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side.淳平 1
「……よし!」
洗面所に篭ること三十分。
鏡に映った自身の姿を入念にチェックして、淳平はキリッと口許を引き締めた。
今日から新学期。
待ち望んだ日が、とうとうやってきた。
淳平には、中学の頃から密かに抱いていた夢がある。
小さい頃からアニメや漫画、ゲームが大好きだった淳平は、気付けば一人で部屋に篭っていることが多い子供だった。その為、小学校時代から「暗い」「うざい」などと、学校では苛められてばかりだった。
確かに他人とのコミュニケーションは得意ではないのだが、別に周囲に迷惑をかけたわけでもないのに、苛められることをずっと理不尽に思っていた。なのに、それを「嫌だ」とも、「やめてくれ」とも言えずにいた。
だが、そんな自分も今日までだ。
ずっと願い続けていた夢が、やっと叶う。
数年越しの夢───『高校デビュー』が……!
高校進学を機に、新しい自分になる───淳平は、ずっとそう心に決めていた。
とはいえ、趣味はなかなか変えられない。相変わらず、アニメも漫画もゲームも好きだし、好きなものを嫌いにはなりたくない。
だったらまずは見た目から。
手始めに、眼鏡をコンタクトに変えた。
眼科で初めての装着に一時間、更に外すのに一時間かかったが、初めてならきっと誰もが手こずるはずだ。今では着けるのも外すのも、それぞれ十分程度で出来るまでに成長した。
次は髪。ここは眼鏡と同じくらい一目で変化に気付きやすい、大きなポイントだ。
派手に色を抜こうと思ったが、パッチテストをした結果、皮膚が真っ赤になってヒリヒリ痛んだので、美容院で極力頭皮に優しいカラーリングをお願いした。思い描いていたものより随分おとなしい色になってしまったのは、まあ仕方がない。元が真っ黒だったのだから、茶髪になっただけでも充分な変化だろう。
ここまででも、淳平としては相当なイメージチェンジだ。でも、まだ足りない。
これだと、『暗い高校生』が『どこにでも居る高校生』になった程度だ。
暗くて陰気で弄られやすいキャラを脱却するには、周囲をもっと圧倒するインパクトが欲しい。
───そう、ピアスだ。
インドアだったお陰で、これまで大した怪我をしたこともない人生を送ってきた。そんな自分が、自ら身体に穴を開けるのだ。
針が耳朶を貫通しているところを想像するとゾッとしたが、こんなところで引き下がっては男がすたる。
ネットでアレコレ検索し、氷でキンキンに冷やした耳朶に、思いきって針を刺した。……本当に貫通したことに驚いて三回失敗したが、今はちゃんと両耳にピアスが光っているから、結果オーライ。
それ以外にも地道に筋トレを繰り返しているし、高校男子にしては小柄な身長を伸ばす為、腹を壊しながらも毎日牛乳を一リットル飲み続けている。お陰で貧弱だった身体に少しは筋肉がついた気がするし、身長も二センチくらい伸びた。
成長期なのだから、この先きっと更に成長するに違いない…と、淳平は信じている。
鏡に映っているのは、黒髪・眼鏡の冴えない淳平じゃない。
ヘアカタログで選び抜いた、ラフに遊ばせた(この言い方は美容師の受け売りだが)茶髪の隙間から覗くピアス。制服のシャツのボタンも第二ボタンまで開けて、物凄く適当にネクタイを締めた、まるで別人のような淳平が居る。
これでもう、「暗い」だの「うざい」だの、そんな理不尽なことは言わせない。
例え中身はオタクでも、明るくて取っつきやすい人気者になってやる。
「ちょっと、淳平ー? アンタ、いい加減学校行かなくていいの? もう八時よー」
「え、やっべ……!」
リビングから聞こえた母親の声に、淳平は慌てて廊下に飛び出した。
「行ってきま───…行ってくる」
咳払いして、敢えてちょっと擦れた言い方にシフトする。見た目同様、行動も口調もイメチェンには重要だ。
きょとんと目を瞬かせる母に見送られて、淳平は玄関を出た。
まだ朝だというのに、照り付けてくる陽射しが容赦ない。残暑厳しい蒸し暑さに、つい顔を顰める。
……そう。
『高校デビュー』と言いながら、今は九月。今日から始まるのは二学期。しかも淳平は、現在高校二年だ。
心と身体の準備に一年半という、思いの外長い期間を要してしまったが、例え高ニの二学期からでも、在学中なら立派な『高校デビュー』だから問題ない。……多分。
さて。生まれ変わった淳平を見て、クラスメイトたちはどんな反応をするだろう。
ざわつく教室内の空気を想像しただけで、うっかり口許が弛んでしまう。すれ違いざま、犬を連れた女性に向けられた訝しむ視線にも気付かず、淳平は浮つく足取りで学校を目指した。
───おかしい。
ざわざわと賑やかな教室内で、淳平は席に座ったまま頭を抱えた。
クラスがざわついているのは、別に淳平の激変した姿の所為じゃない。単に、休憩時間になったからだ。
今朝、登校してきた淳平は努めていつも通りに、ただし内心全力のドヤ顔で教室に入った。
淳平の予想では、その瞬間、教室中でどよめきが起こるハズだった。その空気の中を、颯爽と突っ切って着席する……予定だったのに。なのに!
淳平が席に着いても、さり気なく髪を弄ってみても、耳に嵌まったピアスに触れてみても。クラスメイトは誰一人、話しかけてくる気配がなかった。
……どういうことだよ。こんなに変わってんのにスルー? あ、どよめき通り越して絶句? もしくは俺が誰だか最早気付いてない?
確かに一学期はクラスの誰とも喋らなくて存在すら忘れられがちだったし、友達と呼べる相手は一人も居ない。
だとしても、これだけ変化があれば、誰か一人くらい声を掛けてくれてもいいんじゃないだろうか。正直、この手のイメチェンに女子はときめくものなんじゃないだろうかと、若干邪な期待もあったのに。
しかもあろうことかその女子たちは、淳平の変化に気付くところか、何だか普段以上に盛り上がっている気がする。
自分から声をかけてアピールするような真似はしたくないし、そもそも自ら女子に話しかける度胸もないので、淳平は自分の席で必死に聞き耳を立てた。
「……て、まだ一年生なんでしょ?」
「……I高って強いのに、凄いよね」
「……も、トップらしいよ」
喧騒に混ざって、会話の端々が聞こえてくる。
全ては聞き取れないが、どうやら特定の誰かの話をしているらしい。
───I高? 一年?
I高は、淳平の通うK高校と同じ区内にある近隣校だ。
一年で、強くて、トップ?
それは所謂、番長的なアレなんだろうか。そんなものがまだ存在してるのか?、と思ったが、よくよく考えるとK高でも柄の悪そうなグループは何度か見かけたことがある。その手の集団のリーダー的な存在だったりするのだろうか。
「……その上イケメンとか文句無しだよね、楠木くんて」
続く言葉を耳にして、淳平は衝撃の事実に気が付いた。
───顔だけは変えられねぇ……!
淳平の変化は、自身の中ではそれこそ劇的なビフォーアフターだ。
だが、例え眼鏡をコンタクトに変え、髪を染め、ピアスを開け、肉体改造に励んだとしても、生まれ持った顔だけはどうしようもない。
淳平の顔立ちは、どんなに過剰評価しても精々中の上。平均以下じゃないだけマシなのだろうが、容姿を褒められたことなんて一度もない。
一年半越しの準備と覚悟の末に決行したイメチェンも、所詮イケメンの前では何の意味もないということなのか。……楠木って誰なのか、全くわからねぇけど。
ショックと同時に、会ったこともない楠木とやらに対する嫉妬心が、ジリジリと湧き上がってくる。どんなヤツなのかは知らないが、他校の、しかも年下らしい相手に話題を掻っ攫われるなんて、浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。
顔面偏差値では大きく負けていたとしても、腕っ節ならまだまだ鍛えようがある。
「……冗談じゃねぇぞ。首洗って待ってろ、楠木……! ……誰か知らねぇけど」
シャーペン……はさすがに折れないので、淳平は顔も知らない相手を思い浮かべながら、静かに消しゴムをへし折った。
「来週、ウチの学校でI高のバスケ部と練習試合やるらしいよ」
「マジ? 絶対見に行こ!」
「楠木くん、インターハイで既にレギュラー入りしてたから、絶対試合見られるよね」
「バスケの強豪校で一年からレギュラー入りして、その上成績も学年トップってもうチートレベルじゃない?」
「神、色々与えすぎだよねー。……そういえば、なんかあの子もいきなり雰囲気変わったよね? 急に見た目垢抜けたっていうか」
「ああ、そうそう! 前は黒髪で眼鏡だったし、超地味だったよね? てか一回も喋ったことないから、実は名前わかんないんだわ」
「アタシも! だから今更声かけらんない」
などと教室の隅で盛り上がる女子たちのやり取りは、最早淳平の耳には微塵も届いていなかった。
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