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第5幕

 俺は無表情で渡されたアイスの容器をゴミ箱にダンクした。 「っっざけんなよぉ!?カッスカスじゃねえかコレ。一口分も残ってねえじゃん。これっぽっち食い切れよ。冷凍保存しとくな!」 「えーだって俺うそはついてないよー。ファミリーサイズのハーゲンじゃんー」 「空っぽのな!」 「俺も知らなかったんだよ」  え?じゃあこれ、おまえ以外の家族の誰かの仕業なの?恐ろしいよね遺伝子って。 「今、買い物行ってるおかんに買って来てってメールしたから。ちょっと待ってて、いい子だから。ね、先輩」 「──俺が駄々こねてるみたいな言い方やめてくれませんかね」  ひゃひゃひゃと、瓜生が肩をすくめて笑う。 「俺、飲み物用意してくから先輩、先部屋行っててー」 「うーい」  瓜生の家に遊びに来たのは今日が初めてじゃない。言われた通り部屋に入り荷物を置く。本棚はさすが文芸部の子と褒めちぎりたくなるほど本で一杯だ。俺と好みのジャンルは被らないのが良い。持ってない本を貸し合える──俺達に興味のない本なんて無かった。  だって俺ら本の虫だからね──あれ?それさあ、紙魚(シミ)っていうんじゃない?本にくっついてる小さーい虫だよね。ミジンコ的な。きもっ、きもいよ。やめた、俺は本の虫にだけはならん。  棚を物色していく内に新刊を見つけて手に取る。パラパラとめくる。面白そうだった。  瓜生が来るまで読んで待ってっか。  家の外で何やら大きな物音がした。  オイオイオイ!今のどう聞いてもチャリ乗った上半身ランニングのジイちゃんが、すれ違いざま女子高生のスカートがめくれて鼻の下伸ばしてたら、前方不注意で電柱にぶつかった音だけど、大丈夫か?  顔を上げ、部屋を見回して驚く。すっかり日が落ちてる。  あっれ?なんで一瞬で暗くなってんの。まあ寝落ちしてたかタイムリープだけど。  電気つけろよ。瓜生ドコだ?  瓜生は同じ部屋に居た。ベッドに上半身を乗せて寝息を立てている。  自分ちで学校の机と同じ寝方しなくてもよくね?ちゃんと横になれっつーの。  俺は吹き出しながら肩を揺さぶった。 「起きろー」 「ん……あ、先輩だ……」 「おー。なあ電気のスイッチどこ。暗ぇよ」 「そう、だね。暗い……ね……」 「瓜生?寝ぼけてんの?」  瓜生はのっそりと身体を起こす。視線を落として無言になり、何故か不自然に内股で座り直した。 「や、起きてる。つかヤバイ。すごい起きちゃった」 「はあ?なに言ってんだよ」 「あのさあ、こんな暗い部屋で二人っきりになるなよ!バカですか!」 「なんで逆ギレ!?お前が電気つけねーからだろうが!」  条件反射で返したが、怒りどころが何かおかしい。 「今日もずっと、俺が側に居たってぼーっとしてるしさ……警戒心なさすぎ」 「俺はお前を警戒しなきゃなんねえの?お前はヒグマか何かか」 「は……そういうの嬉しいけど……同じくらいキツいんだよね……」  瓜生の声が苦しそうに笑った。 「なにが言いたいんだ──」 「待ってよ!──待って先輩、頼むよ」  苦しそうなまま俺の言葉を遮る。 「いま俺を追い詰めんなよ。なにするか分かんねえ──ごめん」 「いやいやいや、追い詰めてねえだろ。言いたい事あんならハッキリ言えって。俺ちゃんと聞いてやるから!」 「やめろ──って」  弱々しく言って瓜生は両手を床についた。  思い返すと今日の瓜生は所々おかしかった。  ──今日だけじゃ……ねーか。  瓜生との会話だって以前はここまで芸人みたいなノリじゃなかったんだよ。今じゃ何でもかんでも笑いに走ってるけど──そうしないといけない理由でもあるみたいに。  あるみたいに、じゃねえ。あるんだよな。俺も瓜生も、そんなんとっくに気付いてる──敢えてそうしたんだ。だって笑いにすり替えて誤魔化すしかなったもんな。  そうだよ、そうだ──俺らがこんな風になったのは告白の後からだよな。  瓜生が顔を上げた。暗くて表情は見えない。両腕が俺の方に伸びてくる。一瞬、迷って──俺はその腕から逃げなかった。確かめるようにゆっくりと、俺の身体は瓜生に抱き締められる。 「先輩──俺、やっぱ無理だ──」  瓜生が何を言いたいのか理解した。俺は考えることから逃げてたが、少し考えればすぐ分かる。  拒絶される訳でもなく、受け入れられる訳でもない。手を伸ばしても良い場所にあるのに奪ってはいけない。そんな重たい矛盾を背負わせた。  俺が──今まで通りでいたいなんて言ったばかりに。  何度だってめげない──そんなわけ、なかったんだよな。 「おれ嬉しかった。変わらずに先輩後輩で居たいって言ってくれて。それは本当なんだよ。俺自身だって変わりたくない──でもダメ。無理なんだよ。近くに居たら先輩を好きだって気持ちが膨らむばっかで──辛い」  あの時みたいに瓜生は震えている。俺の肩が冷たくなって、泣いているのが分かった。 「俺──部活辞める」 「なんで、お前がそんなことする必要あんだよ!」 「俺の我儘だよ。俺もう先輩の側に…………居たく、ない」  どんな瞬間よりも、何をされた時よりも──その言葉は痛かった。痛いなんて、もんじゃない。  そんな所を壊されたら──俺はもう、立ち直れない。  嫌だ、嫌だ──嫌だ!!  湧き出してくるのは怒りにも似た激しい感情。激流のように身体を巡る。何をすればいい、どうすれば。  瓜生をここまで苦しませて俺は──どう変われば救えんだよ! 「ふざけんなよ!」  俺は瓜生が逃げられないようにきつく抱き締める。今すこしでも離れたら二度と元には戻らない気がした。 「なに……勝手に俺から逃げようとしてんだよ……!」 「…………」  瓜生は何も答えない。  こうして抱き締めてるだけじゃだめだ。もう既に瓜生は俺から一歩離れた所に立っている。こうしてる間にだって、どんどん遠くに行こうとしてる。  ふざけんな………行くんじゃねえ待てよ。待ってくれよ、だって俺まだ何も、なんにも──! 「これが何ていう感情かなんて分かんねえよ!好きか嫌いで言ったらお前のこと好きだよ!居なくなるとか考えらんねえ。俺にはお前が必要なんだよ!それじゃ……ダメなのかよ──」  口から言葉というより塊が飛び出した。引き止めるために意味のあることを言わなくちゃいけないのに考えなんてまとまらねえ。  ──瓜生は動かず、まだ何も言わない。  気ばかり焦り、どうしょうもなくなる。  俺は、瓜生を失う……?  ──そんなのダメだ。無理に決まってる!俺が俺じゃなくなっちまうんだよ! 「俺……俺──瓜生が好きだよ大好きだよ!!だって、やだもん、やなんだよ!お前と喋れなくなるのなんか俺、絶対堪えらんねえ!ごめん、ごめんなさい!おまえを困らすって分かってんだよ!でも俺はお前が好きだ、だから一緒に居てくれよ!!」  息を止めて聞いていた瓜生の身体からフゥーっと空気が抜けていった。 「……あー先輩、俺と同じくらいバカだもんなー」 「──!?」  俺の答えは合ってたのか?  やっと反応があった瓜生の言葉も、それだけじゃよく分からない。 「俺が初めて告白した時とおーんなじコト言ってる。気付いてないんだろ」  瓜生の腕に力がこもった。ギュウギュウと抱き締めつけてくる。  瓜生は戻って来てくれた。  たぶん俺達は同じ気持ちで、隙間を埋めるように身体を寄せ合う。二人分の体温はとても温かくて安心する。 「信じられるよ、先輩がバカだから。偽りない真実だよね。そんな高等な嘘つけないもんね」 「持ち上げるフリしてちょいちょいディスだよなあ、それ」  瓜生が俺の頬を両手で包み込む。すごく嬉しそうな笑顔で額と額をぶつけてきた。  至近距離で見つめられて気恥ずかしいが目は逸らさずに、まっすぐ見つめた。 「先輩、俺に──ドキドキ、する?」 「すげえしてるよ!」 「はは。試す必要なかった」 「何を」 「キス出来るかどうか」 「で、出来るわけねえだろっ」 「──恥ずかしくて、だろ」  俺は答えてやらなかった。  顔を掴まれたまま長い間見つめ合う。あんまり長いから途中からメンチ切り合戦だと思い込む。  タイマン勝負だ、逸らした方が負けだ。  瓜生も今が戦争真っ只中だと気付いたんだろう。じりじりと俺に圧を掛け、押してくる。  おぉ゛ん゛!?と三白眼を意識して煽りをふかしてやる。 「先輩、ムード!それ今していい表情じゃねえから!」  うるせえ仕掛けてきたのはそっちだ。 「──とか先輩に言っても、どうせ通じてねーんだよな」  ニッカリ、と音が聞こえるくらい歯を見せて瓜生は笑う。 「だから俺も我慢とか止めた。したいようにするわ」 「んだよお前、俺に我慢とか水くせえ。俺は先輩様だぞ」 「その言葉、忘れんなよ」  ぐぐぐぐっと瓜生が本気を出して俺を押し始めた。 「すみません。止めて下さい。ぼく貧弱なんで」  力で勝てる訳がない。 「遅ぇよ」  更に力を込めて瓜生は俺を寄り切った。そして俺は押し出しの黒星だ。ドスンと二人で倒れ込む。 「先輩、好きだよ。でももう『却下』って言わなくていいよ」 「はあ?んなことお前が決め──ん、んんっ!?」  柔らかいものが唇に押し付けられてる。目の前には瓜生の整った顔がある。  この状態で唇に当たっているのが餅だったら逆にすげえ。  俺は瓜生にキスされている。  重ねた唇を二回三回と触れては離して、肘で体重を支えた瓜生が俺を見下ろす。 「上手くボケたらここでやめてやるよ」  できるか馬鹿野郎。こっちはファーストキスだぞ! 「──時間切れ」  さっきより体重を掛けて伸し掛かった瓜生は、さっきより強く唇を押し当ててくる。  ボケ、ボケ、ボケだよ!えーと、布団が吹っ飛んだ?──それ、ダジャレ!  瓜生の手が俺の顎を引き、因果関係が分からない俺は唇を開く。  瓜生の舌が入ってきた。当たり前だよね!  うわああ、ボケの神様ボケの神様いまこそ我に降臨されし御願(おんねが)(たてまつ)らんー! 「(せい)ちゃんただいまぁ、遅くなってごめんねー。お友達まだ居る?買ってきたよレディーボーデン」 「……ハーゲンダッツって言ったじゃん!」  ボケの神様は居た。瓜生母だった。  ふーっと息をついて瓜生が身体を起こす。ついでに俺も引っ張り起こす。 「……おれ帰るわ」  言った俺に瓜生が慌てた。ざまあみろ。 「ちょ、先輩なんで急に。怒ったの?」 「だって──始まるだろ」 「──?」 「お前んちの家族会議」 「まだ言うのー!?」  ヒヒヒッと悪魔的な笑いをして瓜生の部屋から退散する。 「おばさんお邪魔しましたー」  キッチンに居る後姿に声をかけて玄関に向かう。  靴を履いていると瓜生とその母が追ってきた。 「これ折角だから持って帰りなー」  アイスとニラを渡される。  帰り道の足取りはやけに軽かった。  気を抜くと口元がニヤニヤ緩んでくる。  理由なんて一つしかない。  ニラが俺の大好物だからだ。  本当に俺と言う奴はニラに目がない。  そう、本当に、ニラも……好きだ。  end

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