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第2話
ジリリリリ…
チャイムが鳴って四限が終わる。土曜は午前授業なので、これで終わりだ。普段なら家路を急ぐか友人と駅前かどこかで遊ぶか、いずれにしろ校内に留まることは滅多にないが、今日は購買で買ったパンを手早く食べて体育館に向かう。ここの体育館はなかなか立派で、二階部分にベンチが置かれてアリーナのような作りになっており、そこから一階の試合を観戦できるようになっている。
普段の体育の授業で二階に上がることはまず無かったので、初めてだなと思いながら階段を上がる。二階のベンチとその周りには応援の生徒の姿がちらほら見えるが、泉の言葉通りその殆どが女子だった。泉の前では深く考えずに気楽に請け合ったが、いざ軽やかで楽しげな声で話している華やいだ集団を見ると気が引けてしまう。
「よう、珍しいじゃん。」
「ああ、飯島。来てたのか。」
どうしようかな、とさまよい歩いていたところで見知った顔に声をかけられて安堵する。飯島はクラスの上位陣の一員だったが俺とは中学からの付き合いで、今でもたまに遊んだりする仲だった。飯島の近くには、他にも何人か泉と親しいクラスメイトが集まっていた。知らない顔も多いので、少し居心地の悪さも感じながらコートの方を見ていると、飯島が話しかけてくる。
「そういえば、泉と付き合ってるんだったな。それで、応援のためにわざわざ来たわけか。健気な恋人じゃん。」
「いや、ほんと、そういうんじゃないから…」
からかう気満々の言葉に思いっきりげんなりすると、飯島は短く笑ってから、本気で不思議そうに言う。
「だけど本当に珍しいじゃん、北村が応援に来るなんて。泉に頼まれたのか?」
そう言われて、思わず言葉に詰まる。元々スポーツ観戦が趣味という人間ではないし、本当のことを言うと今も早く帰りたい。あの時何となく思い立って見に行くと言ってしまって、引っ込みがつかなくなってしまっただけだ。まあ、特に他の予定もないし、約束した以上いまさら反故にするのも気が引ける。しかしそんな後ろ向きな理由をそのまま口にするわけにもいかない。
「この前一緒に帰った時に、練習試合が近いって話をしててさ。一度くらい応援に行ってもいいかなと…。」
我ながら動機付けが弱い。しかし飯島はそこには特に突っ込まず、他のところが気になったようだった。
「へえ、泉と一緒に帰ったりするんだ。」
「たまーにだよ。ほら、帰りの電車が同じだからさ。別に…普通だろ?」
もちろん、普通というのは、友達やクラスメイトとしての普通だ。変な勘ぐりをされるのは不愉快だし、泉にも迷惑がかかる。
「いや、いーんだけどさ。俺も泉と帰ったことないから、ちょっと驚いて。」
「えっ、そうなのか。」
「まあ、ほぼ毎日部活だからな、そんなにおかしくもないけど。」
「でも水曜は休みだろ。」
バスケ部は基本週5日で水曜と日曜が休みだと聞いた。もっとも、日曜は練習試合や遠征で出てくることも多いようだが。何にせよ、俺が泉と帰ったのは全て水曜だった。
「そうだけど、水曜も大体部活の仲間と帰ってるみたいだしな。」
「ああ、なるほど。やっぱ運動部の繋がりって強いんだな。俺だったら、週一くらいは自由にやりたいわ。」
思わずしみじみとそう言うと、飯島は苦笑交じりに言う。
「別に運動部だってみんながみんなずっと一緒ってわけじゃないと思うぞ。泉はバスケ部に親友がいるからな。」
「ふーん、そうなのか。」
特に意外でもなかったので適当に頷くが、一拍おいて疑問が浮かぶ。それならなぜ、俺と何回か一緒に帰ったりしたんだろう。俺より付き合いの長いクラスの友人とは帰っていないようなのに。もしかして、俺と一緒に過ごすのがそんなに楽しかったのだろうか。一緒に過ごしてつまらないと思われるよりは楽しいと思われる方が嬉しいのは間違いないが、どうもあまり信憑性のない仮説だった。
「おっ、始まるぞ。」
飯島の言葉で思考を中断し、コートに視線を向ける。両チームが挨拶してから、ホイッスルが鳴って試合が始まった。泉はレギュラーなので、試合開始と同時にコート上で休みなく動き回る。とはいえ、バスケは全然詳しくないので、正直よく分からない。得点は今のところ、ほぼ互角のようだった。
「そろそろアレが見れるかな。」
「アレ?」
ぼんやりと試合を眺めていた俺に、飯島が思わせぶりな口調で言う。コート上では、ちょうど泉にボールがパスされたところだった。ゴールまでは随分と距離があり、おまけに相手チームの選手が二人駆け寄って来ている。
どうするのだろうと思って見ていると、泉は姿勢を低くして一人を抜き去り、背中側でドリブルして二人目を抜き去り、一気にゴールまでの距離を詰めて味方にパスする。それを受けた選手は、美しい放物線を描くようなスリーポイントシュートを見事に決めてみせた。ほぼ同時にホイッスルが鳴り、第1クォーターが終わる。最後のスリーポイントで、こちらが逆転していた。
鮮やかなプレイを見せられて、全く興味が無かった俺でも思わず釘付けになってしまう。どんな分野であれ、修練を積んだ技には人を惹きつける力があるのだろう。そういうものを持っている泉のことが、少しだけ羨ましくなった。
「あの二人の連携技、見事だろ。あいつら、中学の頃から一緒にバスケやってるんだってさ。」
「ああ、バスケ部に親友がいるって言ってたもんな。」
「そうそう。二組の柴田って言ったかな。」
なかなか情報通な飯島の言葉に頷きながらコートの方に視線を戻す。両チームともインターバルで一旦ベンチに戻っていたが、泉は興奮冷めやらぬ様子で柴田という選手の肩を親しげに叩いている。この距離からでも分かるほど泉は生き生きとしていて、共に見事なプレイを決めた柴田が中学時代からの親友という話も素直に頷ける。
「俺よりずっと向いてる恋人役がいるじゃん。」
思わず苦笑混じりに独りごちる。少なくとも、そういう妄想が好きな女子であれば、絶対に向こうを選ぶだろう。まあ、だからこそ罰ゲームの相手には向かないかもしれないが。
「泉はバスケ部のレギュラーとしては身長は普通なんだけど、さっきみたいにドリブルが抜群に上手いんだよな。それで付いた二つ名が、流星の泉。」
「えっ。」
BGMのように聞き流していた飯島の解説だが、とんでもない言葉が飛び出してきて思わず反応してしまう。そんな未就学児向けの戦隊ヒーローみたいな二つ名は、正直どうかと思う。いや、戦隊モノが悪いとは言わないが。
「本人は凄い嫌がってるから、目の前で言うなよ。」
「そんな二つ名、付けるなよ…。」
呆れながらも、内心安堵する。その二つ名を心底喜ぶようなセンスの持ち主だったら、仲良くやっていけるか自信が持てない。
そんな会話を交わしている間に試合は第2クォーターに入っている。戦況は一進一退で、ほぼ同点に近いままハーフタイムとなった。
「さっきので泉はすっかりマークされちまってるなー。」
「そういや、殆どパスが回ってこなかったな。」
「まあその分他の選手が動けてるから、今のとこ互角に戦えてるけどな。後半戦はスタミナがキツくなってくるから、選手層が厚い向こうの方が有利なんだよ。」
そうなのか。正直よく分からないが、その言葉が正しいなら、厳しい戦いになるということなのだろう。練習試合なのだし、そもそも別に熱心なファンというわけでもなかったが、そんなことを言われると何となく少し緊張してしまう。
落ち着かない気分でベンチを眺めていると、マネージャーらしき女子が忙しく走り回っているのが見える。ポニーテールの尻尾が左右に跳ねるその女子は、上下ジャージの素っ気ない出で立ちにも関わらず、この距離でもはっきりと分かるほどの美少女だった。
「立川さんいいよなー。飾り気のない美人って感じで。」
俺の視線に気付いた飯島が本気で羨ましそうな声で言う。あの美人マネージャーは立川さんというらしい。
「あれはモテそうだよなあ。」
生来の僻み根性から、運動部マネージャーの美少女という存在にどことなくあざとさを感じてそんなことを口走ってから後悔する。見方によっては誤解を受けかねない。だが飯島は額面通り受け止めてくれたようで、頷きながら言う。
「そりゃあな。前のキャプテンも告白して玉砕したらしいし。」
「漫画みたいな話だな。」
「もっと凄いぞ。何と、立川さんと泉と柴田は中学からの付き合いなんだ。」
なぜか自慢げな飯島の言葉を聞きながら、今度こそ完全にドラマの世界だと呆れるような感心するような気持ちになる。運動部を舞台に、友情と三角関係、もはや古典とか様式美と言っていい世界だ。おまけに柴田はストイックな雰囲気で、一目見るだけで泉とはタイプが違う。もしこれがそういうドラマなら、ヒロインはどっちかと結ばれるまで散々フラフラしてすったもんだが5回くらいあるだろう。
「まさかどっちかと付き合ったとか言わないよな。」
「そのまさかだよ。二ヶ月くらい前だったかな。柴田が立川さんに告白して付き合い始めた。」
「へえ…そうなのか。」
次々ともたらされる新情報、それもほとんど異次元の出来事に思える話に圧倒されそうになる。それでも、ふと思いついた一言を口にする。
「泉じゃなかったんだな。」
「そこは俺達もちょっと驚いた。しかも泉は、二人が付き合った直後にかなり落ち込んだ様子で失恋したとか言ってたし。結構本気だったんだろうな。」
「そうだったのか。あいつでも失恋するんだな。」
「まあ、立川さんは真面目な感じだし、泉は軽い感じがしてダメだったんじゃね?」
「泉は別に軽くはないだろ。」
何となくムッとしながら言う。確かに俺も以前はそういうイメージを少し持っていたけど、奇妙なきっかけとはいえ友人と言っていい関係になってみると、泉は普通にいい奴だった。確かに明るく社交的だが、相手に合わせて細かい気遣いもできる。性格的にも特に問題があるとは思えない。聖人君子ではないから時には愚痴や弱音をこぼすこともあるだろうが、むしろ可愛げがあるくらいだろう。ごく短い付き合いの俺でも分かるのだから、何年も一緒にいたなら泉の良いところを何倍も知ってるはずだろう。考えれば考えるほど憤慨してきて、思わず吐き捨てるように言う。
「ほんっと、見る目ねーな。」
「俺に言うなよ。ってか、さすが泉の恋人は言うことが違うな。」
冷やかすように言われた言葉に、少し落ち着きを取り戻す。確かにこの場で憤慨しても無意味だし、そもそも俺が口を出す問題でもない。
「まあ、確かに本人達の気持ちの問題なんだろうけど…。」
そう言いながらも、なんで泉の良さが分からないんだろうと思うと、悔しいような歯がゆいような気持ちになる。泉以外の二人とは話したこともないのに、一方的に敵意のようなものを抱いてしまう。さすがに滑稽だなと思って、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。それから、もしかして俺は泉に同情しているのか、と思い至って愕然とする。上から目線もいいところだ。
そんなことを考えているうちにハーフタイムは終わり、試合は後半戦に入る。第3クォーターで泉はまた華麗なドリブルを見せてシュートにつなげた。
「かっこいいと思うんだけどな…。」
思わず一人ごちるが、幸い誰にも気付かれなかった。
その日の試合は結局僅差で負けてしまったが、泉の華麗なプレイと飯島から聞いた話は強く心に残った。
「よう、お疲れ。この前は残念だったな。」
購買のパンの前で迷っている様子の泉にそんな風に声をかけたのは、週が明けた月曜日だった。教室だと周りに友達がいて声をかけづらいので、購買に一人で来ている時に見かけられたのはラッキーだった。
「ああ、北村。わざわざ来てくれたのに悪いな。」
「いやいや、凄かったよ、ドリブルとかさ。全然バスケに興味ない俺でも、思わず見とれたもん。」
「そこまで言われると照れるな。でも、ありがとな。」
本当に照れたような表情を見せながら素直に礼を言う姿は、誠実な温かみとともに、どことなく可愛げがあった。パンの並んだトレイの前で悩む泉に言う。
「コロッケパンと焼きそばパン、悩むよな。」
「どっちかというとコロッケパンの方が好きなんだけど、焼きそばパンもたまに食べたくなるんだよなー。」
「俺は明太フランスが一番好きなんだけど、いつも売り切れでさ。うちのクラス、購買からちょっと遠いし。」
「そうなんだよなー、トイレも遠いし。損だよな、うちのクラス。」
選んだパンを手にレジに並びながら、そんな会話を続ける。些細なことではあるけれど、自分と同じようなことを考えている相手がいると分かるのは嬉しい。他愛のない不満で盛り上がっていると、後ろから声をかけられる。
「おー、翔太が購買なんて珍しいな。」
振り向いた先には、この前の試合で見かけた柴田と立川さんの姿があった。泉は一瞬驚いた顔をしてから、笑って言う。
「リュウこそ、だいぶ出遅れたな。もうあんまり残ってないぞ。」
「ほんとだな。お前が来てるなら頼めばよかった。」
「だめだめ、翔くん気付くの遅いもの。」
「そうだった。ほんと、薄情だよな翔太は。」
「ひでー、違うって。」
楽しげに笑う泉の笑顔は俺が見たことがない無邪気なもので、三人の絆がいかに深いものかそれだけでも分かる。少し寂しさを感じながらも、それ以上にいたたまれさを感じてしまう。四人中三人が数年来の付き合いという中で、さりげなく会話に入るようなコミュニケーション能力は持ち合わせていない。泉の背に隠れるようにしてやり過ごそうとするが、立川さんに見つかってしまう。
「えっと、あなたもしかして北村くん?翔くんと罰ゲームで付き合ってるっていう。」
泉の友人とはいえ他のクラスの生徒にまで話が伝わってるのか、とげんなりしながら観念して頷く。事情を知らないらしい柴田が不思議そうな顔で言う。
「何の話だ。」
「翔くん、クラスの友達とやった罰ゲームで負けて、隣にいる北村くんと付き合うことになったって聞いたけど。」
「そうなのか?」
柴田が胡乱な顔つきでこっちを見て、思わず謝りそうになるが、泉が上手く説明してくれるだろうと思い直す。けれど泉の反応は、予想とはだいぶ違うものだった。
「いや、ほんと、つまんない罰ゲームだから!ほんと悪趣味っていうか…北村にも迷惑かけてるし。あ、ありえないよな、男同士とか。」
高校生の下らない罰ゲームの末の交際だ、きっと冗談交じりにさらっと説明してくれるだろう、という期待に反して泉は焦ってしどろもどろな様子で言う。これまで見たことのない泉の慌てふためく姿に驚かされるが、なまじ相手が長い付き合いなだけに上手くあしらえないのかな、と思いながら、仕方なくフォローに入る。
「なに焦ってんだ。まあ普通の友達に近い付き合いですよ。帰りが同じ方向だからたまに一緒に帰ったりとか。」
「ああ、最近水曜は断られることが多いと思ったら、そういうことか。てっきり俺達に気を遣ってるのかと思ったぞ。」
その言葉に、疑問が一つ氷解する。柴田と立川さんが付き合うようになって、水曜に毎回は一緒に帰りにくくなって、ちょうど方角が一緒だった俺のことを誘ったのだろう。
「いや、それもあると思いますよ。なあ?」
そう言って泉の方に水を向けるが、そりゃまあ、とかもごもご言うばかりだ。本当にさっきから様子がおかしいなと思っていると、柴田が突然会釈してくる。
「翔太が迷惑をかけたようで悪い。何か困ったことがあったら俺にも遠慮なく言って欲しい。翔太はこう見えて、意外と気難しくて面倒くさい奴だ。さっき少し見てたが、北村には気を許してるらしい。良ければこれからも仲良くしてやってくれると嬉しい。」
泉の繊細な気遣いとはまた違った、裏表の全くない直球でぶつけられる言葉に、思わず固まってしまう。勝手な敵意を抱いてしまったことが申し訳なく思えるほど、柴田はまっすぐで誠実だった。
「い、いや、どっちかと言うとこっちが世話になってるって言うか。な、なあ?」
「い、いや、その…。」
泉もすっかりポンコツになってしまっている。たぶんこんなことは最初で最後だろうなと思いながら、再び助け舟を出すことにする。
「そろそろ行かないと、本当に売り切れますよ。」
そう言いながら売り場の方に視線を向ける。実際、パンの残りは随分少なくなっている。
「そうね、急ぎましょう、龍二くん。」
「ああ。また部活でな。」
俺の意図を察してくれたのか、立川さんが柴田の袖を引き、売り場の方に向かっていく。
「ほら、俺たちも行こうぜ。」
俺の言葉に泉は小さく頷いて、無言のまま購買を出る。その横顔は、照れてるようにも拗ねてるようにも見える。また一つ新しい顔を見れたなと思いながら、ふと思いついた疑問を口にする。
「やっぱり、まだ好きなのか?」
「えっ⁉︎」
文字通り言葉を失った様子の泉に、そんなに意外な質問だっただろうかと思いながら続ける。
「立川さんのこと。中学から一緒だったんだろ?飯島から色々聞いたよ。あの二人が少し前から付き合ってることとか、泉が失恋したとか言ったとか。さっき様子がおかしかったし、まだ引きずってるのかなって。」
「ああ、そういうことか、全く飯島のやつ…。そうなんだよ、俺、失恋して傷心中なの。優しくしてくれよ。」
「うるせー、その顔でよく言うわ!なにが傷心中じゃ。」
なぜか安堵したような顔を見せた後、すっかりいつも通りに戻った泉の言葉を軽くあしらいながらも、少し躊躇いながら言う。
「あの二人とずっと一緒なわけだろ。なんて言うか、辛くなったりしないか?二人が仲良くしてるのを、間近で見せつけられたりしてさ。」
「ま、辛くないって言ったら嘘になるけど。でも、随分前から薄々気づいてたしな。いつまでも引きずってるより、二人の幸せを願った方が良いだろ。」
「ふーん、そんなもんか…。それにしても、恋敵の柴田とよくあんな仲良くできるよなあ。」
「リュウは本当にいい奴だからさ。幸せになって欲しいんだよ。」
その言葉にどこか引っかかるものを感じながらも、どことなく元気がなく見える泉を励ますように言う。
「泉だっていい奴だろ。」
「ありがとな。でも俺はそんなに…。まあいいや。気を遣ってくれてありがとな、俺は大丈夫だから。」
ならいいけど、と答えて教室のドアをくぐる。クラスの友人の前でいつも通りに振る舞う泉の横顔に、どことなく影を感じるのは、俺の気のせいだろうか。
久々によそのクラスに足を運んだのは、その週の木曜日だった。以前同じクラスだった友人が教科書を忘れたというから貸しに行ったのだ。
「ほれ、教科書と参考書。俺も午後授業なんだから、ちゃんと返せよ。」
「サンキュー、助かる。昼休みに返しに行けばいいか?」
「そうだな、今日は弁当持ってきてるし。」
少し考えてからそう答えると、りょーかい、と頷いてからその友人がにやにやした顔で言う。
「そういえば、罰ゲームで泉と付き合ってるんだって?彼氏に挨拶していかなくていいのか。」
またか、とげんなりしながら友人の視線の先を見ると、泉が柴田と楽しげに話している。そういえばここは二組、柴田のクラスだった。
少し離れているので、会話の内容は分からない。けれど泉の表情は本当に明るく輝いていて、それは楽しいという以上の、そう、嬉しくて仕方ないという風に見える。それはとても恋敵に向けるものには見えなくて、むしろ…
「なあ、泉は前から来てるのか?」
「ああ。見ない日の方が珍しいかもな。」
「最近回数が減ったりしてないか。」
「いや、変わらないと思うけどなあ。何でだ?」
何でもない、と答えながら、頭の中はふと思いついた一つの疑念でいっぱいだ。泉が好きなのは、本当は立川さんではなくて柴田なのではないか。馬鹿げた妄想だと何度否定しようとしても、クラスでも俺の前でも決して見せないような泉の心底嬉しそうな顔を見ていると、疑念が確信に変わりそうになる。
「どうしたよ、泉の顔をじっと見つめて。もしかして、あの二人の関係にジェラシー感じちゃったか?」
ケラケラと笑いながら冗談交じりに言う友人に、そんなんじゃねーよと答えながら、その言葉が実は真実の一端を含んでいるかもしれないことに、なぜか悲しみに似た気持ちを感じてしまう。
「…そろそろ行くよ。またな。」
「おお、ありがとな。昼休みに返しに行くから。」
友人の言葉に頷きながら廊下に向かう。数メートル脇を通り抜ける俺のことを、泉は気付きもしない。廊下に出て、急ぎ足で教室に向かいながら先ほどの光景を思い起こすと、なぜか目頭が熱くなった。
そうやって魔がさしたからと言って、すぐに何か行動に移すほど俺はアクティブでも無鉄砲でもなかった。泉のことは疑念を抱きつつも、他に考えることは幾らでもあり、惰性と義務の間で日常は流れていく。学校に行って、授業を聞いて、友達と話して、飯食って、ゲームして。たまに泉と帰ることもあったけれど、稀なイベントと言って良かった。それでもその僅かな時間が印象的なものとなり、仲が深まったように感じたのは、泉に対して複雑な感情を抱いていたからかもしれない。
「よう、また来たんだな。」
飯島の言葉に適当に頷きながらコートを見やる。半月ぶり2回目の練習試合は少々新鮮味に欠けたが、新しい注目点もあった。視線の先では、相変わらず泉と柴田が完璧な連携プレーでシュートを決めている。
「相変わらず息ぴったりだな。」
「三角関係に決着がついてもプレーに響かないのはさすがだよな。」
素直に感心してみせる飯島に、まだ気付かれてないんだなという安堵と、そうじゃないと言いたくなる気持ちの両方を抱いてしまう。きっと、コート上だから気持ちを抑えているのではなく、コート上でだけは誰にも邪魔されずに繋がれるのだ。泉の生き生きした表情を見るたびにその想像は確信に近づき、胸が締め付けられるような気持ちになる。
「…勝てるといいな。」
「今日の相手は楽勝だろ。」
ポツリと呟いた言葉に、飯島は無邪気に答えた。
練習試合を見終わって帰ろうとしたところで、立川さんと体育館裏でばったり出会う。
「お、お疲れ様です、立川さん。」
「お疲れ様、北村くん。また応援に来てくれたのね。ありがとう、翔くんも喜ぶわ。」
「だといいんですが。殆ど見てるだけですし。」
気恥ずかしくて大声で応援できない申し訳さなも込めてそう言うと、立川さんはにっこり笑って言う。
「わざわざ来てくれることが一番大事なのよ。翔くんも友達が来てくれて喜んでるわ。」
「俺以外にも何人も来てますけどね…。」
ついネガティブ思考を発動してそう呟くと、立川さんは今度はいたずらっぽい笑みを浮かべて言う。
「あら、恋人はあなただけじゃない。」
「勘弁して下さい。」
思わず肩をすくめてそう言うと、立川さんが楽しげに笑う。思えば二人でまともに話すのは初めての機会だった。少し迷ってから、思い切って尋ねる。
「俺が恋人ってのは冗談ですけど、立川さんは泉の本当の恋人になる可能性もあったんじゃないですか。立川さんと泉と柴田で三角関係とか言う話も聞いたんですけど。失礼な質問かもしれないですけど、どうして泉じゃなくて柴田を選んだんですか。」
「随分直球な質問をするのね。」
すみません、と思わず謝ると、立川さんは気を悪くした風もなく、さばさばとした口調で話し始める。
「どうしても何も、私は翔くんから一度もアプローチを受けたことがないもの。私は龍二くんを選んだけれど、翔くんを選ばなかったわけじゃないのよ。」
肩をすくめてそう言った立川さんに、俺はやっぱりかと思いながらも、精一杯不思議そうなふりをして言う。
「じゃあ、泉の片思いだったってことかな。失恋して傷心中って言ってましたけど。」
「失恋して傷心中なのは事実かもね。相手は私じゃないと思うけれど。」
「どういう意味ですか?…他に好きな女子がいるってことですか。」
どきりとしてとぼけたフリをしてから、慌ててわざわざ他の好きな女子、などと付け加える。でもきっと無駄だろう、俺よりずっと長く側にいて気付かないわけがない。果たして、立川さんは試すような口調で言う。
「本当は分かってるんじゃない、北村くんも。」
「…意味が分かりません。」
「嘘が下手ね。」
立川さんは困った子供をあやすような口調で短く言う。バレてるなと思いながらも全てを明かすわけにもいかず黙り込んでいると、立川さんの方から問われる。
「ねえ、翔くんと付き合うことになった罰ゲームって、翔くんの方から言ってきたのよね?」
「えっ?ああ、はい、友達と罰ゲームをやって負けたらしいです。それが何か?」
「そう、罰ゲームで負けてね…」
俺の答えに立川さんは少し遠い目をして呟いてから、困ったような表情でこちらを眺める。
「翔くんが北村くんを気に入ったの、少し分かる気がするわ。北村くんはどこか龍二くんと雰囲気が似てるから。」
今度こそびっくりして、思わず食ってかかる。
「そ、それはありえないです!俺はバスケも出来ないし、あんなにカッコ良くないし、本当にどこにでもいるつまらない奴なんですよ。泉だって、俺にはありきたりな顔しか見せません。柴田と一緒にいる時みたいな、あんな…」
キラキラした顔は見せない、と言いかけて、さすがに踏みとどまる。けれど立川さんには、全てお見通しだったようだ。
「なんだ、やっぱり気付いてるんじゃない。翔くんにとって、龍二くんがただの友達以上に特別な存在だって。」
そう言われると、もう何も言い返せない。押し黙っていると、立川さんが少し不思議そうな声で言う。
「それにしても意外だったわ。殆ど面識もない相手に、あの意気地なしの翔くんが告白するなんて。」
「意気地なし、ですか?」
「だってそうでしょう、はじめて会ってから四年以上有ったのに、ずっと踏み出せもせず、諦め切れもせずにいたのよ。意気地なしと言われても仕方ないでしょう。」
論評するような冷たい声で言い放った立川さんに押し込められそうになるが、それではどうしても気が済まなくて、必死に言葉を振り絞る。
「それは…違うと思います。もし俺の想像が正しいとしたら、泉の抱えてる悩みや苦しみは、普通の人間にはやっぱり分からないものなんじゃないでしょうか。何でも勇気を出して話せばハッピーエンドなんて、お話の中の世界です。そうじゃない可能性を考えることが意気地なしだとは、俺は言いたくないです。」
何とか言い切って恐る恐る顔を上げると、立川さんは思いのほか優しげな表情を浮かべている。
「北村くんは思いやりのある人ね。…翔くんはやっぱり意気地のない人だと思うけれど、案外、人を見る目はあったのかしらね。」
「そういう問題でもないと思いますが。そもそも罰ゲームで偶然選ばれただけですし。」
俺の言葉に、立川さんは困ったような、迷っているような複雑な顔をしてから、少し弱々しい笑みを浮かべて言う。
「北村くん、あなたにこんなことを頼むのは本当は無責任なのだけれど、翔くんのこと、よろしくね。」
唐突な言葉に面食らっていると、立川さんは「そろそろ行かないと」と言って、踵を返してさっさと走り去ってしまった。
「おつかれー。今日は冷えるなー。」
下駄箱の近くで待ち合わせてから外に出ると、冷たい空気が吹き付ける。11月も半ばを過ぎ、昨日までは暖かかった気温も今日は低く、吹き付ける北風は厳しい。マフラーをぎゅっと巻きながら、首をすくめる。
「そういえば、この前の練習試合も見に来てくれてたよな。ありがとな。」
「あ、ああ。勝ててよかったな。大活躍だったじゃん。」
試合後の立川さんとのやりとりを思い出して、思わずどきりとしながら答える。
「2度も来てもらって負け続けだと申し訳ないからな。勝てて良かったよ。」
正直言うと勝敗には殆ど興味がなかったが、そう答える泉がリラックスした笑みを見せたことには嬉しくなる。
「俺が勝手に行ってるんだから、そんなこと気にしなくていいって。結構楽しんで見てるし。」
「なら良かった。これで北村がバスケ好きになってくれたら嬉しいよ。」
「いやー、それはどうだろ。」
「ははっ、正直だな。」
思わず零した本音に、泉も屈託無く笑う。適度にだらけた雰囲気は居心地が良かった。
「あー、でも、そろそろ期末じゃん。めんどくせー。」
半月あまり後に迫った二学期の期末試験を思いながらそう嘆くと、泉はそうだなー、と気だるげに答える。
「泉は苦手な科目とかあるのか?」
「んー、古文かな。全然興味ないから、やる気が起きないっていうか。」
「あー、なるほど。俺は結構好きだけどな。」
「まじか。北村は何が苦手?」
「英語。文法とかまじで苦手。泉は得意だったっけ。」
割と、と言いながら頷く泉を見て、軽い気持ちで言う。
「試験が近くなったら、勉強会でもやるかー。」
「そうだな、いいかも。」
そう答えた泉の声は、心なしか弾んでいるように感じる。
「今日はスタパでいいか?新商品を試してみたくて。」
「おっけー。ピスタチオのやつだっけ。俺もちょっと気になるかも。」
「ピスタチオとかハロウィンとか、俺達が小さい頃は聞いたこともなかったけどなー。」
「そんなこと言ったらスマホもそうじゃん。」
可笑しそうに笑う泉につられて笑いながら、緑色の看板が目印の店に入る。いつも入る店より客の年齢層が高めなので、少しだけ声を潜めながら話をする。
「そういや、GNOはどうよ。少しは進んだか?」
「三章の中ボスで行き詰まっちゃって。」
「貸してみろよ。どれどれ…うわっ、レベル低っ。アイテム回収も全然してないな。」
思わず顔をしかめて言うと、泉は申し訳なさそうな顔をする。
「段々面倒になって、つい。」
「別にいいんだけどさ。あれとあれ回収して強化すればギリ行けるか…。」
「悪いけど、頼めるか。」
「まあ、やるだけやってみる。」
一応請け負って、経験値稼ぎのための流れ作業をしながらとりとめのない会話をしていると、俺達と同じ制服のグループが入ってくるのが見える。そのグループは俺達の姿を見つけると、まっすぐに向かって来た。
「泉と北村じゃん。なんだ、まだ付き合ってるのか。もう本当に付き合っちまえよ。」
冷やかすような口調でそう言ったのは、泉の友人グループの中でもノリの軽い男子だった。面倒な奴に見つかったなと思うが、今回は泉がきちんと機能してくれた。
「ふっつーに帰ってるだけだって。今もGNOを進めてもらってるだけだし。」
相手の口調に合わせてか、泉のテンションもかなり高めだ。こうやって相手に合わせて瞬時にギアチェンジできるところは、すごいとも思うし、疲れそうだなとも思ってしまう。
「まあ、さっさと新しい彼女でも作って、失恋なんて忘れちまえよ。そうだ、三組の佐竹さんなんてどうだ?お前のファンらしいじゃん。」
「しばらくそういうのはいいよ。部活も忙しいし。」
「そんなこと言って、本当はまだ立川さんに未練があるんだろ。」
「言うなよー、忘れようとしてんだからさ。」
困ったような、照れてるような笑顔でそう言った泉の様子は、本当にそれらしく見える。
「それに佐竹さん、立川と似てるし、思い出しちゃうじゃん。」
「お前引きずりすぎ、引くわー!」
ハイテンションにまくし立てる男子に合わせて、泉も話続ける。その会話は全て立川さん相手に失恋したと言う設定を遵守したもので、泉の演技は完璧と言って良かったけれど、そのことが余計に痛々しさのようなものを感じさせてしまう。少し迷ってから、タイミングを見計らって言う。
「なぁ泉、そろそろ…」
俺がそれとなく促すと、泉は一瞬安堵したような表情を見せてから頷く。
「悪い、俺たちそろそろ行くわ。また明日な。」
そつなく席を立つ泉の後をついて店を出る。外は薄暗くなっていて、吹き付ける風もさっきよりずっと冷たく感じられる。預かったままのスマホを返しながら言う。
「ほい。中ボスまで倒しといた。」
「おー、サンキュ。さっきは悪かったな、騒がしくて。」
「別にいいけど。泉も嫌だったんじゃねえの、あの話題。」
「バレてたか。立川のこと、なかなか吹っ切れなくてさ。それでリュウとも顔合わせづらくなっちゃって。だから北村と帰れて助かるよ。」
相変わらず立川さん相手に失恋したという話を続ける泉の姿に、俺が何を言ったらいいか迷っていると、その沈黙を勘違いしたらしい泉が慌てて言う。
「いや、リュウのことがなくても、北村といるのは楽しいよ。別にそれが理由ってわけじゃないからな。」
「そんなこと気にしてないって。俺も泉といるの割と楽しいし。」
「なら良かった。でも、俺が言うのも何だけど、迷惑かけてないか?好きな相手とかいるなら…」
「いないって。第一、俺モテないし。そんな心配しなくても大丈夫だから。」
「えー、でも、気になるやつの一人くらいいるだろ。気になるなー。うちのクラスなら誰がタイプ?朝倉さん、木村さん、それとも三田さん?」
泉はそう言ってクラスで人気のある女子の名前を挙げる。いかにも男子高校生らしい会話。泉はこの言葉を、どんな気持ちで口にしているのだろうか。
「…泉はどうなんだよ、その三人なら。」
「えー、俺は朝倉さんかな。」
泉がこともなげに、清楚かつ可憐さもあるクラス一の美少女の名前を挙げる。無難でよく出来た答えだ。
「北村はどうだ?もちろん他の女子でもいいけど。」
隙のない笑みを貼り付けたまま聞いてくる泉の顔を見て、俺は衝動的な思いに突き動かされる。
「なあ、ちょっといいか。」
そう言って、駅までの道を外れて歩き出す。泉は一瞬驚いた顔をしたが、すぐについてくる。
「なんだよ、恋愛相談か?付き合うぞ。」
軽口を叩く泉を適当にいなしながら、表通りを外れて進む。元々それほど大きな駅ではないので、少し離れれば人通りはほとんど無くなる。線路下に作られた連絡通路に入ると、暗がりの中で二人きりになる。
「こんなとこまで来て、どうしたんだよ。そんなに言いにくいことなのか。」
少し茶化すような口調の泉を見て躊躇う。俺は泉と、気楽な友人でいたかった。たまに一緒に帰って、ゲームして、喋って。そのくらいの関係でいい。泉のことは嫌いじゃないし、友達だと思う。でも、それで十分だ。俺は誰かの人生の重荷を背負えるような聖人君子じゃないし、まして泉のようなタイプのやつに深く関わろうなんて考えたこともない。
「気になる子がいるなら、紹介くらいならするよ。北村はいい奴だから、大丈夫だって。誰だよ、クラスの子か?」
「俺のことはいーよ。泉こそ、本当は他に好きな奴がいるんじゃないか?」
暗がりでよくは見えないが、泉は一瞬ドキッとしたような顔を見せる。たがそれは本当に一瞬で、すぐに笑顔に戻って言う。
「どうしたんだよ、急に。さっきも言ったろ、いないって。」
俺が押し黙っていると、泉は仕方ないな、とばかりに言う。
「確かに少しは気になってる子はいるよ。誰だと思う?さっきの三人の中の一人なんだけど…」
「俺が、気付いてないと思ってるのかよ、柴田のこと!」
軽く誤魔化そうとする泉を前にして、俺は思わず叫んでいた。それを聞いた泉は、今度ははっきりと動揺を顔に出し、俺の視線を避けるようにそっぽを向く。
「なに言ってんだよ、そんなわけないだろ。」
絞り出すような声には、さっきまでの余裕は感じられない。一気に張り詰めた空気になり、気まずさから言葉に迷っていると、少し落ち着いたらしい泉が言う。
「リュウとは長い付き合いだし、部活でもずっと一緒だから変な誤解したのかもしれないけどさ。ほんと、そういうんじゃないから。でも意外だな、北村がその手の誤解するなんて。」
冗談めかして誤魔化そうとする泉の姿に、思わずぽつりと呟く。
「ずっと、そうやって誤魔化し続けるつもりかよ。」
「…だから違うって、しつこいな。」
僅かな間の後にそう言った泉の声は、俺が初めて聞く苛立ち混じりのものだった。普段穏和な雰囲気の泉が見せる怒気に気圧されそうになる。今更ながら、向き合うと彼我の体格差は圧倒的だ。それにひ弱な帰宅部の俺と違って、バスケ部レギュラーの泉は鍛え抜かれた体の持ち主なのだ。
「もう気が済んだろ。こんなとこで下らないこと言ってないで、さっさと帰ろうぜ。」
それでも、ハナから取り合う気がないという感じの言い草に、俺の方も少しムカついてくる。
「なんだよ、俺と付き合ったのだって、本当はそれが原因のくせに。」
俺の言葉に一瞬狼狽えた表情を見せる泉を見て、調子に乗って続ける。
「俺が柴田に似てるから、付き合ったんじゃねーの?」
「北村がリュウに似てるわけないだろ、バカ言うな!」
間髪置かずに、泉の強烈な反駁が帰ってくる。だがこちらも熱くなっていて、思わず怒鳴り返す。
「そのバカと付き合いたいって告白したのは誰だよ!」
「罰ゲームだよ、知ってるだろ!そうじゃなきゃ…」
「そうじゃなきゃ、何だよ。」
売り言葉に買い言葉で勢い込んで、泉の言葉をなぞる。お互い言葉につまり、引くに引けなくなった状態で、先に口を開いたのは泉だった。
「やめようぜ。こんなことで睨み合うの。」
少しクールダウンしていたこともあり、俺も黙って頷く。どちらから切り出すともなく、顔を背けたまま駅に向かう。さっきまでとは一転してよそよそしく冷たい空気が流れて、お互い一言も発しない。
駅に着いて、電車に乗ってからも、沈黙は続いた。残り数駅となったところで、泉が沈黙を破って言う。
「そろそろやめにしないか。こういう関係。」
そう言った声は迷いを含んでいて、後から考えれば引き止めて欲しかったのかもしれない。けれど俺は泉の頑なな態度に少し苛立っていたし、この関係のそもそものきっかけも泉の罰ゲームに付き合わされてだったので、つい突き放すような物言いをしてしまう。
「もともとそっちから頼んできたんだし、泉がやめたいって言うならそうするよ。」
俺の返事に、泉は一瞬酷く傷ついたような顔をしてから、そうだよな、と呟く。思わず後悔するが、何とか取り繕うかと考える間もなく泉が言う。
「色々悪かったな。付き合ってもらって感謝してる。」
「うん、その、俺もわりかし楽しかったよ。」
急展開でいまいち事態が飲み込みないまま、どことなくぼんやりした声で答える。
「そっか、なら良かった。まあ、これが終わってもクラスメイトではあるんだし、これからもよろしくな。」
すっかり他人行儀になった泉の言葉に無言で頷きながらも、内心は後悔でいっぱいだった。どうして無神経に泉の機微に触れることを言ってしまったのか。けれど今さらごめんとも考え直せとも言えなくて、言いたい言葉が喉につかえたまま時間だけが過ぎていく。あっという間に、泉が降りる駅に着いてしまった。
「じゃあな北村。これまで本当にありがとな。」
そう言って席を立った泉に、何とか少しでも次に繋がりそうな言葉を言おうと焦る。
「またな、泉。」
結局、俺の口から出たのはありふれた言葉で。ドアの向こうに歩み去る泉の背中を見送りながら、思わず肩を落とした。
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