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第10話

「ただいま」 アパートの部屋のドアを開けると、焦げた臭いがした。 「お帰り~」 満面の笑みで夏樹が玄関まで走って迎えに来てくれる。 「…何の臭い?」 恐る恐る質問した僕に夏樹はモジモジと下を向く。 「…夕飯を作ろうとして…ちょっと、失敗しちゃって…」 夏樹は照れた表情と落ち込む表情を同時に浮かべるというなんとも器用な表情を顔に浮かべて僕を見た。 「………ごめん……なんか…蒼眞が毎日、頑張ってくれてるから…僕も何かしようと思って……」 「夏樹が作ってくれたの?へぇ~、楽しみ」 「…え、いや、待って…失敗したから……」 僕は玄関でオロオロとしている夏樹を置いて、笑顔でいそいそと台所へ向かう(といってもすぐそこだけど)。 そこには真っ黒い塊がお皿の上に乗っていた。 「…これは……コロッケ………?」 「………ハ、ハンバーグ……」 僕の質問に、夏樹は俯いて蚊の鳴くような声で答える。 俯いたまま、顔を上げない。 ハンバーグ作りを失敗して、落ち込んでいるらしい。 僕は椅子に座り、箸を持つ。 「いただきます」 「えっ!?…待って待って、それ、失敗して……」 夏樹の制止を無視して、ハンバーグを箸で切り分け口に入れる。 「え……嘘……駄目だよ、お腹壊す………」 僕がハンバーグを食べた姿を見て、夏樹は泣きそうな顔をしてオロオロと慌て始める。 「大丈夫だから、落ち着いて」 「……でも…それ…」 夏樹は半ベソになって、僕を見ている。 「大丈夫、美味しいよ…少し焦げているけど…」 「…ごめん…料理本読んで…作れると思ったんだけど…」 初挑戦のハンバーグ作りに失敗したのがショックなのか、俯いてしょげている夏樹に笑いかける。 「大丈夫だよ。初めは誰だって失敗するって。最初はご飯だって炊けなかったし、野菜切るのだって大変だっただろ?ハンバーグだって作れるようになるって」 「…そうかな……?」 僕を伺うように顔を上げた夏樹を安心させるように笑いかけると、ハンバーグをひと口口に入れる。 「うん、僕、ハンバーグ好きだし、10日……1ヶ月でも大丈夫、食べられるから」 「え、さすがにそんなには食べられないでしょ」 (………やっと笑った) 僕が好きな夏樹の笑顔だ。 2人で住む事になって、素の夏樹を知る毎に夏樹を好きになっていく自分に気付く。 それと同時に、夏樹が今までどれ程の苦労と努力を強いられ、我慢やプレッシャーと戦ってきたのか………その事を考えると胸が痛い。 と同時に、今まで以上に夏樹に惹かれていく。 駄目だと分かっていても、制御できないのが恋愛感情だ。 -夏樹はΩだった。 エリートでプライドの高いαの中にΩがひとり。 それがどんなに過酷な事が、βの僕にも容易に想像できる。 本来なら産まれた時点でΩは国の保護下におかれる事になるので、専用の保護施設に入らなければいけない。 αからΩを守る為の保護施設といえば聞こえはいいが、要はΩを管理する為の施設だ。 Ωを守る代わりに、自由な恋愛は許さない。 昔はΩも自由に恋愛ができたみたいだけど、襲われたり、無理矢理『番』にさせられて泣き寝入りするしかなかったΩも結構、多かったらしいから…一概にどちらがいいなんて事は言えないけど。 そして何故、夏樹が国の保護施設に入る事なく生家で育ったか。 それは、ただ単にあらゆる分野へαを輩出しているエリート一族の疾風家当主の嫡男だからに他ならない。 幸いな事に…かどうかは分からないが、α一族の血を色濃く受け継いだ夏樹は見た目や外見はαと変わらない。 そして、一族と国との間で密約が交わされた。 一族にとっても、国にとってもαの代名詞ともいえる疾風家の当主の嫡男がΩと世間に知られる事は都合が悪い。 だから、夏樹がΩだという事実はトップシークレットとして伏せられ、知っている者には箝口令が敷かれた。 とはいえ、僕なんかはそんな重大事、よく今までバレなかったなと思うけど。 昔は発情期が始まるまでは自分がαなのか、βなのか、Ωなのか分からなかったみたいだけど、科学の進歩もあり今は産まれた時に調べれば分かるようになった。 だから夏樹がΩだと知っているのは産まれた時から夏樹の側に仕える者ばかりで…口が堅い者を選りすぐって夏樹の使用人にと選ばれたらしく(何代も前から疾風家に仕えている使用人の中でも特に厳選して)、ついうっかり口を滑らせて…とか、買収されるような人間は一切、選ばれなかったらしい。 通常、αは幼い頃から教えられなくても自然とαらしい仕草が身につく。 だが、Ωとして産まれた夏樹には無理な事で。 物心がつく前から夏樹にはαの家庭教師がついて、仕草や言葉遣い、箸の上げ下ろしまでつきっきりで教えられたらしい。 疾風家の嫡男として産まれてきた夏樹は、良くも悪くも皆の羨望と注目の的。 勉強もスポーツも全て当然のように上位を求められ、少しの失敗も許されない。 本当にαなら、簡単な事だっただろう。 だが、Ωとなると……………。 だから、それぞれの教科毎に専門の家庭教師がついていて、絵画の家庭教師、音楽の家庭教師、体育の家庭教師や図工の家庭教師までいたと聞いた時には驚いた。 そんな素振り、学校では全然見せなかったから。 学校では努力なんて言葉とは無縁な、何でもスマートにそつなくこなす王子様だったから。 αの仮面を被っていたエリートでスマートな王子様の夏樹も格好良くて素敵だったけど、僕は今のドジっ子で親しみやすくて可愛いΩである夏樹の方が好き。 αだった頃より、今の夏樹の方がよく笑う。 夏樹が笑うと、僕も嬉しい。 夏樹の幸せそうなこの笑顔を守る為なら、僕はどんな事でもしようと思える。 ……………僕が幸せになれなくても。

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