12 / 14
後日談⑤幸せ勝負のはじまり
※後日談④から約一年後くらい
最後に発情期を迎えてしばらくしてから、綾人の様子がどこかおかしい。変におかいしというか、昂からすれば嬉しいおかしさではあるが、いったい綾人はどうしたのだろうかと嬉しさの中に不安も多少はあった。
その嬉しいおかしさといったら、いつも以上に甘えるようになったことだ。
昂ですら、なにがきっかけでそうなったのか不明。
「どうした綾人?」
「んー、なんとなく」
ソファに座っていると、綾人が寄りかかってきた。
綾人から放たれる甘い匂いに刺激されながら、でもこれは身体を重ねたいような様子ではないため、ただ単に甘えたい時間なのだろう。
発情期の前に行動する巣作りとは、また別の行動なのだろうか。
(それとも発情期が近いとか、か?)
だが、それだと巣を作ることを覚えたのでその行動を取るような気もするが、まだ巣を作るということが安定していないだけなのか。
どちらにせよ、こうやって甘えてくるのは嬉しい。
「……ヒートが来る感じか?」
「んー……そうでもないかな……」
ぐったりしていないので、まず病気ではないだろう。
なにか身体に変化があるか、と尋ねても「大丈夫だよ」と言いながら更に身体に体重をかけてきた。
部屋の中は暖房も入れているが、十二月の寒さで身体が暖を求めているのだろうかとさえも思う。
「綾人、ここにこい」
膝の上を叩き、座るように促す。膝をまたいで座るかと思いきや、綾人は横抱きにされたときの状態で上半身を昂の胸に預けるように座ってきた。
「このほうが落ち着くか?」
「……うん。昂の心音聴いてると安心する……」
「そうか」
ふ、と笑みを零しながら、昂は顎を綾人の頭の上に乗せた。
綾人が甘えてくるのだから、これくらいは許されるだろう。
しかし、匂いは変わらず二人を包み込むように纏っており、謎の現象に一度は病院へ受診しに行くべきかと悩んだ。
前もって予約が必要である病院に、タイミングよく三日後の予約を押さえることができた。
そして、その約束の三日後である今日、昂は綾人を連れて病院へと訪れていた。
「俺、本当に大丈夫だよ?」
「気づいてないのか? 匂いを振りまいていることを」
「え? でも、発情期は先月終わったばかりなのに……」
「そうだよな。それが、今でも綾人から匂いがするんだ」
一度、先生に診てもらおうと思い、予約した旨を伝えた。
時間があれば帰りがてらにデートでもしようと計画をしてみるも、ひとまず綾人から放たれる匂いの現象はなんなのかわからない限りは安心できない。
ただ、想いなどの気持ちが溢れての匂いなのであれば、何度も体験しているので昂もわかってはいるが――こんなに毎日匂いが漏れているとなると、どれだけ昂のことを想ってくれているのか自惚れてしまう。
(いや、実際に好かれているのだが)
ダダ漏れすぎて照れくさくなる。
本当にそういうことであれば、医師に「仲がいいことでなによりです」と言われてもおかしくない。もっと言えば、医師に惚気を聞かせに来たようなものになってしまう。
それはそれで恥ずかしい。
「昂、手、ぎゅっとして」
「あ、ああ。別に言わなくても、綾人から握ってくれてもいいんだぞ」
「なんとなく、昂にしてもらいたい気分なんだ」
「そうか……」
心の中で己の理性と戦う。
ここは病院だ。変なことはできない。
無意識な行動を取る綾人に試されているようで、昂はこの時間が早く終わらないだろうかと頭を悩ませた。
「――五月女さん、どうぞ」
診察室に呼ばれ、昂は綾人を連れて入った。
ずっとお世話になっている担当医師。穏やかな雰囲気を纏っており、見るだけでほっこりとした印象のある中年ほどの医師だ。
相変わらずの癒しっぷりだ。
昂と綾人が番になる前から、昂が後天性アルファになったあとも、国家機関のためとして定期的に検査をしてデータを提供している。
そして、国家機関とは関係なしに、なにかあったときには二人の相談所としても医師は担当してくれている。
「こんにちは。今日はどうしましたか?」
「先生。昂が、様子がおかしいと言って、一度診てもらえって……」
「様子がおかしい?」
「はい。詳しくは俺が話をします」
綾人に代わり、昂が事情を説明した。
発情期は終わったはずなのに匂いを振りまいて甘えるようになったこと、綾人自身も発情期ではないことをわかっていること――包み隠さず、昂は医師に話した。
「発情期は終わっているけど、匂いは継続中……」
「はい。特に、その匂いで俺がおかしくなることもないです。前に、先生から気持ちが溢れて匂いがすることは聞きましたが、こんなことはじめてで……なにか、綾人の体内で細胞のバランスが崩れていることはないですよね?」
昂は心配で仕方がなかった。
杞憂で終わる分には別にいいのだ。勘違いだったか、と笑って終わらせることができる。
だが、こうも続いていると、なにか身体にまた変化がやってきたのではないだろうかと、胸中不安な気持ちも抱いていた。
甘えてくる綾人が、例え可愛いと思っていても――。
「ただの惚気で終われば安心ではあるのですが……」
「先生、そんなこと言うんですね」
両者くすくすと笑みを零し合いながら、医師側としては不安を和らげるために言ってくれたのだろうと想像する。
「とはいえ、なにかあっては心配なので、念のため検査はしておきましょう」
「先生、お願いします」
「お願いします」
「その間、如月さんは待合室でお待ちください」
「わかりました。ごめんな、綾人。今だけ我慢して検査してきてくれ。終わったら、いくらでも甘えていいから」
「ん、わかった」
診察室に入ってからも、椅子に隣同士で座っていようが身体をぴったりとくっつけたまま離れなかった綾人。少し名残惜しそうな表情を見せるも、検査のためだと納得させる。
こちらにお願いします、と看護婦に案内された綾人は、言われた通りに検査をすることになった。
ひと通りの検査が終わり、待合室で待っていた昂の元へ綾人が戻ってきた。昂の隣に腰を下ろすと、離れていた分を取り戻すかのように身体を寄せてくる。
(……可愛いな)
昂の温もりを求めてくる綾人の仕草に、キスをしたい衝動に駆られながらも診察室に呼ばれるのを待った。
「五月女さん、診察室へどうぞ」
「ほら、綾人」
「うん」
綾人の肩を抱き、昂は再び診察室へと入った。
結果はどうだったのだろうかと、ごくりと唾を飲み込む。
「五月女さん、検査お疲れ様でした」
「先生それで……」
「昂、早く知りたい気持ちはわかるけど、少し落ち着こう」
「それほど、五月女さんを心配しているんですよ」
カルテを捲りながら笑みを零す医師に、昂は「すみません」と苦笑を漏らして謝った。
「いつかは、と思っていましたが……」
「なにがですか?」
「……おめでとうございます」
なにかお祝いされるようなことでもあっただろうか、と呑気に考える。
今までも色んなことがあったので、今更なにが起こってもそっとやちょっとでは動じないところではあるが、医師の様子から見てなにかあったのは事実だ。
二人して顔を見合わせていると、医師は微笑みながら「懐妊ですよ」と告げた。
(懐妊……懐妊……かいにん……かい――……はっ!?)
頭の中で何度も言葉を咀嚼しながら、ようやく昂は理解した。
「先生! 綾人が妊娠したということですか!?」
「ええ。恐らく、その影響で如月さんに甘えたくなったんでしょうね」
「綾人……」
「昂……だ、そうです」
「だな。綾人のお腹に、今小さな命が……」
過去に薬を大量摂取や子供ができないストレスからできにくい身体になっていた綾人、元々ベータだったのに想いの強さから後天性アルファへ突然変異のバース変換した昂。二人の気持ちは今も変わらず、強い想いを抱いたまま幸せに過ごしている。
その二人の元に、とうとうやってきてくれたのだ。
「授かりものだから、いつかは……と思っていましたけど、奇跡ですね」
「はい。五月女さんのお腹にいますよ。これから、急激に悪阻など身体に変化が出てくるかもしれません。はじめてのことで大変な思いをすることになりますが、私たち医師もついてます」
「もちろん、不安がないと言ったら嘘になります。でも、嬉しいです。もしかしたら、俺たちのところに来てくれないと思っていたので、本当に嬉しい……」
「私も嬉しいですよ。ずっと見守ってきたのですから。ですが、行動には気をつけてくださいね。なにか、少しでも困ったことがあったらすぐに相談してください。オメガ専用の婦人科棟があるので、あとでご案内しますね」
この病院でもある程度の設備は整っているが、出産となると婦人科棟のほうがなにかと便利だということ。
今後の定期検査も婦人科棟ですることになる。
予約は今まで通り、この病院での予約でいいということもわかり、昂と綾人は医師にお礼を伝えた。
「二人なら大丈夫ですよ。色んなことを乗り越えてきたのですから……そんな二人だからこそ、この子は二人の元に来たかったんでしょうね」
「先生……本当にありがとうございます」
「これで、幸せ勝負ができるね。昂」
「そうだな」
「その、幸せ勝負、とは?」
不思議そうに尋ねてきた医師に、二人は微笑み合いながら「どちらが幸せにするのか勝負するんです」と言った。
単純なことかもしれない。
それでも、二人にとってはとても重要なのだ。
「それは、とても楽しみですね」
「はい! 先生にも、これからの俺たちの幸せを見せていきますね」
「おや、嬉しい限りです」
綾人以外にも診るオメガはたくさんいるのはわかっているが、これからの自分たちを見てもらいたいと思った。
「これから大変になるかと思いますが、安定するまではなるべく傍にいてあげてください」
「わかりました」
診察を終えた二人は、医師の言っていた婦人科棟を案内してもらい説明を受けた。帰りに母子手帳をもらい、当初の予定ではデートを計画していたが、デートをするよりも早く家に帰ってお腹の中にいる幸せの塊のことを考えたいと、二人は同じようなことを考えていた。
帰宅して早々、玄関先で二人して無言で抱き合った。
お腹を圧迫させないよう、優しく包み込み、お互いの温もりを感じていた。どのくらい抱き合っていたかわからないほど抱擁し続け、満足したあたりで距離を取った。
「……ここに、いるんだな」
綾人のお腹に手を当てながら、昂は幸せを噛みしめた。
まさか、綾人の甘える行為が妊娠を予兆するものだとは思いもしなかった。
「うん。まだ時間がかかると思ってた」
「俺もだ。俺は純正なアルファでもないから、いずれは時間が解決してくれるものだと思っていた」
「そうだね……ふ、ははっ」
「どうした?」
突然笑いだした綾人は、昂の胸に身を寄せた。
なにを思い出して笑っているのか窺っていると、綾人はこう告げた。
「幸せを噛みしめているときにごめん」
「なにがだ?」
「いつか、時間が解決するかと言いながらも、発情期の度にナカに注いでそのまま蓋をしておいてよかったなって思ったら……ふと笑いが込みあがってきてさ……」
「なっ……!」
ふふ、と笑う綾人に、昂は頭を小突いた。
純正アルファではないため、元々ベータである昂の根本には亀頭球がない。だが、綾人のフェロモンに中てられてしまえば、アルファのように求めてしまう。
――好きな相手なら尚更だ。
「こら、言い方があるだろう」
「ごめん、つい……」
たく、と呆れながらも、昂は綾人の髪に唇を落とす。
「それでも、俺たちの元に来てくれたのは嬉しいことだ」
「うん。……ありがとう、昂」
「それは俺のセリフだ。こっちこそありがとう、綾人」
身を寄せている綾人を再び包み込む。
この素敵な幸せがいつまでも続いていくように、これから生まれてくる子に溢れんばかりの幸せを二人で注いであげていきたい。
「こうしていると、なんだか三人で抱き合ってるみたいだ」
「ああ、そうだな。……どんな子だろうな」
「男の子でも女の子でもいいよ。どっちでも幸せにする自信はあるんだから」
「そうだな」
今まで辛かった分、たくさんの幸せを、今度は三人で大きくして増やしていくのだ。
そう――すでに〝幸せ勝負〟はスタートしている。
終わり
ともだちにシェアしよう!