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side.楠木 2
───翌日。
「これ、さっき正門出たとこで、K高のヤツから受け取ったんだけど」
部活中の体育館へ、二通目の手紙を届けてくれたのは、同じクラスの図書委員だった。
K高、という時点で、もうそれ以上差出人について聞くまでもなかった。昨日の今日だ。きっと『果たし状』の主に違いない。
行けないと伝えることすら出来ないことが、ずっと楠木の心に引っ掛かっていたのだが、手紙の不備に気付いてくれたのだろうか。
タオルで汗を拭きながら受け取った手紙は、今度はちゃんと封筒に入っていた。
てっきり今回は封筒に『果たし状』の文字が書かれているのかと思いきや、表には『I高トップの最強クスノキ様』と書かれている。
……やっぱり持ち上げられているのか、揶揄われているのかわからない。しかも何故か『最強』にレベルアップしている。
封筒の中には、またしても千切り取られたノートの一ページが、折り畳まれて入っていた。
何となく見るのが怖いような気もするけれど、思いきって広げてみる。
『 果たし状
拝敬
夕方の五時(十七時) ××市立図書館裏にある〇〇公園のベンチ付近で待つ
勝負しろ 』
「だから違うんだって……!」
手紙を握り締めたまま、楠木は寄り掛かった体育館の扉に、思わず拳を打ちつけた。
嫌な予感はしたが、なんかもう色々違う。詳細にして欲しい箇所がとにかく違う。
どうせ書くなら『果たし状』は表で良かったでしょ。
誤字も直ってないし、正直『拝啓』は無理しなくていいから。
夕方の五時が十七時だってこともわかってるし、図書館の近くには親戚の家があるから、指定された公園の場所も知ってる。
その情報はもう充分だから、肝心の日付と連絡先を、どうして入れてくれないんだ……!
唯一改善点があるとしたら、謎の『ござる』が無くなったことくらいだ。
行けるものならとっくに行ってる。
それが出来ないから、せめて連絡くらいしたいのに、相変わらず彼は名前しか書いてくれていない。
けれど早くも二通目が届いたということは、昨日の夕方、彼はもしかしてずっと公園で待ってくれていたんだろうか。だとしたら、それは素直に申し訳なく思う。昔から、人を待たせることは好きではないから。
ただそれを、相手に謝る術すらないのだが。
───また手紙が来たってことは、今日も待ってるんだよな、多分……。
相変わらず熱意の篭った文字を繰り返し追う楠木の背に、休憩時間の終了を告げる主将の声が容赦なく飛んでくる。
手紙の意図はわからないが、さすがに二度もすっぽかす相手には、勝負する気も失せるだろう。……こんな奇抜な手紙の送り主には、一度くらい会ってみたかったけれど。
罪悪感と、少しの落胆も一緒に、楠木は封筒をハーフパンツのポケットに押し込んで、部員たちの集まるコートへ戻った。
彼からの手紙は、もうそれで途切れるだろうと、楠木は思い込んでいた───のだが。
『 これは果たし状です
見たからには
夕方五時に ××市立図書館裏の〇〇公園に来ないと
大変なことになります
それがイヤなら勝負してください 』
まさかの三通目の手紙が、翌日またしても放課後の体育館へ届けられた。
果たし状というより、不幸の手紙みたいになっている。
差出人の彼は、一体どこを目指しているんだろう。
『大変なこと』って、なにが? っていうか、誰が?
会ったこともないはずなのに、そんな子供だましの脅し文句(?)を使ってくるのが何だか微笑ましくて、つい口許が弛んでしまった。
でもやっぱり、連絡先を書き忘れている痛恨のミスには、気付いてくれていないらしい。
まだ彼が楠木を待ってくれていることが嬉しい反面、それに応えられないことが酷くもどかしい。
どうせ門の前まで来ているのなら、いっそ誰かに手紙を託したりせず、直接呼び出してくれればいいのに。そうしたら少しくらいは、部活を抜けて会うことも出来るのだが。
待たせることは嫌いなのに、明日もまた彼からの手紙が来るのだろかと、淡い期待が楠木の胸を掠めた。
『 夕方五時! ××市立図書館裏の〇〇公園で!
待ってます!!
来てください!(痛いことはしません!) 』
楠木の期待を裏切らず、次の日も届いた手紙は、最早『果たし状』ではなくなっていた。
時間と場所には、赤ペンでしっかり線まで引かれている。でも連絡先はやっぱり無し。
「しかも、『痛いことはしません』って……」
込み上げてくる笑いを堪えるあまり、手紙を持つ手が小刻みに震える。
子供を宥めるんじゃないんだから……。
この手紙を加藤に見られていたら、本当に誤解されてしまいそうだ。
もう三日も連続で無視し続けてしまっているのに、どうして彼はこんなにも楠木に執着するのだろう。とっくに失望されていてもおかしくないのに。
破ったノートに綴られた、内容も目的もよくわからない手紙。こんな手紙を書くのは、一体どんな人物なのだろうか。
これまで手紙を貰っても、それを送ってくれた相手がどんな人かなんて、気にしたことはなかった。書かれている内容も、それに対する自分の答えも、いつも決まっていたから。
だが、連日届けられるこの手紙は、今まで受け取ったどんなものとも違う。手紙の送り主のことが気になったのは初めてだった。
「集合!」と主将の声が体育館に響いて、楠木は慌てて手紙をポケットに仕舞い、他の部員と共に主将の前に集まる。
「今日は二年の進路指導があるから、各自基礎練やって、五時半に切り上げだ」
───五時半。
主将の声に、楠木はチラリと壁の時計を見遣る。
指定された時刻は五時。五時半に練習を終えて、どんなに急いで公園へ向かっても、恐らく着くのは六時ごろになる。一時間の大遅刻だ。
……それでも、待っててくれますか?
返ってくるはずのない答えを確かめるように、楠木は服の上からポケットの中の手紙をそっと押さえた。
部活を終えて大急ぎで着替えを済ませた楠木は、いつもなら丁寧に畳んで入れる練習着やタオルをカバンに押し込むようにして、部室を出た。
そのまま走って、図書館の方へと向かう。
日々の部活や筋トレでのお陰で、公園まで走っていくだけの体力は充分ある。
図書館の手前の路地を折れ、そのまま突っ切った先に、手紙で指定された公園がある。中央にゾウの形の滑り台があり、後は砂場とブランコがあるくらいの、小さな公園だ。この近くに住む従兄と、子供の頃何度か遊んだことがあった。
そんな場所に呼び出されたのも、何かの縁なんだろうか。
ペンキが剥げ、片方の耳も少し欠けてしまっているゾウの滑り台が前方に見えてきた。
古びた遊具しかない上にそう広くもないからか、それともだいぶ日が傾いているからか。公園はシンと静まり返っている。
その中央に立つ時計の脇に設置されたベンチの前に、ポツンと佇む人影に気付いて、楠木は思わず足を止めた。
弾む息を整えながら、フェンス越しにジッとその人影を見詰める。
淡い茶髪の隙間から覗く、小さなピアス。そしてK高の制服。その顔には、やはり見覚えがなかった。
───あの人が……?
手紙の内容が強烈だっただけに、もっと風変わりな見た目なのかと思っていたけれど、ちょっと垢抜けた風のどこにでも居る高校生という感じだ。
何年生だろう。同じ一年生? それとも上級生?
楠木が大柄だから余計にそう見えるのかも知れないが、身体つきも割と小柄なのでわからない。見た目で判断するのはどうかと思うが、腕っぷしが強そうにも見えなかった。
……あの人が、あんなネジが数本吹っ飛んだみたいな手紙書いたのか?
一見すると至って普通の高校生に見える彼は、ベンチに腰掛けたと思ったら、またすぐに立ち上がり、キョロキョロと辺りを見渡しては時計を確認して、何だか落ち着かない様子だ。明らかに、誰かを待っている。
ベンチの前を右へ左へ行ったり来たりしたかと思えば、また時計を見上げる。その仕草は、ケージの中でチョコチョコと動き回っているハムスターみたいで、楠木は遅刻していることも忘れてついつい見入ってしまっていた。
毎日ずっと、ああして待ってくれていたんだろうか。
トクン、と一つ胸が鳴って、自然と口許が綻ぶ。
少し浮つく足をようやく一歩踏み出しかけた、そのときだった。
彼の元へ、一人の女性が近付いてきた。
楠木たちより随分年上の、髪が長い綺麗な女性だ。
その女性に何やら声をかけられたらしい彼が、振り向いた瞬間、ピンと背筋を伸ばすのが見えた。ちょっと緊張したような、紅潮した横顔。
───なんだ、俺じゃないのか。
途端に、胸の奧で何かが急速に萎んでいくのを感じて、楠木はそんな自分自身に首を捻った。
……どうして、ガッカリしてるんだ?
そもそも既に三日連続ですっぽかした上に、今日だってもう一時間も遅刻している。手紙の主がとっくに帰ってしまっていてもおかしくない。むしろ、そっちの方が当然だ。
なのに、彼が手紙の主だったらいいのに、なんて、そんな都合のいいことを漠然と考えてしまっていた。
自分でも、何故そう思ったのかは理解出来ない。けれど、彼が女性と話している姿をこれ以上見るのが嫌で、楠木は咄嗟に踵を返すと、足早にその場を去った。
今日は金曜日。土日は学校も休みだし、きっとその間手紙が届くことはないだろう。
週が明けたら、またこれまでみたいに手紙が届くんだろうか。
いつの間にか小さな楽しみになっていたのに、今は少し、胸が痛かった。
同じ頃、彼が女性に通報されかけていることなど、楠木は知る由もなかった。
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