の使用人達の再就職先も今の僕にはもう分からない。 手紙の内容を考えると、確かに損傷の激しいと言われた兄の遺体は誰も確認していない。 なによりも、今の両親に僕を預けたセスとこの13年ずっと会っていないのだ。 今考えると、当時から不思議な事ばかりなのだ。 心配になった僕は、死んだ兄に悪いと思いつつ墓を暴くことにした。 ザックザック 昼間に墓を掘り起こすことはできないので、深夜両親が寝静まった頃に墓地にやって来た。 兄の名前の書かれた墓石に一応十字を切り持参したスコップで土を掘り起こしていく。 ザックザク、ガツン 固いものにスコップの先が当たる。 なんとか蓋を開けられるまで土を掘ったところで、僕は恐る恐る棺の蓋を開ける。 「うそ…」 蝋燭で照らした棺の中は、なんともぬけの殻だったのだ。

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