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第3話

翌日からは、もうすっかり元どおり。泉はただのクラスメイトに戻り、連絡が来ることも無くなった。元々教室ではそれほど一緒にいたわけでもないから、日々の変化は僅かなものだ。お互い馴染みの友人と共に過ごす日々に戻っていく。最初の数日は微かな違和感もあったけれど、週をまたいだ頃にはそれも殆ど無くなっていた。 もちろん、本音を言えば後悔はある。せっかく親しくなった友人を失うのは寂しい。なぜあんなに深入りしたのかとか、もし深入りするならせめて立川さんから聞いた話を持ち出して説得力を持たせれば良かったとか。でもそれも全ては後の祭りで、いまさら思いついてもどうにもならない。 教室での過ごし方は俺も泉も傍目には気付かない程度の変化しかなかったと思うが、それでも狭い教室の中で噂というのはどこからともなく伝わるものだ。一週間ほど経ったある日、友人の一人から遠慮がちに尋ねられる。 「そういや北村、泉とのアレ、終わったんだって?」 「ああ、そうそう。捨てられちまったよ。」 そう言って笑うと、友人も釣られて笑いながら言う。 「まあ、本当に好きな相手でも出来たのかもな。」 その言葉に肩をすくめながらも、もしそうだったら良いのにな、と今では単なるクラスメイトに戻った泉の方をちらっと見ながら思った。 その泉の方も、数日後にはそのことを話題にされていた。この前スタパで絡んできた騒がしい友人に言い立てられて、タイプの女子の名前を何人か挙げている。面倒ごとを避けるためだろうか、いずれも違うクラスの女子だ。みんな人気のある女子だったが、単に知ってる名前を並べただけのようで、ちっとも真剣味がない。友人からも疑われているようだったが、泉はまた適当に誤魔化していた。 泉がどういう気持ちで「タイプの女子」の名前を挙げたのかは分からない。けれど一つ間違いないのは、泉がもし本当にその気なら、男子の憧れの的である彼女達を落とせる可能性はかなり高いということ。それなのに、泉の気持ちはそこには無いのだ。叶うことも、想いを明かすことさえ憚られる相手に向かっている。どれだけ辛いことだろう。神様は、なんでこんな残酷なことをするのか。柄にもなく、そんな思いが胸をよぎった。 そうこうするうちに半月ほどが経ち、学生にとって最も面倒で気の重いイベント、期末試験が迫ってくる。バスケ部で泉がスランプらしい、という話を聞いたのは、試験に向けて本格的に追い込みに入らないといけない時期だった。と言っても、直接聞いたわけではなく、女子の立ち話が偶然耳に入っただけだが。 その日の放課後、体育館に足が向いたのは、噂の真偽を確かめたかったのもあるが、おこがましいことだけど、泉のことが少し心配だったのも事実だった。 コート上の泉の姿は噂通り精彩を欠いていて、得意のドリブルでもミスが目立った。けれどそれ以上に見ていられなかったのは、柴田との連携プレイでも失敗してしまったこと、そして、柴田に励まされた時の泉のしんどそうな顔だった。きっと泉にとって柴田は、単なる友情や慕情の対象というだけでなく、仲間であり、ライバルでもあり、認めてもらいたい相手でもあるのだろう。気にするなと言われる度に一層辛そうな顔をする泉を見て、そんなことを思う。 泉がどうしてスランプに陥ってしまったのかは分からない。俺は自分と別れたことがきっかけだなんて自惚れるつもりはない。もしかしたら、きっかけの一つぐらいにはなったかもしれないけれど。そうだとしても、結局は泉自身が乗り越えるべき問題のはずだ。少なくとも、単なるクラスメイトに戻った俺がどうこうすべき問題じゃない。そう判断して、少し躊躇いながらも体育館を後にした。 どこからともなく流れてきた過去問とか、優等生のノートとか、当たるかどうか分からないヤマカンとかとにらめっこしながら、期末試験までの日々はあっという間に過ぎていく。事前に立てた一見完璧な試験対策が、うっかりサボって時間を浪費したり、試験前に限って他のことがやりたくなったりして案の定つまずき、半ばヤケになりながらも、何とか赤点だけは免れるだろうという目算も立てながら、試験期間に突入する。 ちょっとしたハプニングが起こったのは、試験の二日目だった。試験が終わって答案を回収していた教師が、答案の一つに目を留めて言う。 「おい、名前の書き忘れが有るぞ。青木、飯島…泉か。」 「えっ、あっ、すみません!!」 「しょうがないな。名前だけ書きなさい。今回だけだぞ。」 「本当にすみません。」 恐縮しながら立ち上がった泉は、慌てて教卓に駆け寄っていく。いつもスマートな泉のこんな凡ミスは意外で、教室がちょっとざわつき、教師も意外そうな顔をしている。俺は正直、見ていられなかった。 柴田の姿を偶然見かけたのは、その日のテスト後だった。教室で友人とテストの出来について話し合った後、帰り際に渡り廊下のそばの木陰に佇んでいるのを見たのだ。なんだろうと思っていると、立川さんが駆け寄っていく。なるほど、試験期間中は部活もないし、二人でこうして逢瀬を重ねているわけだ、と納得する。 翌日も同じ場所で柴田の姿を見かける。その日は返し忘れた本があって図書室に行く途中で見かけたのだが、本を返して息抜きに20分ほど雑誌をめくってから帰る時にも、まだ柴田は木陰で佇んでいた。一瞬考えてから、すぐに理由が分かる。うちの学校は授業ごとのクラス編成になっていて、試験の時間割もクラスごとに違う。今日は柴田のクラスは立川さんのクラスより一コマ早く終わるのだ。 いくら今日は暖かいとはいえ、律儀なことだと思ってから、あることに気付く。たぶん、いまこの学校で、このことを知っているのは俺だけだ。何とは無しに、試験の時間割をチェックする。試験の最終日、また柴田は立川さんを待つことになるはずだった。 「…今夜はふたご座流星群がピークということで、お天気模様が気になりますね。」 「はい、関東地方は昼過ぎまで曇り模様ですが、夕方にかけて晴れとなる見込みです。ただ、気温は5度前後と、この冬一番の冷え込みとなりそうです。」 「流れ星をご覧になられる際は、しっかりと暖かい服装でお過ごし下さい。お天気情報でした。」 朝のニュースのお天気コーナーでそんなやりとりが流れている。今日は期末試験の最終日だった。アナウンサーの声をBGMに朝食を食べ終えて、急ぎ足で学校に向かう。 通学電車は本来なら最後の詰め込みをすべき場所だが、今日はメッセージアプリを開いて悩みながら文面を練る。 「おはよう。今日のテストの後、ちょっとだけ会えないか。」 悩んだ末のシンプルな一文を泉に送る。すぐに「分かった」という短い返事が来て安堵する。時間と場所を指定するメッセージを送ると、電車はもう学校の最寄駅に着く直前だった。 目立たないようにと待ち合わせ場所に指定した屋上に続く廊下の踊り場は、予想以上に底冷えした。そういえば、朝のニュースでも今日はこの冬一番の寒さだと言っていた。かじかんだ手でスマホを弄っていると、階段を上がる足音が聞こえる。 「お待たせ。久しぶりだな。」 時間ぴったりに顔を見せた泉は、少し困ったような顔をしながら言う。 「お疲れ。突然悪いな。」 「大丈夫だよ。…この前は、悪かったな。」 「いや、俺の方こそ。」 言うべきことは頭の中で用意してあったが、いざ久々に泉の顔を見ると、気まずさやら恥ずかしさやらでなかなか思い通りに話せない。互いの出方を伺うような気まずい沈黙が流れた後、泉が切り出した。 「今日はどうしたんだよ。何か理由があるんだろ?」 そう言って促されて、俺は窓際に歩み寄って手招きする。今日はこの寒さなので、柴田がいつもの場所にいなかったらどうしようと恐れていたが、それは杞憂だった。 「見えるか、あの渡り廊下のそばの木陰。柴田が立ってるだろ。」 「リュウ…!!」 少し切なげな声で、泉は柴田の名を呼ぶ。 「あそこで毎日、立川さんを待ってるんだよ。で、今日はテストの時間割の関係で、あと一時間近くあそこにいる。」 「寒い中、大変だな。…これも愛の力ってやつかな?」 冗談めかした口調でそう言うが、泉自身も上手く笑えていない。柴田が立川さんと付き合ってるという事実を、こういう何気ない日常の中で見せつけられるのはしんどいのかもしれないな、と思いながら言う。 「分かってるだろ。試験は今日まで。さりげなく思いを伝えられる絶好のチャンスだ。」 「だから、俺は柴田にそんなこと…」 「立川さんに聞いたんだ!泉が立川さんにフラれたってのが嘘なのも、本当に好きなのは柴田なんだろうってことも。それでも、まだ言い訳するつもりかよ。」 泉の言葉を遮って、一気にまくし立てる。たぶんこうしないと、話が一向に進まないと思ったからだ。果たして、俺の言葉を聞き終えた泉は階段にへたり込み、俯きながら呟く。 「立川も知ってたのかよ…」 「当たり前だろ、何年一緒にやってんだよ。泉のこと、意気地なしって言ってたぞ。」 隣に腰掛けながらそう言うと、泉はやさぐれたような声で呟く。 「何も言い返せないな。もしかして、北村がリュウと似てるって話も…」 「そうそう、立川さんに聞いた。」 「なるほどな。それなのにあんな大声出して…ほんとごめん。」 張り詰めた糸が切れたかのように、泉はすっかり意気消沈している。俺と柴田が本当に似ているのか、もしそう感じたならなぜなのかも気になるが、今はそれどころではない。既に今日最後のテストは始まっている。終わるまでに泉を柴田のところに向かわせ、想いを伝えさせなければならないのだ。 「それは別にいいから。それより、いい加減観念して柴田のとこに行けよ。」 そう言っても俯いたまま微動だにしない泉に、けしかけるように言う。 「いいのかよ、意気地なしって思われたままで。」 「…リュウに迷惑かけたくないんだよ。あいつ、優しいから、絶対困らせるだろ。」 ようやく口を開けても、泉から出てくるのは言い訳ばかりだ。内心でため息をつきながら言う。 「そんなこと言って、自分が傷つきたくないだけだろ。」 「悪いかよ。どうせ叶わないんだから、せめて友達として気兼ねなく隣にいたいだろ。リュウに彼女が出来たタイミングでこんなこと言って、確実にフラれて、あげく友達でもいられなくなったら最悪だ。」 開き直って言い訳を並べ立てる泉は、妙に饒舌だ。本当はこっちが本質なのかなと思いながら、何とか説得を試みる。 「気持ちは分かるけどさ。でも、じゃあ、いつならいいタイミングなんだよ。それとも、一生胸に秘めとくのか。そんなしんどそうな顔して。」 そう言うと、泉も自覚はあるのか、図星を突かれたような顔をする。それでも、口から出たのは素直とは程遠い言葉だった。 「別にいいだろ。北村には関係ないじゃん。」 「関係ないけどさ。でも、立川さんに頼まれたんだよ、泉のことよろしくって。」 「立川が…」 複雑そうな顔をする泉に、俺の頭で考えつく精一杯の言葉をぶつける。 「何だかんだ言っても、立川さんも泉のこと心配してると思うぞ。まして柴田は尚更なんじゃないか。そりゃあ、男同士だし、言いにくいってのは分かるよ。でも柴田なら、泉の想いに応えるのは難しくても、悩みには向き合ってくれるんじゃないか。だから、もう言ってスッキリしちまえよ。それで見えてくるものもあるかもしれないだろ。」 そう言って腕を引き、半ば無理やり立たせる。さすがに再び座り込みはしないが、泉はまだ躊躇っている。 「だけど、もしリュウにドン引きされたらどうすんだよ…。」 「知らねーよ、俺は柴田とほとんど話したこともないんだから。だけど、泉はよく知ってるだろ。」 「うん、だけど、それでも怖いよ。もしって思うと。」 右手で顔を覆いながら、泉は喘ぐように言う。そう言われると、かけられる言葉は僅かだ。 「それでも、言った方がいいと思う。俺にはもう、それしか言えないよ。」 「…本当は、俺だってそう思うよ。だけど…」 ようやく漏らした本音は、聞き取れないほど弱々しく滲んでいる。 「行ってこいよ。待っててやるから。」 背中を押す言葉は、自然に出た。泉はようやく顔を上げるが、まだ決心が固まりきってはいないようだ。もう時間もあまりない。 「ほら、もう時間も無いんだし、さっさと行けって。」 そう言って背中を叩くが、バスケ部で鍛え抜かれた泉の背中は俺の非力な右腕では微動だにしない。格好はつかなかったが、泉は意を決して階段を降りていった。 泉が柴田の元に向かったのを確認してから、あまりの寒さに教室に移動する。テストが終わって30分以上経つので、教室にいるのは俺一人だ。一年で最も日が短い時期らしく、16時過ぎだと言うのにもうすっかり薄暗い。 黄昏に染まる窓の外の景色は美しかったが、俺は悶々としていた。勢い込んで泉を告白に行かせたが、本当に良かったのだろうか。柴田は悪い奴ではないのだろうが、だからといって男から告白されてドン引きしない保証はない。今更ながら、泉の語った恐れが現実味を持って感じられる。もしそうなったら二人の関係は決定的に崩れてしまうし、それはどう考えても俺の責任だ…。 頭を抱えているうちにスマホが鳴り、泉から「今どこにいる?」というメッセージが届く。教室、と返信すると、少しして落ち込んだ様子の泉が入ってくる。 「ど、どうだった?」 もしや恐れが的中したのかと思いながら尋ねると、俺の隣の席に腰掛けた泉はポツリと呟く。 「…ダメだった。」 「え?」 「言えなかった…。」 そう言って、机に突っ伏してしまう。俺の方は半ば脱力しながら、けれど、心のどこかで少しホッとしていた。 二人きりの教室で、お互いしばらく殆ど黙りこくっていた。それでも何とか聞き出したところでは、いざ柴田の顔を見たら有り体な話しか出来なくなり、そうこうしているうちに立川さんが来てしまったのだという。 「結局、一歩も前進なしか。」 俺の言葉に、泉は「ごめん」と呟く。けれど俺も本当は偉そうなことは言えないのだ、最悪の事態を想像して、この結果に少し安堵しているのだから。 気がつくと時計の針は17時を回っていて、外は真っ暗になっている。 「帰ろうぜ。」 泉は無言で頷き、のろのろと立ち上がる。普段の喧騒が嘘のように静まり返る廊下を二人きりで渡り、下駄箱で靴を履き替えて外に出る。冷気は想像以上に厳しくて、思わず首をすくめる。 「今日は本当に寒いな。」 「そうだな。」 おざなりに答える泉の声は弱々しくて、さすがに心配になる。 「今夜は流れ星がピークなんだってさ。少し歩いていかないか。」 泉が無言で頷いたので、駅とは反対側の方角へ足を向ける。学校は丘の中腹にあって、坂を登ると小さな公園があった。この寒さのせいか、いるのは俺たち二人だけだ。手近なベンチに腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げる。しばらくして、泉がぽつりと言う。 「色々気を使ってもらったのに、ほんとごめんな。」 「いや、うん…さっきあんなこと言っといて何だけど、これで良かったのかもな。俺も正直、もし万が一って思ったら怖くなったし。」 「何だよ、さっきと全然言ってることが違うじゃん。」 思わず本音を漏らすと、泉は不満げな口調で言うが、少しだけ元気になったようにも感じる。 「そこはごめん。だけどそれくらい難しい問題なわけだろ。」 「まあ、そうだけどさ。」 納得したような、そうでもないような声で泉は答える。そういえば、とさっきから疑問に思っていたことを尋ねる。 「そういえばさあ、俺が柴田に似てるって本当なわけ?正直、自分では全然似てないと思うんだけど。」 「あー、それは…。声がさ、似てるんだよね。」 「声ぇ!?」 予想外の答えに素っ頓狂な声を上げる俺を見て、泉が申し訳なさそうに言う。 「そう。特に笑い声とか、似てる。」 「マジかよ。」 半ば呆然と呟く。自分では全く分からないが、少なくとも泉にとってはそうなのだろう。 「それで、罰ゲームで誰か選ぶかってなった時に俺を選んだわけか。」 「えっと…この際だから白状するけど、あれ、俺が仕組んだんだよ。札も自分で入れたの引いたし。」 「はあぁ!?」 今日二度目の衝撃的な事実に再び声を上げる。立て続けにもたらされた二つの新情報に一瞬頭が混乱するが、冷静に整理すると頭が痛くなってくる。 「つまり、俺の声が柴田に似てるから気になって、偽の恋人になるために罰ゲームを仕組んだってことか?」 「うん、まあ…。」 自分で言っていても頭が痛くなってくる。呆れ返っていると、泉が言い訳がましく言う。 「リュウが立川と付き合って、本当にショックだったんだよ!それでつい。」 「そんなに好きなら告白しろよ。」 思わずぼやくと、泉はじれったしそうに言う。 「それくらい好きだったから、関係を壊したくなかったんだよ。それに…」 「それに?」 「北村には言い訳って思われるかもしれないけど、リュウを困らせたくないってのも本当なんだよ。立川とは随分前からいい雰囲気になってたし、その方がリュウにとってもいいだろ。堂々と彼氏彼女になれる方がさ。」 そう言われて、改めて泉の抱えていた悩みの深さに気付かされる。泉は立川さんと同じかそれ以上に柴田への想いは深かったのだろうが、与えられるものは同じではない。柴田が立川さんと付き合えば、誰憚ることなく祝福されるカップルになれるが、男同士ではそうはいかないのだ。自分が本当に好きな相手を、自分以外の人間の方が幸せに出来ると考えるのは、どれだけ辛いことだろう。 「つまり、柴田の幸せのために身を引いたと。」 「信じてもらえないかもしれないけど、そういう気持ちもあるよ。」 そう言った泉の声音は、さっぱりしているようで寂しさもあり、満足と悔恨が入り混じっているようでもあった。 「いや、信じるよ。お前が柴田を本気で想ってるのは分かった。…でも俺に対する態度は最悪だよな。」 「うっ。」 言葉に詰まった泉に、これまでの恨みを晴らすかのように言葉をぶつける。 「柴田に失恋したショックを和らげるために、手の込んだ嘘をついて無理やり偽の恋人関係を結ばせて、俺が真実に気付いたら逆ギレして。こうしてまとめて言葉にすると、最低さが際立つな。」 「…本当にごめん。俺、どうかしてた。」 自分の行いを振り返って死にたくなったのか、泉は膝を抱えてうずくまる。少し可哀想になってきて、励ましの言葉をかける。 「でも俺は、泉のいいところも色々知ってるよ。だから、最低なところがあっても、別にいいんじゃねえのって思う。」 咄嗟に出てきた言葉だったが、だからこそ本当のことだった。コート上でのカッコいい姿も、二人で出かけた時のさりげない気遣いも、一緒に帰った時の心地よい気だるさも。俺は泉の最高なところを、幾つも知っている。だから、こうして最低なところを知っても、別にいいと思う。 「北村は優しいな。…俺は最低だ。」 励ましたつもりが余計落ち込ませたか、と思っていると、泉は絞り出すような声で続ける。 「…なのに、そばにいてくれて、ありがとう。」 その声は確かに震えていて、その言葉の後に微かな嗚咽が続く。 「なんだよ、泣いてるのか。」 からかうような口調でそう言うと、泉はまだ震える声で「泣いてる」と素直に答える。 「泉の泣き顔を見ることになるとは思わなかったな。」 「…悪かったな。」 「いやいや、なかなか愉快な気分だぜ。」 少し意地悪く言うと、ようやく泣き止んだ泉が拗ねたような口調で言う。 「意地悪だな。」 「お前に言われたくない。」 反射的にそう言ってから、フォローするように言う。 「意地悪な相手でも、泣いてる時に一人でいるよりはいいだろ。」 「…当たり前だろ。」 そう答える声はまた震えている。俯いたままの泉に、つい冷やかすように言う。 「やれやれ、あの泉くんがこんなに泣き虫だったなんて、想像もしなかったな。」 「ほっとけよ。」 相変わらず拗ねた子供のような態度を取る姿は、一周回って少し可愛らしい。しばらくそのままにしてやってから、タイミングを見て声をかける。 「ほら、いつまでも泣いてないで顔あげろよ、今夜は流れ星が綺麗だぜ。」 そう声をかけても、すぐには動こうとしない。 「なあ、流星の泉くん?」 「知ってたのかよ。」 渋々といった感じで顔を上げた泉に、得意げに言う。 「お前のいいところを知ってるって言ったろ。」 「それは忘れてくれ…。」 ぼやくように呟く泉と一緒に空を見上げると、タイミングよく流れ星が瞬いた。 「ほら、見ろよ。あっ、また光った。俺、流れ星を生で見るの、初めてかも。」 「俺もだ。本当に、綺麗だな。」 美しい天体のショーを見ながら、ただ感嘆の思いだけを込めて話す。二筋、三筋。次々と瞬く流れ星は、まるでランウェイを闊歩するスタァのように、短く美しい煌めきで夜空を彩る。しばらく経った頃、泉がぽつりと呟く。 「そういえば、流れ星に願いをすると叶うって言うよな。」 「聞いたことある。ロマンチックだな。じゃあ俺は、意気地なしの泉くんが、いつか勇気を出して告白出来ることでも祈ろうかな。」 茶化すようにそう言うと、泉は不貞腐れたようにそっぽを向く。意地悪しすぎたかな、と思いながら、泉に話を振る。 「で、お前は何を願うんだよ。」 「…北村が、また一緒に帰ってくれたり遊んでくれますように、って。」 「お前って、本当にめんどくさいな。」 思わず反射的にそう言う。本人を目の前にして、流れ星への願いという形でこんなことを言うとは。立川さんが意気地なしというのも、これでは仕方ない。それでも、不安げな表情を見せる泉を見て、仕方ないなと思いながら答える。 「友達だと思ってなかったら、こんなことやらないって。当たり前だろ。」 「…うん。うん、ありがとな、北村。」 泉の声はまた少し震えていたが、さすがに今度は泣くのはこらえたようだった。 「さっき、声が似てるって言ったけど。付き合ってから、分かったよ。リュウとはベクトルが違うけど、北村も同じくらい優しいって。」 「そりゃ、どうも…。」 まだ気持ちが昂ぶってるのか、かなり恥ずかしいセリフをサラっと口にする泉に、思わず赤面しながらしどろもどろに答える。戸惑っていると、泉が自分の気持ちを整理するように言う。 「もちろん、北村はリュウと全然違うところの方が多いけど。でも、そこも含めて、一緒にいると楽しいんだ。だから、これからも…」 「分かった、分かったから。俺は結構しつこいんだよ、知ってるだろ?大丈夫だって。」 最後の方は言葉にならない泉をあやすように言ってから、落ち着くように背中をさする。大きな子供の相手をしてるような気分だ。それでも、しばらく経つと指先で泉の震えが収まるのが分かった。 泉が落ち着くのを待ち、ひと段落つくと、寒さが身にしみてくる。この寒さの中で、少々長く過ごしすぎてしまった。風邪を引いてしまうかもしれない。まあいいだろう、期末試験も今日で終わりだ。 「そろそろ行くか。凍えちまうよ。」 「そうだな。」 泉も寒さに震えるような声で頷き、連れ立って帰路を急ぐ。 「どこか入ってあったまろうぜ。」 「うん。」 「そういえば、GNOはどうなった?」 ふと思いついて尋ねると、泉はばつの悪そうな顔で言う。 「三章のボス戦で詰まってる。…また手伝ってくれるか?」 「お安い御用だよ。」 気楽に請け負いながら、今日はどこの店に入ろうかなと、駅前の乏しい選択肢を脳裏に浮かべる。 「今日はトトールでカフェモカでも飲もうか。」 「ああ、あれ美味いよな。濃厚で。」 「な。上に載ってるクリームも好きだわ。」 他愛のない言葉を交わしながら、気が付けば学校の近くまで戻ってきていた。下り坂の向こうには、街の明かりの中で自動車のヘッドライトとテールライトが光の河となって走っている。星々の暖かく遥かな光の下から、人工のけばけばしく艶やかな光の中へ戻っていく。街灯の下ではあっと短く息を吐くと、眼前が白く染まる。 この冬一番の寒さが肌を刺す、冷たく、厳しく、美しい夜だった。

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