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第2話 恋人のパンツ
「そちらのお荷物お持ちします」
ホテルのベルボーイがスーツケースに手を伸ばす。
「大丈夫です、これは俺が」
その手を断りスーツケースを持ち上げたところで、何かがはらりと滑り落ちた。
「お客さま、こちらは……」
ベルボーイが拾い上げる。
それは黒地にピンク色のハートが印刷された小さな布だった。
その形状を見てハッとする。
「あっそれ、恋人のパンツです」
俺は慌てて彼の手からそれを引き取った。
俺みたいなデカい男が穿くにはそのパンツはあまりに小さすぎるし、デザインも可愛すぎる。
俺の可愛い『恋人』にならピッタリなんだけど……。
スーツケースの隙間から滑り落ちたであろうそのパンツを回収して、ホッとした瞬間――。
「誰がお前の恋人だ!」
チェックインを済ませてきた『恋人』に、後ろから膝蹴りを食らわされた。
「志童、お前な! 荷物持ちもロクにできねーのかよ!? 荷物持ちするっていうから連れてきてやったのに!」
恋人――もとい天心は顔を真っ赤にして怒っている。
「いやいや、スーツケースちゃんと閉めてなかったのは天心でしょ!?」
「それでもうまく運ぶのが荷物持ちの仕事だろうが!」
「無茶苦茶言う……」
天心はプンスカ怒っているけれど、この顔は単にパンツを見られて恥ずかしかっただけだ。
あと、恋人って言われて。
「……あの、お部屋までご案内しますね?」
ベルボーイが何ともいえない顔で、俺たちを奥へと誘導した。
部屋の説明を終え、ベルボーイは去っていく。
「っていうかダブルベットがひとつ……」
俺のつぶやきに、天心がすかさず被せてきた。
「変な期待すんなよな!? お前が急についてくるって言うから、ひと部屋しか取れなかっただけだ」
「それでも連れてきてくれたっていうことは……」
「違う! だから変な期待すんなって言ってる!」
3分前のパンツの一件を引きずっているのか、天心はまだ怒った顔をしている。
せっかくいいシチュエーションなのに、もったいない。
とはいえ頬をピンク色に染めてむくれた顔も可愛くて、俺はちょっと和んでしまうのだった。
「ねえねえ天心、怒った顔も可愛いけどさあ」
俺はすり寄っていって、ベッドのふちに座っている天心の顔を覗き込む。
「せっかく二人きりの旅行なんだから、仲良くしようよー」
「あのなー、旅行じゃなくて仕事だから」
天心の言う通り、今回俺たちがこの土地に来た理由は、こっちでお祓いの仕事を頼まれているからだった。
「でもそれは明日でしょ? 今夜はゆっくりできるじゃん、このベッドでね」
ワクワクしながら手触りのいいシーツを撫でる俺に、天心は無情にもソファを指さして言う。
「お前が寝るのはあっち!」
「うそっ!? それ本気で言ってる!?」
「だってお前、一緒に寝たら襲うだろ……」
「それは……」
はっきり言って否定できない。
こんな可愛い恋人と二人で泊まって、何もしないなんて無理だ。自然の摂理に反する。
「いや、ソファで寝ても襲うかもよ? 安全性は変わんないと思う……」
「正直なヤツだなー……じゃあお前はベランダだ! 大型犬は外で寝るもんだ!」
「ベランダはダメでしょ! そんなの動物虐待でしょ!」
肩に触れようとすると、天心がその手をすり抜けベッドの向こうへ逃げていった。
結果俺たちは、ベッドを挟んで睨み合う格好になる。
この状況だと俺が一方的に天心を恋人扱いしているみたいだけど、実際は違う。
俺と天心はキスもしてるしエッチも……まあ1回だけだけど経験済みで。
あの時の天心はめちゃめちゃ可愛かった……!
あれから3か月。俺はあの日のことを思い出すだけで、毎日ご飯3杯はおかわりできている。
ああ、ご飯3杯はものの例えだよ? それくらい気持ちが満たされているって意味で。
けどまあ、天心は素直じゃないから無理に迫っても首を縦に振ることはないだろう。
「じゃあこうしよ!」
俺はさっきのフロントでポケットにつっこんでいた、ハートのパンツを出してみせる。
「一緒に寝てくれなくていいからこれちょうだい? 俺はこれでガマンする!」
「ガマンするって……お前なあ……俺の代わりに俺のお気に入りのパンツが犠牲になるのも嫌だわ! っていうか現実的に、それがないと明日穿くパンツがない……」
「それなら俺の穿く?」
「それも嫌だ……!」
「困ったね、どうしよっか? てんしんせんせい」
ニコニコ笑ってハートのパンツを振っていると、天心が諦めたようにベッドを叩いた。
「仕方ない、パンツのためだからな……」
「……じゃあ?」
「ベッド半分貸す」
「よっしゃ!!!」
俺は思わずガッツポーズをする。
「ただし、マジで何もすんな!」
天心が人差し指を突きつけてきた。
「しないしないしない! いい子にする!」
いや、しないわけない……。
それはさすがに、天心も分かって言っていると思う。
ベッドの向こうの端に腰を下ろした彼を、俺はベッドを乗り越え抱きしめにいった。
「とりあえず、早くパンツ返せよ」
俺の手からパンツをむしり取る天心は、耳まで赤くなっている。
これで期待するなっていう方が無理だ。
そんな気持ちを映すみたいに、窓の外では夕日が雲を真っ赤に染めていた――。
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