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第17話 スナオナール
「て、て、て、天心! たまには一緒に飲もうと思って、俺お酒いっぱい買ってきたんだけど!」
缶のカクテルやら酎ハイやらが詰まったエコバッグを持って志童がやってきたのは、ある暑い日の夕食後のことだった。
体はデカいが脳内お子さまな志童が、ジュースでなく酒を買ってくるというのは珍しい。
「お前、夏はカルピスに限るってついこないだ言ってなかったか?」
「え、言ってたっけ? えーっと、でも……その日の気分にも寄るでしょ!」
明らかに挙動不審だ。
事務所兼自宅の玄関で出迎えた天心は、幼馴染みであるこの男を家に入れていいのかどうか一瞬迷った。拝み屋の直感が危険を知らせたと言っていい。
「飲もうよてんしーん! 事務所も明日は休みでしょ?」
彼の言う通り、明日からは盆休みという形で、拝み屋事務所は休業の告知を出していた。
志童に憑いている犬神の尻尾が、彼の尻の後ろでそわそわと揺れている。
(こいつ俺を酔わせて襲う気か?)
彼の意図はともかくとして、尻尾丸出しの犬神憑きを玄関前に立たせておくのも目立つ。天心はしぶしぶ彼を中へ招き入れた。
「お前何か企んでるだろ」
「企んでるなんてまさか~!」
「声が裏返ってる。本当にわかりやすいやつだな」
言い合いながらも天心はグラスと皿を出し、志童がその皿の上に買ってきたつまみを広げた。
それからテレビをつけ、なんとなく晩酌らしきものが始まった。
*
実は志童がここへ来たのにはわけがあった。あるものが手に入ったからだ。
『スナオナール』――どんなツンデレさんも素直になってしまうという魔法のような飲み薬である。
(これを飲ませれば、天心の素直な気持ちが聞けるかも?)
もちろんこんな薬を見せ、素直に飲んでくれる相手ならばそもそもこの薬はいらないだろう。本人に気づかれずに飲ませる必要がある。
そこで志童は頃合いを見計らい、天心がテレビに見入っているうちに飲み物にスナオナールを混入させた。
「このドラマってさ、わざとらしい演技が突き抜けてて面白いよな」
「えっ、ドラマ!? えーと、うん、面白いよね……」
天心が突然振り返り、志童は慌ててスナオナールの瓶を後ろに隠した。
「……どうした?」
「な、なんでもない!」
追求から逃れるように視線を外す。自分でも挙動不審だと思うけれど、天心がスナオナール入りのお酒を飲んでくれさえすればいい。
そのあとは自分も素直になって騙したことを謝ろうと志童は考えていた。
ところが天心はどういうわけか、飲みかけのグラスになかなか口を付けなかった。
「天心、グラス空けちゃってよ。次のやつ飲もうよ」
自分でもわざとらしいと思いながら飲ませようとするものの、天心は生返事をするばかりでほとんどテレビの方を見ていた。
(なんで飲んでくれない? もしかして、何か入れたってバレてるとか……)
志童の胸の中には焦りと不安が広がる。
「ねえ、天心……」
「なんだよ?」
「こっちのもも味、きっと美味しいよ?」
「じゃあそれくれよ」
「あげたいのは山々なんだけど、そのグラス空けてくれないとあげられないんだよね。……諸事情で……」
「ん?」
「いや……なんでもない。トイレ行ってくる」
このまま余計なことをしゃべれば飲ませる前にバレると思った志童は、“ひとり作戦会議”のため一旦席を外した。
*
一方の天心は、彼の挙動不審に当然ながら気づいていた。物心ついた時からの付き合いだ。気づかない方がどうかしている。
(あいつ、俺のグラスに何入れたんだろ?)
志童の荷物を探ろうと思ったが、荷物に触れるまでもなく彼が座っていた椅子の上にあやしげな小瓶が転がっていた。
「隠す気ゼロかよ!」
ツッコまずにはいられない。
「『スナオナール』? 効能は、っと『どんなツンデレさんも素直になる』……ほおお?」
瓶のラベルを読んで顔が引きつってしまった。
(あいつがバカなことは知ってたが、何を必死にやってるのかと思えばこんなモンを……)
どうしたものか、考えると頭が痛い。すぐにとっ捕まえて追求してもよかったが、志童が拗ねるか泣くかの未来しか予想できなかった。
特に今はアルコールが入っているわけで、面倒くさい絡み方をされるのは間違いなさそうだ。
(とりあえず、こうか!)
テーブルの上の自分のグラスと、志童のそれを入れ替えた。
(あの素直過ぎるバカが、さらに素直になったらどうなるんだろ……?)
怖いもの見たさというかなんというか、そんな興味も湧いてくる。
そこへ志童が戻ってきた。
「あ、志童おかえり」
「うん、ただいま……」
彼の目はもともと志童のところにあって、今は天心の前に移動してきたそのグラスに注がれている。
入れ替えに気づいたのかと思ったが、そうではなかった。座ると彼は目の前のグラスを見ないまま、一気に半分ほど飲んでしまった。
「えっ……」
横目に見ていた天心の方が声をあげてしまう。
「どしたの、天心」
「いや、えーと……」
「……??」
「なんでもない……」
今度は天心が挙動不審になる番だった。これから志童はどんな行動に出るのか、内心ソワソワしながら反応を待つ。
その志童はさっきから天心のグラスをチラチラ見て、期待と不安が入り交じったような顔をしていた。
天心は黙っていられずに口を開く。
「志童……言っていい?」
「……え……何?」
彼の表情が硬くなった。バレて怒られるんじゃないかと怯えている顔である。
「お前、俺に何を言わせたいわけ?」
「……えっ? なん……の……こと……」
スナオナールの効果なのか、志童の顔が夏祭りの提灯みたいに赤くなった。
眉根の辺りは怯えたような表情のまま、ぎゅっと寄せられている。
「素直に言えよ」
「…………」
「たまには、お前の望む言葉を言ってやる」
「あのね、天心……」
志童がテーブルに肘を突き、見つめてきた。
「天心は昔っから強がりで愛情表現が下手で、あんまり素直じゃないから。たまには素直になってくれてもいいんじゃないかなって」
「…………。ダメ出しかよ」
意外に的を射た指摘に、天心は困惑しながら言い返す。
「天心が俺のこと、なんだかんだで大切に思ってくれてるのは知ってるんだ。面倒くさがりながらも、傷付けたくないとか怪我させたくないとか、そういうふうに思ってくれてる。あと最近は抱かれてもいいって思ってくれてるでしょ」
まったくその通りで、ぐうの音も出なかった。
「そこまでわかってんなら、何も口を割らせなくてもいいだろ……」
変な薬なんて必要なかったんだ。
天心は志童の前にあるグラスに手を伸ばす。
「お前が席外してるうちにグラス入れ替えといた。薬が入ってるのはこれ」
「へ……? え……? ……えええ!?」
志童の顔色が赤から青に変わった。
「マジで!? 今、俺飲んだ?」
「効き目早いよな」
「最悪! もう死にそう!」
彼は泣き顔でテーブルに突っ伏す。
「死ぬこたねーだろ」
「…………」
「別に俺は怒ってねえし」
「…………」
天心は彼のほっぺたをつつく。頬を軽くつねっても、髪をかき混ぜてもダメだった。
「しどー。ホントお前めんどくせーな」
文句を言いながらも額にキスをする。
それから天心はグラスに半分残っていた、スナオナール入りのお酒を飲み干した。
「飲んだ! これで満足か?」
「ええっ、ホントに飲んだの!?」
志童が慌てて顔を上げ、空になったグラスを確認する。
「マジで……天心。なんで……」
「飲んで欲しかったんだろ? 何今さら引いてんだよ」
「引いてはいないけど。中身知ってて飲んでくれるとは思わなかったから……」
「だってこっちだけシラフとか耐えられん!」
志童はまだ半信半疑といった表情で見つめている。
「こんなモン持ってきやがって、ホントお前バカ!」
「天心……。薬飲んだのに、なんで優しくならないの?」
「だって、心の底からお前のことバカだと思ってる」
「素直ってそういうことかー……がっくり」
気持ちが乱れているだけで、お互いに基本的な主張は普段と変わらない。特に裏も表もない関係だということがわかった。
幼馴染みなんてそんなもんか。
天心は志童の髪を弄びつつ、また額にキスをする。艶のある黒髪が指に心地よかった。
「あのさ、素直ついでに言うと、こんなところでぐだぐだ話すくらいならさっさとベッド行こう」
ヤケくそだけれども、自分から言うのは相手の出方を窺うよりもラクだった。
「……! 天心!?」
志童は真っ赤になって口元を押さえている。
「そんな乙女みたいな顔されても困る。だいたいどっちから誘おうと、どうせやるこた一緒だろ」
「いやいやいや、押し倒すのと押し倒されるのとは全然意味合いが違う!」
「押し倒してやるとは言ってない」
「押し倒させていただきます!」
志童が立ち上がって敬礼してみせた。
今日はとても話が早い。スナオナールのおかげか。
それから二人はまっしぐらにベッドルームへ向かう。
「天心、俺天心のこと大好き」
「知ってる」
「そこは俺も好きだよって言ってよ」
「そういうところ面倒くせえ」
「でも好きでしょ?」
「好きだよ言わせんな!」
バカみたいで恥ずかしいが、とても楽しい。
素直ってこういうことだったのか。
その夜二人がめちゃくちゃ盛り上がったことは言うまでもない――。
おしまい。
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