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第1話

「好きです。俺と付き合って下さい。」 西日が差し込む放課後の教室。9月終わりの太陽は少し気が早くなっていて、まだ5時過ぎだというのに日の終わりを急き立てるように視界を茜色に染める。机と椅子が長い影を伸ばし、校庭から運動部員の掛け声が聞こえる、学園モノのドラマやアニメの一コマのような光景。 どこか寂しさも感じる、そんな教室の真ん中に佇んで、頰を紅潮させながら告白じみたセリフを口にしたのは、これまたドラマやアニメから抜け出してきたような、抜群に見目麗しい同級生。身長180cmを超えるだろう長身に、しなやかに鍛えられた体躯。少しくせっ毛のある色素が薄めの髪に、モデルのような整った顔立ち。普段は友人に囲まれて弾けるような笑みを浮かべているその端正な顔が、今は焦りと緊張で強張っているように見える。 「あっ…いや、えっ?」 自分には一生縁が無いだろうと思っていたシチュエーションを突然突きつけられて、自分の口から出たのは情けない戸惑いの声。でもそれも仕方ないだろう。だって俺は、男だ。 「じょ、冗談だよな、泉…?」 何とか絞り出すようにして、それだけの言葉を目の前の同級生…泉翔太にぶつける。泉は県内有数の強豪校であるうちのバスケ部のレギュラーで、明るく人当たりの良い性格で男女双方から人気があり、いつもクラスの輪の中心にいる。クラスの端っこで陰キャの男子数人で固まってる俺みたいな人間からすると、仰ぎ見るような存在というか、まあ別世界の天上人である。当然、これまで殆ど話したこともない。 だから今日、放課後に残って欲しいと頼まれた時、理由が全く思いつかなかった。本当のことを言うと、実は泉に裏の顔があってカツアゲでもされるんじゃないかってちょっとだけビビっていた。だけどこの展開は、文字通りの想定外だ。 「突然こんなこと言ってごめん。男に告白なんかされて、迷惑だっていうのも分かってる。でも、本気なんだ。…ちょっとだけでいいから、考えてみてくれると嬉しい。」 半信半疑と思考停止の間を行きつ戻りつして殆ど固まっている俺に歩み寄って、机一つを挟んだ距離から泉が言う。クラス一の人気者に殊勝な顔をされると、なんだかこっちが申し訳ないような気分になってくる。そういえば、授業で一度だけ同じ班になった時、泉は俺みたいな奴にも親切に接してくれた。だから悪い印象は全然無いし、クラス内の立場を考えても大抵の頼みなら聞くだろう。だけどこれは、さすがに応えられない。俺にそっちの趣味はない…いや、正直こんな事態は想定してなかったから真面目に考えたこともないが、多分きっと無いはずだ。 「いや、ちょっと待ってくれ、ほんとに…」 例え男からとはいえ、人生で初の告白というものをされて、それをあまり無下に断ったら申し訳ないという罪悪感と、クラスの中心人物の機嫌を損ねたらやりにくくなるかもという警戒心が相まって、思考が全くまとまらない。何とか落ち着こうと机に突っ伏して頭を抱えた時、さっき漏れ聞こえた会話が脳裏に浮かび一つの可能性が閃く。 「分かった、罰ゲームだろ!」 昼休みに泉の周りに男友達が集まって話していた時、誰かが罰ゲームと言っていたのだ。その時はなんとも思わなかったが、これが罰ゲームなら納得がいく。 果たして、泉は一瞬きょとんとした顔をした後、人の良さそうな笑みを浮かべて「バレちゃったかあ」と言う。ホッとしている俺の前で、泉は机に腰掛けて、視線を合わせながら話し始める。 「驚かせてごめんね。さっき友達と闇鍋みたいなゲームして、自分が引いた札に書かれたことをやることになったんだよ。で、俺が引いたのがこれ。」 そう言って泉が見せた札に書かれていたのは「クラスで一番地味な男子と付き合う」という言葉。それを見て、思わず脱力しそうになってから、必死に否定したくなる。いや、確かに俺は地味な方だ。でも一番は言い過ぎだと思う。仲の良いクラスメイトはそこそこいるし、極端に無口ってわけでもない。決して一番なんてことは…と自分で自分に言い訳してから、自分の隣に座ってる奴の圧倒的なオーラを思い出して虚しくなる。泉から見たら、一番地味なクラスメイトと五番目に地味なクラスメイトの差なんて、目くそ鼻くその世界だろう。 「い、いや、違うんだよ。別に北村が一番地味ってことじゃなくて…ほら、こういう罰ゲームとか、本当にダメそうな奴もいるじゃん。何とかやってくれそうな奴で、その…」 落ち込んでいる俺をフォローするように泉が慌てて言い足す。まあ、確かに言わんとすることは分からないでもない。俺もこういう悪ノリみたいなのは好きではないが、40人もいるクラスだと中には本当にそういうのが無理そうな奴もいる。このクラスの一軍連中は泉も含めて物分かりのいい奴が多くて、そこらへんは弁えて気遣っている。だから今の言葉もたぶん、まるっきりの嘘ではないのだろう。それに何にせよ、俺が地味枠の一員なのは紛れもない事実なので、あまり深刻に悩んでも仕方ない。 「まあいいや。ってか、罰ゲームならはじめからそう言えばいいじゃん。一瞬本気かと思って焦ったよ。」 「そうなんだけど、条件が条件だから、言ったら傷つくかと思ってさ。だから精一杯演技してみたんだけど、やっぱバレるかー。いや、でもほんと、色々ごめんな。」 そう言って素直に謝られると、あまり責めにくくなる。 「いや、別にそんなに気にしてないけど…」 「悪いな。で、この流れで言うのも何なんだけどさ、この話、受けてくんない?」 泉はそう言って、さっきの札をひらひらさせる。再びの予想外の言葉にまた驚かされながら言う。 「えっ、罰ゲームってバレたのにまだ続けるわけ?」 「いや、そうなんだけどさ。あいつら、こういうことには割とうるさいっていうか、しっかり守らせるというか…。事情がバレたのも、ある意味で好都合だし。北村が受けてくれると凄い助かるんだよ。」 泉はそう言って、両手を合わせて頼む!と頭を下げる。 「事情は分かったけど、なあ…。」 即答できずに、もごもごと言葉を濁す。本音を言えば、こんな話は断りたい。いくら罰ゲームがきっかけとはいえ、万が一変な誤解でもされたら嫌だ。それに、多少はからかわれたり冷やかされるかもと思うと、それも面倒だ。こんな流れ弾みたいな案件で変に目立って平穏な高校生活を邪魔されたくなかった。 けれどそこがまさに悩みどころで、もし頑なに断って関係がこじれたら、それこそ平穏どころではないかもしれない。俺が知る限り、泉は穏和でさっぱりとした性格で、こんな無茶な頼みを断ったからと言って根に持ったりしないとは思う。けれど俺は泉とクラスメイト以上の関係ではなかったから、本性は分からない。誰しも多少はキャラを作っているだろうし、泉はクラスでの振る舞いが完璧に近い分、もしかしたらと想像すると少し怖いものがある。いや、妄想のし過ぎだというのは自分でも分かっているが…。 「付き合うって言っても、そんなに身構えなくていいからさ。ほら、罰ゲームだし、男同士だし。変なこととか、当然しないから。たまに一緒に飯食ったり遊んだりとか、普通の友達と同じような感じだよ。ほら、俺と北村、駅も隣だろ。この機会に仲良くなる、くらいの気持ちで、な?」 そういえば、泉の姿は通学電車の中で何度か見たことがある。高校に入って電車通学を始めたものの、仲良くなったメンツがことごとく反対方向だったので、友達と一緒の電車というのは密かに憧れがあった。まあ、泉のような人種の違う奴と一緒になって、楽しく過ごせるかは全くの謎ではあったけれど。結局、少し悩んでから、押し切られるように頷く。 「まあ、そこまで言うなら…。でも、頼むから罰ゲームだってことをしっかり伝えといてくれよ。」 渋々受け入れてから念押しすると、泉は安心感を感じさせる屈託のない笑顔を見せながら、「分かってるって」と言って頷く。 「ほんと、サンキューな。助かった。」 どこまで本当に困ってるかやや疑わしいような口調ではあったが、ひとまず友人とのゲームに目処をつけて安堵したのか、端正な顔に曇りのない笑顔を浮かべて感謝を口にする。それから、教室のドアの方を向いて親指と人差し指で丸を作って見せる。泉の行動に頭を傾げていると、すぐに正解がドアから雪崩れ込んでくる。 「よっ、おめでとう、お二人さん。式には呼んでくれよ。」 「本当にオッケーさせちまうとはなあ。もしかして北村、男が好きなのか?」 ドヤドヤと入ってきたのは、罰ゲームの顛末を見守っていたらしい、泉とつるんでる友人連中だった。この流れでは予想できるとはいえ、からかい混じりの言葉を浴びて答えに詰まっていると、泉が庇うように言う。 「やめろよ、俺たちの罰ゲームの被害者だぞ。」 冗談めかしてはいるが、どこか有無を言わせぬ雰囲気もあり、それに従うように友人連中も肩をすくめて同意してみせる。俺が密かに安堵していると、泉はきっぱりした口調で続ける。 「罰ゲームとはいえ、俺から告白して付き合ってもらってるんだ。北村が嫌がるようなことはしないでくれよ。」 念を押すような泉の言葉に、友人連中は少し興醒めしたような面持ちながらも「分かってるよ」と素直に頷く。 それから少しだけ雑談してから、茜色から宵闇へとつるべ落としに変わっていく秋の日にせき立てられるように下校を急ぐ。教室を去り際、俺はちょっとした意地悪心で泉に問いかける。 「そういえばさ、俺の下の名前、覚えてる?」 大して親しくもないクラスメイトのフルネームなんて覚えてないだろう。困った顔が見れるに違いない…という思惑に反して、泉は躊躇うことなく答える。 「明人。北村明人、だろ?」 「あ、うん…正解、です。」 びっくりしてしどろもどろに答えてから、何だか悔しくなって少しからかうように言う。 「幾ら男相手の罰ゲームとはいえ、告白する相手のフルネームはバッチリか。さすがだな。」 「まあ、このくらいはな。当たり前だよ。」 特に誇るでもなく、本当に当たり前のように泉はそう答える。廊下はすっかり暗くなっていて、その横顔から表情は読み取れなかった。 翌朝、不安を押し殺して登校すると、クラスメイトの反応は静かなものだった。泉の注意が効いたのか、変に騒がれたり冷やかされたりすることも無かった。たまに遠くからヒソヒソ声が聞こえることはあったが、まあこれもすぐに収まるだろう。俺の友人も話は聞いていたようだが、気を遣ってか事実確認程度のことしか聞いてこない。 普段とさして変わらぬ平穏な午前を過ごして、昼休みになる。机を並べていつもの友達と弁当を食べようとすると、耳の上から「ここ、いいか?」と問われる。振り向いて見上げた泉の目元は俺より随分と高くて、間近で見るとやっぱりデカイなと思いながら頷く。 近くの椅子を引き寄せて泉は当たり前のように俺の隣に座るが、このメンツの中に入っていくと正直違和感が否めない。掃き溜めに鶴とまでは言わないが、明らかに一人だけ浮いている。俺もそうだが、他の連中もどこかぎこちない。原因の一端が自分にあると思うと、申し訳なくなってくる。 けれど泉のコミュ力は大したものだった。上手く話題に入り込んで、10分もしないうちに打ち解けた雰囲気になっている。 そうはいっても、もちろんお互いにこそばゆいようなぎこちなさは残る。泉が俺たちの中に混じってるのは、やっぱりどこかしっくりこない。だからこの状況は奇妙ではあるけれど、それもまた不思議な話だ。同じクラスの一員なのに、机を並べて自然な奴とそうでない奴がいるのだから。何にせよ、昨日の「告白」がなければ、こんな集まりは一度も無かっただろう。そう思うと、罰ゲームがきっかけとはいえ不思議な縁だな、とちらりと思う。 「どうした、ぼうっとして。」 「いや、ちょっと考えごと。」 上の空の俺に隣の泉が小声で囁き、慌てて会話の方に注意を戻す。 「…で、クライマックスがまた良くてさ、ほんとに最後まで興奮させられたよ。」 映画好きの友人が、先週末に公開された人気シリーズの最新作の感想を話している。このシリーズは俺も好きだったので、ネタバレにならない程度に話を聞いて、俺も見てみようかな、と何気なく呟く。 昼休みが終わりに近づいて、解散して自分の席に戻って次の授業の準備をしていると、スマホのロック画面にメッセージアプリの通知が表示される。タップすると、さっき登録したばかりの泉からだった。 「今度の日曜、予定空いてるんだ。もし良ければ、さっきの映画、一緒に見に行かないか?俺も興味あってさ。」 一応「付き合ってる」から、冷やかされたりしないよう、アプリで連絡してきたのだろう。泉の気配りに感謝しつつも、正直言って意外感も否めない。俺なんかよりずっと仲が良くてノリの良い友人が幾らでもいるだろうに。そんな卑屈なことを考えてから、もしや泉の友達も誘うつもりではと考えてぞっとなる。殆ど話したこともない、それもクラスの一軍連中複数と一緒というのは、想像しただけで憂鬱になる状況だ。 「いいけど、あんまり大勢にしないでくれよ。」 二人ならいいけど、とは書きにくくて、察してくれと思いながら曖昧な返事を送る。 「俺だけだよ。一応デートのつもりだから」 笑顔の顔文字付きのメッセージを見て、思わず苦笑いする。俺のコミュ障っぷりを察して、こうして冗談めかして答えてくれたのだろう。泉は本当に気配りの出来る奴らしい。 「はいはい、デートね。妙なとこで真面目なんだな。」 そんな風に返しながらも、友達と映画に行くのは結構久々で、この奇妙な縁もそう悪くないかもな、と思い始めていた。 3日後、日曜日。前日までの曇り空が嘘のように、朝から雲ひとつない秋晴れのもと、待ち合わせ場所の駅に向かう。生来の慎重な…小心ともいう…気質で10分余り前に待ち合わせ場所に着いてから、改めて緊張してくる。俺なんかと一緒で楽しめるのか、とか、映画の好みが全然違ったらどうしよう、とか…。 「お待たせ、早いな。」 「お、おう。いや、俺も来たばっかりだよ。」 待ち合わせ時間のきっかり10分前に泉に声をかけられた。思いの外早い到着への驚きと気後れのせいでしどろもどろな受け答えになってしまい、内心恥ずかしくなるが、何とか気を取り直して向き直る。泉の出で立ちはジーンズにパーカーというありきたりなものだったが、素材が良いのでとてもよく似合っている。 「どうした?」 「いや、私服見たの初めてだなと思って…。」 って、なに言ってるんだ俺は。ほんの数日前まで殆ど話したこともなかったのだから、私服を見たことが無いなんて当たり前だ。こんなこと言って、変に意識してると思われて引かれないだろうか。 「そうだよなー、俺も私服で遠出する機会なんてそんなに無いし。ってか、正直ファッションとかよく分からないから、あんまり見られると恥ずかしいな。」 「え、そうなの?俺、泉はお洒落なイメージあったけど。今の服も似合ってると思うし。」 本当に気恥ずかしそうな様子にかなり意外さを感じながらそう言うと、泉は顔をしかめて答える。 「いや、そのイメージ捏造だから。俺、服とか殆どウニクロでしか買ったことないし。なに、そんなチャラいイメージなの、俺は。」 「いや、チャラいってわけじゃないけど。…でもまあ、俺もウニクロばっかだし、一緒だな。」 勝手に親近感を抱いていると、泉が拗ねたような口調で言う。 「高校生の小遣いで買えるものなんてたかが知れてるじゃん。そもそも、部活で忙しくてそんな時間もないしさ。なんでそんな変なイメージがつくかなあ。」 そりゃお前がイケメンだからだ。と僻み混じりに言いたくなるが、余計話がこじれそうなのでやめておく。それから、さっき泉が言ったことを思い出して、今日が泉にとってかなり貴重な休日である、という事実を再確認して、また胃が痛くなってくる。 「どうした?急に黙り込んで。」 「い、いや、何でも。ほら、そろそろ行こうぜ。」 曖昧な誤魔化しと共に、いつまでも駅前で立ち話をしていても仕方ないと、映画館の方に歩き出す。俺より随分と歩幅の大きな泉は、難なく追いついてから、躊躇いがちな口調で言う。 「もしかして、迷惑だったか?急に声かけたりして。」 「えっ。」 一瞬理解が追いつかず呆然としてから、どうも泉は盛大な勘違いをしてるようだと気付いて絶句する。俺の気後れや戸惑いを、無理に誘ったから本当は嫌がってるのかも、と解釈してしまったらしい。 「いや、そうじゃなくて…」 咄嗟にそう答えてから、言葉に詰まる。自分と一緒じゃ楽しめないかもしれないと心配してる、なんてネガティヴなこと、あまり公言したくはない。でもこんな誤解はさすがに解く必要があるし、すぐに適当な言い訳も思いつかず、観念して本当のことを言う。 「俺が嫌なんじゃなくてさ。俺なんかと一緒で楽しめるかって心配なんだよ。」 気恥ずかしさから早口にそれだけ言うが、泉はいまいち意味が分からないという顔をしている。 「だからさ、泉は俺と違って土日も殆ど部活で、休みも少ないって言ってただろ?そんな貴重な休みを、もし俺と一緒に過ごしたせいで楽しめなかったら悪いなって思ったんだよ。」 言ってて悲しくなるような本心を吐き出して、思わず俯いてしまう。たぶん泉みたいな奴にはこんなネガティヴシンキングは理解できず笑われるだろう…と思っていると、かけられたのは意外な言葉だった。 「ごめん、全然気付かなくて。北村には色々迷惑かけてるからさ、困らせてたら悪いなって思ってたんだけど。そんな風に考えてくれてたんだな。」 「いや、まあ、その…」 良く言えば気遣いだが、要は嫌われたくないという八方美人的な発想で、そんなに立派なものじゃない。笑われるのも嫌だが、妙に暖かい反応をされてもそれはそれでいたたまれない。 「俺が言うのも何だけど、北村とはこれまであんまり話したことなかったし、こうやって一緒に出かけることになったのも偶然みたいなものだけどさ。だけど、同級生でクラスメイトじゃん。普通にしてれば、普通に楽しめるって。」 「…そうだと、いいんだけどなぁ。」 せっかく泉が励ましてくれたのに、俺の口から出るのは半信半疑のネガティヴな言葉。こういう時、自分の後ろ向きな性格が心底嫌になる。 「それに、一応デートのつもりだってこの前も言ったよな。俺から告白して、俺が一緒に行きたいって言ったんだからさ、俺が北村を楽しませるのが筋だろ?だから、あんまり深く考えないで、気楽に楽しもうぜ。」 俺のめんどくさい思考回路を、泉はデートという単語で半ば無理矢理ねじ伏せることにしたらしい。正直、それだけで俺の心配が消え失せるわけではなかったけれど、ここまで言われていつまでも悩んでいたらそれこそ失礼だろう。無理矢理にでも気分を切り替えて顔を上げる。 「…そうだな、せっかくの映画だもんな。」 「そうそう、楽しもうぜ。」 そう言って屈託のない笑顔を見せる姿に思わず、「泉はいい奴だなあ」と呟く。「はは、何だそれ」と泉は可笑しそうに笑った。 「いやー、あいつの言ってた通りすっごい興奮した。クライマックスも良かったけど、あの始まり方も良かったなー。やっぱあのシリーズはド派手なくらいがいいよな!」 劇場を出て廊下からエスカレーターに乗ってから、二時間分の感想が口を突いて出る。 「キャストも良かったよな。今回、だいぶ入れ替わったけど、殆ど違和感なかったし。主役二人はこれまでとだいぶ違う役柄だったけど、上手くハマってたと思う。」 「だよなー、キャストが発表された時はネットでも結構叩かれてたし、俺も最初見たとき少し不安だったけど、良い意味で裏切ってくれたよ。」 「あとさ、中盤の騙し討ちシーン、あれ第2作のオマージュだよな。」 「あっ、そうか!俺全然気付かなかった。そうかそうか、確かになー。」 やばい、楽しい。まさか泉と映画トークで盛り上がる日が来るとは思わなかったが、映画好きの友人と話してる時と同じくらい楽しい。さっきまでの心配をすっかり忘れて夢中で話していると、泉が嬉しそうに笑っているのに気付く。 「どうした、そんな顔して。そんなに楽しかったか?」 「いや、それもあるけど…」 「俺はさっきあんな恥ずかしいこと言ったんだからな、隠し事は無しだぞ。」 言い淀む泉にクギを刺すと、困ったような笑みを浮かべながら答える。 「いや、やっと普通に話してくれたなって。さっきはずっと気を遣われてた気がするからさ。俺が無理に付いてきたせいで一日中気を遣わせたら、申し訳ないだろ。」 確かに、一度打ち解けられたためか、さっきまでのような正体不明の気後れはない。でも、こっちの内心まで見抜かれてると思うと、恥ずかしいしちょっと情けない。 「泉がモテるの、分かる気がするわ。こんなことやってたら、そりゃモテるよな。」 「別に誰彼構わずやってるわけじゃないよ。今日はデートだからな。」 悔し紛れに言った嫌味も、あっさりスルーされてしまう。ため息をついて、気分を切り替える。元々、こいつに勝とうとするのが無理な話なのだ。 「まあいいや。腹減ったし、何か食おうぜ。」 「そうだな。何か食べたいものあるか?」 何でもいいよ、と答えると、泉も特に希望は無いらしく、目につく場所にあったファーストフード店に入る。一つだけ空いていた四人がけのテーブルを確保すると、泉がカウンターに並んでくれた。 「はい、フィッシュバーガーセット。」 「サンキュー。いくらだっけ?」 トレイの端に乗ったレシートを見て財布を開けようとすると、それを押し留めるように泉が言う。 「ここは俺が出すよ。」 「いや、でも…」 「北村には色々迷惑かけてるし、今日も俺から声掛けたんだからさ。このくらい払わせてくれよ、な?」 泉は押し付けがましさを感じさせないスマートな雰囲気で当然のようにそう言ってから、食事を始めようとする。俺はまだ財布を握ったままだ。 さっきも一瞬思ったけれど、泉は俺に気を遣ってるのかもしれない。それは結局、今日一緒に来たことを申し訳ないと心の片隅で思ってるからだろう。それは何だか、悔しいし、寂しい。 「どうした、食べないのか?」 「あのさ、俺今日一緒に来れて良かったよ。映画見て感想話して、一緒に飯くって。普通に楽しめてると思う。だから、そういう気遣いはいらない。俺のこと…ちょっとでも、その、友達だって思ってくれてるなら、ちゃんと払わせてくれ。」 何だか恥ずかしくなって俯きながらも、何とか言い終える。恐る恐る顔を上げると、泉は最初少し驚いたような顔をしてから、嬉しさと気恥ずかしさの混じったような笑みを浮かべる。 「そうだな。じゃあ、頼むよ。」 ホッとして代金を渡すと、泉が嬉しそうに言う。 「俺のこと、ちゃんと友達と思ってくれてるんだな。」 「一緒に映画見てメシ食うクラスメイトなら、まあ友達だろ。…たぶん。ったく、友達の定義とか、小学生みたいなこと考えちまいそうだよ。」 また恥ずかしくなって突っ伏してそう言うと、泉が懐かしそうに「そういうこと、みんな一度は悩むよな」と呟く。泉でもそんなこと悩んだのか、と思いながらまだ暖かいフィッシュバーガーに口をつける。甘酸っぱいタルタルソースの味が舌先に広がった。 「…でさ、飯島のやつがおかしくて…」 「へぇ、あいつってそんななんだ。もっとこう、ストイックな感じなのかと思ってた。」 「全然。あいつ、むしろ天然で抜けてるよ。」 映画の話も出尽くして、泉との会話は自然と他愛のない世間話に移っていた。 好きなゲームや音楽の話、最近食べて美味しかったもの、学校やクラスメイトの話。脈絡なくぐだぐだと続く会話も、泉とだいぶ打ち解けた雰囲気になった今は楽しい時間だった。 「そうそう、あいつの小テスト、まじで引っ掛け問題多いよなー。問題文を二回読み返すクセがついちまったよ。」 「分かるわー、答案出した後も不安になるし。」 話題はいつのまにか引っ掛け問題好きな英語教師への愚痴になっていて、半分水のようになったコーラを飲みながら相槌を打つ。心地よい気だるさの中でとりとめのない会話を続けていた時、俺達より数オクターブ高い声が飛び込んでくる。 「あれっ、泉君じゃん、こんなところで偶然ー!」 「えっと、北村君と一緒?珍しいねー。あっ、いま、罰ゲームで付き合ってるんだっけ。」 顔を上げると、トレイを持って立っていたのは同じクラスの女子二人だった。 俺なんかの名前を覚えてたのは、罰ゲームでも泉と付き合うことになったからかな、これを怪我の功名って言っていいのかな、と複雑な気分になりながら軽く会釈する。俺の表情を見て察したのか、泉が取りなすように言う。 「まあ、罰ゲームとかはともかくさ。ふつーに友達として楽しくやってるよ。結構話題が合うんだ、な?」 「あ、ああ。」 嘘でもないのに妙に焦ってもごもご答える。女子二人は「へー、そうなんだ」と気のない返事をしてから、周りをちらと見回して言う。 「席も空いてないし、ここ、いい?」 その言葉に、一瞬微妙な空気が流れて、泉が心配そうな視線を送ってくる。いや、気持ちは分かる。ただでさえ普段から女子と積極的に話すタイプではないし、ましてやこの二人は俺みたいな地味なキャラとは人種が違うタイプだ。けれどそれはそれとして、この状況で同席を断るのも不自然だ。 「もちろんです、どうぞ。」 躊躇っている泉の代わりにそう言って、奥に詰めて席を空ける。泉もそれに倣って、空いた席に二人の女子が座る。 「ありがとー。北村君とはあんまり話したことなかったよね?よろしくー。」 「よ、よろしく。」 ぎこちなく頷いて、体をもうちょっとだけ奥の方に押し込んだ。 「でさー、そのエリの彼氏ってのがまたすごい束縛系で。他の男と話してるだけで問い詰められたり、既読ついてすぐ返信しないとしつっこくメッセージくるんだって。怖いよねー。」 こわすぎー、と同意する声が聞こえて、俺も適当に頷いてみせる。 …しんどい。泉と二人きりで気後れしたのは、全く違う次元のしんどさがある。こういう派手に遊んでる系の人種は、体育会系以上に苦手意識を感じてしまう。 「でも俺ちょっと分かるなー、付き合ってる子から既読スルーされたら地味に傷つくかも。」 「えー、泉君も結構そっち系?てゆーかさ、いまほんとにフリーなの?よりどりみどりでしょー。」 「そんなことないって。それに俺はこれでも傷心中なんだぜ。」 冗談めかした口調でそう言ってから、泉は気楽な笑みを見せる。最後の言葉の意味は分からなかったが、さすがに上手く溶け込んでいると感心していると、突然火の粉が降ってきた。 「そういえば、北村君はどうなの?クラスの女子で、好きな子とか。」 突然矛先が向いて、びくっと震えそうになる。彼女達はさっきから時たま、殆ど黙りこくってる俺に気遣ってか、あるいはからかい半分か知らないが、こうして話題を振ってくる。正直言って、ほっといて欲しい。 「いや、俺は、そんな、特には…」 視線を逸らしながら、しどろもどろになって答えるが、そんなことでは許してもらえない。 「えー、でも気になる子くらいいるでしょー?」 追撃を浴びて、完全に言葉に詰まってしまう。そりゃ俺だって、クラスの女子に可愛いなと思うことが無いわけじゃない。でも、うっかり変なことを口走って広められたらと思うと、怖くてとても言い出せない。ましてこの二人は、話を広めたり大きくするのが好きそうだ。 「好きなタイプならどうだ?アイドルとか芸能人とかでさ。」 追い詰められた俺に、泉が助け舟を出してくれる。絶妙に矛先を逸らす問いに、助かったと思いながら答える。 「そうだなー、綾崎リナとかかな。」 少し年上の女性アイドルの名前を出す。歌が好きなのもあったが、同年代だとクラスで似てるタイプが誰それとか言われたら嫌だ、というセコい計算もあった。 「へー、北村君って年上好きなんだー。」 「あんまり意識したことないけど、そうかな。」 案の定、彼女達の食いつきは悪く、興味を無くしたのか他の話題に移った。ホッとしてから、内心で泉に感謝するが、同時に情けなくなってくる。幾らタイプが違うとはいえ、同級生の女子との会話すら満足に出来ず、泉に気を遣わせて。部活で活躍しながら、人付き合いもきちんと出来てる泉と比べて、なんでこんなにダメダメなんだろう。 …はあ、俺はもう帰った方がいいかな。彼女達は俺がいてもいなくても気にしないだろうし、泉も気を遣わなくてすむだろうし。ただ、この状況で一人だけ帰る理由が見当たらない。体調不良?いや、わざとらしすぎる。他の予定…いや、もっとわざとらしいな。 そうやって頭を悩ませていると、こちらにちらと視線を寄越した泉と目が合う。泉は少し迷ったような顔を見せてから、二人の話が一区切りついたところで言った。 「ごめん、俺達そろそろ次の予定があるんだ。そろそろ失礼するな。」 えっ、そうなのか?いや、もしかしたら泉が何か予定を立ててくれていたのかもしれないが。混乱する俺の前で泉はトレイを手にさっさと立ち上がり、通路側に座っていた女子二人が慌てて道を開ける。 「行こうか、北村。」 「あ、ああ。」 流されるように頷いて、彼女達に会釈してから泉の後について店を出る。店から少し歩いたところで、もしかして俺が何か聞き落としていたりしたのかと、恐る恐る言う。 「なあ、次の予定って?」 「いや、あれは…北村、つまらなそうにしてたろ。店出た方がいいかなと思ってさ、そのための方便だよ。」 泉の答えに安堵しつつ、また自分のために気を遣わせたかと罪悪感を覚えつつ言う。 「なんだー、俺はてっきり聞き落としでもあったのかと焦ったよ。というか、俺一人で帰っても良かったのに。」 「元々北村と映画見るために来たのに、それじゃ意味ないだろ。でも、そんなこと考えてたなら、悩むことなかったな。」 「悩むって何にだよ?」 意味が分からず聞き返すと、泉は少し照れくさそうな顔で答える。 「いや、さっきメシの前、あんまり変な気遣いはするなって言われたろ。だから、もしかしたら嫌かもと思って。」 「ああ、うん…いや、こういう気遣いなら助かる。さっきあんなこと言っといてなんだけどさ。」 我ながら都合のいいことを言っていると思うが、泉は「なら良かった」と嬉しそうに笑っている。その笑顔を見ていると、また申し訳なさが湧き上がってきて、言い訳がましく言う。 「そっちこそ良かったのか?せっかく盛り上がってたのに。」 「俺のことはいいって。」 でも、と俺が言い募ろうとすると、泉は観念したように言う。 「ほんとのこと言うと、俺も苦手なんだよ、ああいうタイプ。」 恥ずかしげに顔を少し逸らしてそう言った泉は、逃げるように早足になる。元々足の長さが違うので、あっと言う間に置いていかれそうになる。慌てて小走りに追いかけながら、半信半疑で言う。 「…まじ?」 「まじだよ。」 「俺に気を遣わせないための嘘じゃなくて?」 「違うって。ってか、北村の中で俺のイメージってどうなってんの?そんなに遊びまくってて、女慣れしてるイメージなのか。」 改めて問われて、少し考え込む。華やかな容姿のせいでそういうイメージも無いではないが、むしろ… 「どっちかというと、何でもそつなくこなせるっていうか…まあ、そういう感じ。」 俺の答えに、泉は歩みを止めて振り返り、困ったような顔で言う。 「俺、別にそんなスーパーマンじゃないよ。自分では欠点だらけだなって思うし。無理して何とか取り繕ってるけど。」 泉の弱音はいかにも唐突かつ意外で、俺は思わず目をパチクリさせる。そんな俺の様子を見て、泉はすぐにいつもの顔に戻って言う。 「ごめん、変なこと言った。忘れて。」 そう言った顔は確かに笑顔だったけれど、なぜか寂しげに見えて。また歩き出そうとした泉の腕を、咄嗟に掴んでいた。 「どうした?」 「これは、その…」 驚いた顔をしながらも穏やかな声で聞いてくる泉の前で、自分でも自分の行動にびっくりして言葉に詰まってしまう。 「俺なんかがこんなこと言うのも、どうかと思うんだけど。」 根気強く待ってくれている泉の前で、何とか言葉を絞り出す。 「完璧じゃない方が、人間らしくていいんじゃないかなー、とか…」 あああ、何言ってるんだ俺は!!言い終えて我に返り、頭を抱えそうになる。少なくとも自分より百倍完璧に近い人間に向かって、なに上から目線で慰めみたいなこと言ってんだ! 恐る恐る泉を見上げると、心底びっくりしたという顔をしている。俺なんかにこんなこと言われて呆れているのかもしれない。 「ち、違くて!泉がダメとかそういう意味じゃなくて、つまり…」 慌てて言い訳めいたことを口にするが、泉はすぐに笑顔を浮かべて俺の言葉を片手で制して言う。 「そっか、ありがとな。なんか、突然変なこと言ったり、気を遣わせたりして悪いな。」 「い、いや、そんなの、全然いいって。俺も助けられたし。」 何とかそう言ったところでお互い無言になり、微妙に気まずい空気が流れる。けれどそれも一瞬で、泉がふはっと楽しげに笑って「帰るか」と駅の方に指を向け、俺も無言でこくこくと首を振る。 「そんなに、気にしなくていいから。」 駅のエスカレーターに乗りながら、泉がリラックスした表情でそれだけ言う。主語が不明だが、まあさっきのこととか、諸々含めてということなんだろう。なんだかその一言にホッとしていると、泉が懐かしそうな声で呟く。 「ああいうこと言われたの、二度目だな。」 「え…。」 意味が分からず泉の顔を見るが、どこかそれ以上の言葉を拒むような雰囲気が滲んでいる。エスカレーターから改札までの人混みに揉まれるうちに、それ以上聞き出すタイミングを失ってしまい、諦めて忘れることにする。 帰りの電車の中では、また映画の話で盛り上がり、泉は俺より一つ前の駅で降りていった。 「悪い、待たせた。」 「いや、俺もいま来たとこだから。」 暇つぶしに眺めていたスマホをしまいながら、駆け寄ってきた泉に言う。よほど急いでいたのか、首元に巻いたマフラーが落ちかかっている。まだ10月の下旬だというのに、今日は随分と寒かった。 「寒くなってきたよなー。」 「そうだな、次待ち合わせる時は校内がいいかも。」 待ち合わせ場所の校門から出ながら、そんな会話をする。一緒に帰るのも3回目なので、最初の頃のぎこちなさや緊張感はすっかりなくなり、気だるさ混じりの安心感と気楽さが漂う。 「そういや、最近忙しそうだな。」 「もうじき他校が練習試合があるからさ、練習がキツくて。」 「へー、お疲れ様。」 適当に返事しながら、駅前までの道を歩く。 一月ほど前に二人で映画に行って以来、泉は部活が休みの日にたまに誘ってくるようになっていた。一体どういう心境の変化があったのかいまだに謎なのだけど、慣れてくると普通に楽しく過ごせるし、あまり深く考えることもないまま回を重ねていた。 「今日は何にする?」 「んー、今日はドーナツの気分。」 「おっけー。」 高校生の小遣いで気軽に利用できて、長居しても文句を言われない場所となると、自ずと限られる。そもそも、学校の最寄りの駅前にはそれほど選択肢も多くない。いきおい、幾つかの店のローテーションになってしまう。今日は俺のリクエストでチェーンのドーナツ屋になった。一階のカウンターで買ったドーナツとコーヒーをトレイに載せて、三階の窓際の席に座る。 「…で、そのコーチがさ、一年に当たりがキツすぎるんだよな。それで、レギュラー候補で期待されてた奴がやめちゃって。本末転倒だよな。」 泉は驚いたことに、二人の時にこういう愚痴めいたことを口にすることがあった。今日は指導熱心すぎて一年生をしごいてるトレーナーの話だ。正直言って俺には全く分からない世界の話なのだが、むしろ無関係の人間だから気軽に弱音を吐けるのかもしれない。 「泉はそのトレーナーとは上手くやれてるのか?目をつけられてしんどいこととか…」 「俺は年上に可愛がられるのは割と上手いんだよ。その人、好き嫌い激しいけど、俺はたぶん好かれてると思う。レギュラーに選ばれたのも、そのお陰もあると思うし。」 「レギュラーは実力だろ。」 咄嗟にそう言うと、泉は微妙な顔をする。時々こういう少しネガティブなことを口にするのも、二人きりの時の特徴だった。明るくてスマートで自信に溢れてる教室での泉しか知らなかった身としては、これにも驚かなかったと言えば嘘になる。でも俺もどちらかと言えばネガティブな性格だから、親近感を持ったのも事実だった。めんどくさいとも思うが。 「本当はさ、俺もどうかと思うんだよ。愛想笑いして、贔屓してもらって。もっと言うべきことは言った方がいいのかも、とか。でもなあ。」 「無理することないだろ。そもそもそういうコーチ使ってるのは学校なんだし。嘘ついたり告げ口してるならともかく、周りと上手くやるために気を遣うのは、誰でもしてることじゃん。」 「それはそうなんだけどさ。期待してた後輩がやめるのは、結構こたえるんだよ。もっと何かしてやれたんじゃないかとか、つい考えて。」 泉はどうやら、本当はかなり抱え込むタイプのようだ。普段の明るく社交的な姿とは、ほとんど別人に思える。ただ不思議なことに、こうして弱音や愚痴や悩みのはけ口になることは、それほど嫌ではなかった。 「まあ、気持ちはわかるけどさ。でも、どうにもならないこともあるんだし。あんまり考えすぎない方がいいと思うよ。」 泉はまだ釈然としない様子だったが、これ以上続けるのもしつこいとおもったのか、「そうだよな」と呟いて頷いてみせる。それでもまだ憂い顔の泉の関心を逸らそうと、こちらから話題を振る。 「そういえば、GNOはどうなった?ボス戦で詰まってただろ。」 GNOことグランド・ニュー・オーダーは最近流行っているスマホゲームで、二人ともプレイしていたけど、余暇時間の差か、俺は五章まである一部を既にクリアしていたのに対して、泉は二章までしか進んでいなかった。 「何度やっても倒せない。あいつ固すぎない?」 「ちょっと貸してみ。あー、アビリティと装備がこの組み合わせじゃなあ。今持ってる装備は…おっ、結構いいの持ってんじゃん、ちゃんと使えよ。」 GNOは最近のスマホゲームの大半と同じようにキャラや装備のカードをガチャで引いて手に入れる方式で、他のゲームと比べると比較的無課金でもレアカードが当たることが多かったが、それでも課金してリセマラしてるプレーヤーに比べると限界はある。泉はくじ運がいいのか、無課金の割にはそれなりにいいカードが揃っていた。 「いやー、アビリティの特性とか複雑でよく分かんなくて。」 「お前、頭いいんだから使えよ…。ほれ、これでやってみろ。」 そう言ってアビリティと装備をボス戦用に調節してスマホを返す。運動部のレギュラーで忙しいはずなのに成績も上位の泉相手に、俺が何かしてやれることがあるとすればこれくらいかもしれない。自分で考えて悲しくなる話だが。 「おっ、すげえ、攻撃力たかっ!これならいけそうだ。」 「そろそろ敵のリミット技が来るから回復しとけよ。」 泉のスマホの画面をチラ見して、数ヶ月前にやったボス戦の記憶を辿りながらアドバイスする。その甲斐あってか、ギリギリではあったが、ボスを倒すことに成功する。 「ふー、何とか勝てた。これでやっと進める。助かったよ、ありがとな。」 「どういたしまして。これくらいなら、いつでもいーよ。」 意外と子供っぽい笑顔を見せる泉を前にして何となく毒気を抜かれたような気分になって、少し投げやりな口調で答える。背もたれにだらっと寄りかかりながら、冷めたカフェオレをすする。ふと気づくと、外はすっかり暗くなっていた。 「そろそろ行くか?」 泉の言葉に、そうだな、と答えて席を立つ。店の外に出ると、肌寒さに思わず首をすくめて、早足で駅に向かう。ホームでまた寒さに震えてから、同じ電車に乗り込んだ。そろそろ帰宅ラッシュの時間に差し掛かっていたので車内は混み合っていて、つり革に掴まって電車に揺られる。 「今日はほんとに寒いよな。今年の冬は寒さが厳しいって言ってたけど、勘弁して欲しいわ。」 「寒いのも嫌だけど、乾燥しやすいのがなー。乾燥肌だから冬は辛いよ。」 「へえ、そうなんだ。リップクリームとか塗ってる?」 「冬は塗ってるなー。」 他にやることもないのでだらだらと行き先のない会話を続けるが、やがて話題が尽きてお互い黙り込んでしまう。何か話題がないかなと考えた時、さっき泉が言っていたことを思い出す。 「そういや、もうじき練習試合があるんだっけ。」 「次の土曜になー。前回、県予選で負けた相手だからみんな燃えてるよ。」 「見に行ってもいいか?」 どことなく他人事のような泉の口調に微かに違和感を感じながらも、ふと思いついたことを口にすると、泉は一瞬ぎょっとした顔をする。 「突然どうした。」 「いや、深い意味はないけど…。ダメか?」 部外者が行ったら迷惑なのかな、と思いながら尋ねると、泉は妙に歯切れの悪い口調で答える。 「いや、見学は誰でもオッケーだけど。でも、ほら、来てるの女子が殆どだぞ。」 それはそうだろうな、とぼんやり思いながら答える。 「別にいーんじゃね?俺はそういうのあんまり気にならないし。泉が迷惑ならやめるけど。」 「いや、迷惑とかじゃなくて!ほら、応援部とか除いたら本当に女子ばかりだからさ、ちょっとびっくりして。でも俺も男友達が応援に来てくれたら嬉しいよ。」 どことなく言い訳がましいが、本当に驚いているのかもしれない。それにしても、こいつ、一応付き合ってるという設定を忘れてるな。とは言っても、罰ゲームの恋人より普通の男友達と言われた方が嬉しいが。 「じゃあ、土曜日は頑張れよ。」 「はは、そう言われると緊張するな。」 「別に俺相手に緊張することないだろ。」 そんな会話をしているうちに、電車が泉の降りる駅に着く。またな、と言って別れながら、すっかり馴染みの友達と過ごしたような気分になっていた。

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