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第1話 降って湧いた60分のゆくえ

「はい、かしこまりました。……こちらは大丈夫です。そうですね、またの機会に」 電話が切れたことを確認し、俺は受話器を耳元から離す。 「……天心(てんしん)?」 デスクの向こうから様子を窺っていた志童(しどう)が、タイミングを見計らって話しかけてきた。 「13時からの客、キャンセルだってさ。電話じゃ感じのいいマダムだったから期待してたのに」 「期待してたって、こっち?」 志童は親指と人指し指で輪っかを作ってみせる。 「当たり前だろ、他に何を期待するってんだ」 いや、期待してたのはカネだけじゃない。 当然あるべき良識も期待してた。 「ってかさ、こんな直前にキャンセルってないだろー。どうしてくれるんだよ、俺の貴重な1時間!」 すると志童がデスクの後ろまで回ってきて、俺の肩を揉んでくる。 「別に消えたわけじゃないよ、天心の1時間は」 「……?」 「1時間、楽しい昼休みが増えたってこと!」 志童は頭の上から、ニコニコと俺の顔を覗き込んだ。 『拝み屋 幡山流』の事務所には、午後の穏やかな光が差し込んでいる。 ちなみに幡山流の十五代目が俺で、志童は俺の幼なじみでアルバイト的な立場だ。 志童ももう就職していていい年なんだが、のんびりした性格のコイツは未だに大学生という身分に甘んじている。 「どうしよっか? これから」 志童が頭の上から、コイツらしいのんびりした声で言ってきた。 「そうだな、事務所のウェブサイトにキャンセル料についての但し書きを載せる! 当日キャンセルは相談料の100パーセントな!」 「それ、かかっても10分でしょ。それから?」 「あと50分でできること……。地霊を使って今のマダムに呪いでもかけとくか! 次会った時、俺にめちゃめちゃカネ払いたくなる呪い!」 「やめてそれ怖いよ……。余計にお金を貰った分、いろいろ要求されそう」 「人間っていうのは欲深い生き物だからな……」 「それ、天心が言う?」 「じゃー呪いはヤメ! 暇だし、ネットでイケてるスーツでも探そ……」 マウスへ伸ばした俺の手を、志童が上からつかんできた。 「はい、無駄遣い禁止!」 「うおっ、勝手にブラウザ落とすな! ってかお前、勝手に俺のパソコンのブックマーク消しただろ!? 気づいてんだぞ」 「だって天心、お金お金って言うわりに無駄遣い多いんだもん! あとね、天心は普通にカッコいいから、カッコいい服とか要らないの」 「はぁああ!? 俺が自分で稼いだカネ、なんに使おうと勝手だろ! お前は俺の母親か!」 「そんなこと言って、ちょっと照れてる」 「ちげーよ!」 「ははっ、かわいい!」 「……っ! おま、今そこキスしただろ! 見えてなくても分かってんだからな!」 「あれ、頭の上ならバレないと思ったのに」 「……殺す!」 「ちなみに俺は天心のお母さんじゃなくて彼氏ね?」 「妄想ヤメロ! 50分あるし、お前はカウンセリングにでも行ってその妄想癖直してこい」 「じゃあ天心は、その素直じゃないとこ直そっか」 今キスしてきた頭の上を、今度は大きな手のひらがふわふわと撫でてくる。 「天心、俺のこと好きでしょ?」 「んなわけ――…」 ふいに顎を持ち上げられ、真上から見ている黒目がちな瞳と目が合った。 「やっぱり残りの50分、そのことについて話し合うのはどうかなあ?」 「そのことってなんだよ……」 「俺たちこれで、両思いなんじゃないのかなって話だよ」 志童の瞳が、すっと艶っぽく細められる。 50分もあれはその話は、話し合いだけじゃ済まなくなることを俺は知っている――。

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