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side.淳平 2

  ◆◆◆◆ 「……どーなってんだよ」  夕陽に染まる公園に、淳平の長い影と虚しい呟きが落ちる。  時計の針は、あと五分で六時になろうとしている。  華々しい日になるハズだった淳平の『高校デビュー』を、いとも容易く水に流してくれたI高の楠木とやら。その男の顔くらい拝んで、何なら年上の威厳を示してやろうと、淳平は始業式を終えたその足でI高に出向いた。……自身のコミュ障ぶりもすっかり忘れて。  一方的な嫉妬による勢い任せの行動に出てしまった淳平は、いざI高の正門前まで来て足が竦んだ。  着くまでは憎き楠木のことしか頭に無かったが、学校なのだから当然他の生徒たちも居る。むしろ楠木は大勢の生徒の中の、たった一人なのだ。しかもその楠木の顔を、淳平は知らない。  放課後になり、ゾロゾロと門から出てくるI高の生徒たち。日頃見慣れていない学ランに身を包んだ男子生徒たちが、淳平の目には全員イケメンのように見える。セーラー服の女子に至っては、眩しすぎてまともに見ることすら出来なかった。  別の学校というだけで、この異国感は何なのだろう。  ───いや、落ち着け。  これまでの自分なら間違いなく白い目で見られていただろうが、今は違う。少なくとも、外見ではコミュ障のオタクだなんて思われないハズだ。  いかにも声をかけ慣れている風を装って、淳平は校門から出てきたばかりの小柄な男子生徒を「なあ」と呼び止めた。彼が淳平より小さかったからだとか、眼鏡でいかにも真面目っぽかったからだとか、そんな理由では断じてない。断じて。  電柱の陰から顔を覗かせる淳平に、眼鏡の彼は怪訝そうに首を傾げながら近付いてきた。身を隠しているのも、別に人目が気になるからというわけでは断じてない。 「あのさ。この学校に、楠木って一年、居る?」 「ああ……楠木くんなら、隣のクラスですけど」  声を潜めて問い掛けると、眼鏡の彼は何故か「またその話か」とでもいうように小さく息を零した。  I高のトップだけあって、こうして押し掛けてくる連中が他にも大勢居るのだろうか。  ……そういえば、「強い」って言ってたよな。  ゴクリ、と思わず喉が鳴る。微かに指先が震えてるのは、恐らく、きっと、いや絶対、武者震いだ。  それに淳平は、何も楠木とケンカをしに来たわけじゃない。肉弾戦なんて、まだ肉体改造中の淳平は分が悪すぎる。もしも殴り合いのケンカなんてことになったら、到底敵うわけがない。  だからここは、平和的に勝負を持ちかけるべく、携帯サイズのオセロを用意してきた。  腕力には全く自信はないが、オセロなら淳平はそこそこ自信がある。昔から家族にも滅多に負けたことはないし、たまにするネット対戦でも勝率は七、八割。これなら仮に顔も力も敵わなくても、いい勝負は出来るハズだ。  タテ・ヨコ・ナナメ、どこからでもかかって来い、という思いでいたが、もしも楠木が話も聞かずに殴りかかってくるような、凶暴な相手だったらどうしようか。  多くのI高生たちの目の前で、無様にふっ飛ばされるなんてゴメンだ。それに何より、殴られて痛い思いをするなんて絶対にイヤだ。父親にも殴られたことないのに。  目の前の眼鏡少年が楠木を知っていると聞いて、淳平はカバンに入っていたノートを一枚破ると、その場で楠木宛てに手紙を書いた。『夕方五時に〇〇公園で待っている』という旨を伝える手紙。  ここに来て本人と対峙するのがちょっと怖くなったとか、大勢の生徒の注目を浴びるのは避けたいなんて気持ちは、これっぽっちも無い。これはあくまでも、年上である淳平の余裕と配慮だ。  指定した公園が淳平の自宅の近所なのも、何かあったときの為の保険じゃない。丁度良い場所がたまたま思い浮かばなかっただけ。 「これ、楠木に渡しといて……!」  その場でしたためた手紙を押し付けられた眼鏡の彼が、驚いた様子で受け取ったのを確認すると、淳平は全速力でその場から走り去った。  ───やった……!  ずっと引き篭もりで内気で陰気だった自分が、他校の女子をも虜にするイケメンに手紙を叩きつけてやった……!(直接手渡せてはいないが)  まだ対面すら果たしていないのに、既に興奮と達成感で胸が騒いでいる。  人生で初めて、個人的に手紙を送った。しかもI高トップのイケメンに。 「……楠木くん、とうとう男子からもモテ始めたんだ」  走り去る背中へ零された少年の呟きは、謎の感動に浸る淳平に届くことはなかった。  手紙を託した時点で大きな何かを成し遂げた気持ちでいた淳平だったが、結果から言うと楠木は指定した五時を過ぎても現れることはなかった。  しかもそれは、もう四日前の話だ。  あの日二時間待っても楠木は一向に姿を見せず、まあ突然の呼び出しだったから仕方がないと、淳平は翌日、I高の生徒に同じ内容の手紙を託した。  なのにまたしても男は来なかった。淳平はその日も二時間待った。  そして次の日、また別の生徒に手紙を託した。  ……ひたすら二時間、公園で暇を持て余しただけだった。  そこから今に至るわけだが、この日ももう既に楠木を待って一時間が過ぎようとしている。いい加減、読まずに食べてるのかと腹が立ってきた。  それとも何か。さすがのイケメンも、年上からの呼び出しには少しくらい怯んだりするんだろうか。  もしそんな可愛い一面があるなら、オセロの先手か後手は、楠木に選ぶ権利を与えてやってもいい。これも年長者たるものの気配りだ。  一時間遅刻されていることも忘れ、得意げに腕組みしながら一人でニヤニヤしていると、不意に背後から静かな足音が聞こえてきた。  ほんのちょっと気が弛んでいたので、ビクッと大きく肩が跳ねてしまった。  気付かれていませんようにという思いと、とうとう来たのかという思いが混ざって、緊張なのか何なのか、よくわからない動悸がする。  第一声は何と言ってやるべきか。 「待たせやがって」……いや、これだと年上らしい余裕がない。むしろ「よく来たな」くらいの落ち着きを見せた方が───。  そんなことを考えながら振り向いた先に立っていたのは、予想したイケメンではなかった。  歳は二十代後半くらいだろうか。髪が長くて綺麗な顔立ちの見知らぬ女性が、淳平を見据えて立っている。 「あの……ちょっとすみません」  おずおずと躊躇いがちに声をかけられ、無意識にピンと背筋が伸びた。  身内や教師以外の大人の女性から声をかけられたことなんて初めてだ。クラスメイトでさえ、女子とは一言も話したことがないのに。  もしかすると、これは俗に言う『逆ナン』というやつだろうか。  以前の自分ならそんなことは考えもしなかっただろうが、生まれ変わった今なら淡い期待を抱いてしまう。それなら緊張している場合じゃない。滅多にないチャンスなんだからシャキッとしろ、と必死で自分を奮い立たせる。 「な、何か、ご用です、か?」  緊張の余り、妙なところで声が途切れた。 「最近毎日、この公園にいらっしゃいますよね?」  呼び出した相手は一向に現れないというのに、目の前の美女が自分のことを毎日見てくれていたことに、バクバクと胸が鳴る。  どうしよう。こんな展開は予想していなかった。こんな棚ぼたがあるなら、もう楠木のことは知らなくてもいい、いやむしろ放置してくれてありがとうと伝えたい。 「い、居ましたけど……?」  毎日見ている内に気になったとか? それとも初めて見たときから俺を……?  慣れないやり取りに顔を火照らせる淳平を見詰める女性の顔が、次の瞬間、まるで夏の夕立の空のように、サッと翳りを帯びた。 「娘が、毎日大きなお兄ちゃんが居るからって、公園で遊ぶのを怖がってるんです」 「……え? む、娘……?」 「この辺りは小さい子も多いですし、度が過ぎると通報しますよ」  ツウホウ……その単語の意味がすぐには理解出来ず、呆然と立ち尽くす淳平に背を向けて、女性は呆気なくその場を去ってしまった。  ……え? 何これ。俺があのお姉さんに連行して貰えるんじゃなくて、お巡りさんに連行されるオチ……? 「つーか、そもそも俺は単に待ちぼうけ喰らってるだけだし!? オセロで至って平和な勝負挑もうとしてるだけだし!?」  誰も居なくなった公園に、淳平の声が寂しく響き渡る。  こんなハズじゃなかった。  淳平が夢見ていた『高校デビュー』は、人生の新しいスタートとして、キラキラと眩しい日々が続くハズだった。  これまで誘われることなんてなかったファーストフード店へ、男子たちと放課後寄り道したり。  休日一人で叩き続けていたゲーセンの音ゲーを、大人数で楽しんだり。  あわよくば、「なんか雰囲気変わったよね」なんてクラスの女子から笑いかけてもらったり。  そんな毎日が待っているハズだったのに。  なのにどうして、新学期早々、毎日ずっと公園ですっぽかしを喰らっているのか。おまけにその所為で不審者に間違われる始末。 「……一年のクセに、いい度胸じゃねぇか、楠木。そっちが来ないなら、こっちから行ってやるよ!」  未だに厨二病を拗らせているお陰で、一人になるとつい気持ちが大きくなる淳平は、公園で叫んでいる姿を近所の人に目撃され、帰宅後母から思いきり説教される羽目になった。  ……おのれ楠木。やはり許すまじ。

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